■作品内容
「世の人々の楽しみと幸福のために」
その理想に生涯を捧げたブリヂストン創業者・石橋正二郎。
父の理想に共鳴し、その実現に邁進した息子・幹一郎。
清冽な二つの魂の航跡は、一本の航路となり、いま鮮やかに蘇る!
「正二郎はね」と、折々に父を語る息子・幹一郎の話を
傍らで聴いてきた著者が、創業者父子の崇高な精神と郷土愛にうたれ、
万感の思いで紡ぎ上げた渾身の物語。
こんな時代だからこそ、二人の生きざまが胸に迫る!
石橋正二郎(1899-1976)
九州久留米に生まれ、家業の仕立物屋から出発し、
常に独創的なアイディアで社業を伸ばし、戦前に日本初のタイヤメーカー、
ブリヂストンを創業する。社業の傍ら、私財を投じて、郷土・久留米の文化
施設をはじめ、さまざな文化事業を行う。
石橋幹一郎(1920-1997)
正二郎の長男として久留米に生まれる。父の跡を継ぎ、ブリヂストンを
世界一のタイヤメーカーに育てる。また、父の理想を継承し、さまざな
文化事業を行うと同時に、「企業は公器である」との理念のもと、
ブリヂストンを同族会社から脱皮させる。
【著者紹介】
1940年生まれ。ブリヂストン在職中、創業者石橋正二郎と久留米の歴史文化継承活動に務める。
また作曲家・團伊玖磨との親交から「團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会」を主宰。
主な著書に『團さんの夢』(出窓社)などがある。
【書評から】
「功績の行間」残したい
(前半部略)
中野さんは労務・総務畑を歩み、70年代に文化団体会長を務めた幹一郎氏を補佐。
たびたび 語られる創業者の秘話に魅せられた。80年代後半に久留米工場に転勤になると、
創業60周年を控え、名誉会長となっていた幹一郎氏とゆかりの地を巡る。
秘話を書き留めては後日、幹一郎氏に添削してもらった原稿を大切に保管してきた。
その幹一郎氏も97年に他界。中野2さんも2000年に定年退職したが、「創業者の功績の
行間を埋めるような生々しい秘話。自分の胸にとどめておくのはもったいない」と書籍化
を決めた。
ただ、完成には5年かかった。「故人の話だけに裏付け作業は慎重にした」。文献や新聞
記事を調べ、全国の関係者も取材。100話のうち最終的に60話を厳選した。
「正二郎はね。厳冬に耐えて静かに花を咲かせる梅が特に好きだった」。創業地そばの
梅の名所「梅林寺外苑」はかつて正二郎の尽力で整備され、今、人々が憩う。「世の人々
の楽しみと幸福のために」を理想にした企業家。その足跡は地元に確かに残っている。
(日本経済新聞・夕刊・2013年1月28日)
◆
書名の正二郎とは、わが国初の国産タイヤ会社ブリヂストンの創業者・石橋正二郎の
こと。その正二郎と、会社を受け継ぎ世界一のタイヤ会社に成長させた2代目の幹一
郎父子の精神の軌跡をたどった企業物語。
17歳で家業の仕立屋を継いだ正二郎は、自ら考案した地下足袋で巨財を築き、タイヤ
製造へと乗り出す。一方で「世の人々の楽しみと幸福のために」という人生訓を生涯
貫いた氏は、郷里の福岡県久留米市に私財を投じ、多くの文化教育施設を寄附している。
一方の幹一郎は「企業とは公器である」の精神を貫き通した。発祥の地・久留米に残る
事跡をたどりながら、2人の歩みとその高貴な経営理念をつづる。
(日刊ゲンダイ「今日の新刊」・2012年11月30日)
◆
ブリヂストン 石橋父子の物語
中野さんは同社の東京と久留米の工場総務課長などを務めた。社史に関する調査や
文化事業に関わった時期もあり、幹一郎氏から直接話を聞く機会が多かった。
「父・正二郎さんへの親しみを込めて語る幹一郎さんの姿と、親子二代で受け継がれた
精神を書き残したい」。中野さんは、幹一郎から直接聞いた話のうち、関係者の証言や
新聞記事などで確認できた60の話題を選び、肉付けして文章にまとめた。著書名の
『正二郎はね』は、正二郎氏について話すときの幹一郎氏の口癖からとった。
中野さんが注目したのは、同社を世界的なタイヤメーカーに育てた正二郎氏が、故郷の
久留米に教育、文化面で多くの貢献をしてきた点だ。正二郎氏が市に寄贈した石橋文化
センターの石壁には「世の人々の楽しみと幸福の為に」という正二郎氏の人生訓が
刻まれている。(以下略)
(朝日新聞・九州版・2012年11月9日、河原一郎)
◆
<世の人々の楽しみと幸福のために>
福岡県久留米市にある石橋文化センターの正面石壁には、センターを寄贈したブリヂストン
の創業者、石橋正二郎の自筆文字が刻まれている。本書は元同社員で同社の文化活動に
関わった筆者による、正二郎と息子の幹一郎、二代にわたる評伝である。
17歳で家業の仕立て物屋を継ぎ、地下足袋を考案して財をなし、本邦初の国産タイヤ会社を
興した正二郎は、冒頭に掲げたモットーを生涯貫き、出身地である久留米市の発展に貢献した。
後を継いでブリヂストンを世界トップクラスの会社に育て上げた幹一郎も父同様、地域の人々
を忘れることはなかった。
タイトルは、幹一郎が筆者に父の業績や人物像を語る際の口癖から採ったという。その幹一郎も
1997年にこの世を去った。本書は久留米市に大きな足跡を残した2人の魂の軌跡を記すとともに、
企業と企業人の在り方を問い直す一冊ともいえる。
(西日本新聞・読書欄・2012年11月11日)
◆
|