■作品内容
日本を代表する作曲家・團伊玖磨さんは、2001年
5月17日、訪問先の中国・蘇州で客死された。
戦後の日本の音楽界をリードし、6つの交響曲と
国民的オペラ「夕鶴」、合唱組曲「筑後川」
「西海讃歌」、歌曲「花の街」、童謡「ぞうさん」
など数々の名曲を作曲し、また名随筆『パイプの
けむり』で多くのファンを魅了した團さんが辿った
人生とは? 幻となった交響曲・第7番とは?
父祖の地・九州への想いとは?
三十数年の長きにわたり、團さんを身近で見続けてきた著者が、渾身の想いで
綴る、人間・團伊玖磨の素顔と夢と志。
《目次》
第一章 九州、こころのふるさと
西海讃歌/「中江」のけっとばし/三十年先が見えてきた/
「河口」と團さん/余韻
第二章 邪宗門交響曲
樟/團さんと久留米のまちと音楽と/團さんが語る「記憶の
中の團琢磨」/火野葦平と團さん/邪宗門―交響曲7番/
團さんとお酒の思い出/團さんと『青年』
第三章 一衣帯水、東アジアの海
だご汁の歌/ぞうさん/花の街/エツ/一衣帯水/輪になって
いくのが楽しみ/河口夕映
第四章 團さんの「志」
白秋のまちの音楽会/訃報/團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会
【著者紹介】
1940年生まれ。久留米市在住。
ブリヂストン入社後、故石橋幹一郎会長に團伊玖磨氏を引き合わされて以来三十
数年間に渡り、團さんの九州での公演・作曲活動をサポート・プロヂュースする。
(社)日本吹奏楽指揮者協会九州支部理事。
現在「
團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会」代表として、筑後川流域コンサートのプロ
デュースなどで、活躍中。
主な編・著書に『石橋文化ホール、開場す』『筑後川』などがある。
【書評から】
團伊玖磨さん作曲「筑後川」の中国公演を実現した中野政則さん
「先生、来ましたよ」。公演前夜、会場で作曲家・團伊玖磨さんの遺影に語り
かけた。楽譜発行が14万部を超える合唱界の大ヒット、組曲「筑後川」が1月
20日、中国・蘇州に響いた。訪中60回を数えるほど音楽で交流を重ねた團さん
が、客死した地だ。
歌い手は九州を中心に日本各地の合唱愛好家たち。蘇州市側との折衝にあたり、
プログラムも作成。引率した200人が大河の悠々たる流れをおおらかに歌い上げ
ていく様子を、舞台の袖で見守った。(後略)
(朝日2007年2月4日・「ひと」欄)
◆
音楽愛した心情伝える
中野政則『團さんの夢』は、読んで大変気持ちのよい本であった。
著者は「團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会」代表ということだが、一個の律儀な
市民、サラリーマンとしての生活をまっとうにいとみながら、音楽を愛し、
團伊玖磨の人と音楽とを深く敬慕してきた人の心情がどのページからも伝わって
くる。
團伊玖磨の祖父團琢磨が血盟団の手で暗殺されたのは昭和七年のことだが、
平成十三年大牟田で開かれた團琢磨展に凶弾の痕の残る上着が展示された。
この遺品展の計画について相談しているときに、團伊玖磨は琢磨がピストルで
撃ち殺されていたとき着ていた上着も出しましょう、と自ら言い出したという。
「門外不出」だったその服をもあえて出そうと決断した、という事実は、團伊玖磨
が中野政則の誠実謙虚な人柄をいかに深く信頼していたかを物語ってもいるだろう。
私が気持ちよいと読後感を記すのは、團伊玖磨に対する至純なまでの尊敬と追慕
の心にこの本がつらぬかれているからである。
(松原新一・久留米大学教授・文藝評論家)
(「よみうり文芸時評」読売新聞2003年5月27日・夕刊)
◆
三回忌を迎える作曲家・團伊玖磨の九州における活動を中心にまとめた追悼書
である。著者は三十数年にわたり、團の身辺にあって、九州での作曲や公演を
サポートしており、現在は「團伊玖磨さんの音楽を楽しむ会」の代表をつとめる。
團は東京生まれだが、祖父は三井三池炭鉱の近代化を導いた財界人であった。
團にとって九州は心の故郷であり、九州関連の作品は四十曲を超える。未完の
第七交響曲も北原白秋の「邪宗門」を主題としていた。
團自身、「芸術家としての名を上げようとか残そうとか、そんなけちな気持ちで
ペンを握ったことなど、一度もない」と断言している。流行や新しさを目標にせず、
人々の音の財産を蓄積することを願い、作曲したのである。
(産経新聞・2003.5.11(日))
◆
作曲家・團伊玖磨は2001年5月、旅行先の中国・蘇州で急死した。享年77。
今年5月17日が三周忌になる。
東京音楽学校(現・東京芸大)作曲科を卒業後、歌曲「花の街」「ぞうさん」、
オペラ「夕鶴」「楊貴妃」のほか、合唱組曲「筑後川」「大阿蘇」など九州に
ちなんだ作品を50曲ほど残している。
随筆家としても知られ、アサヒグラフ連載「パイプのけむり」は1842回も続いた。
本書は久留米音楽文化協会元事務局長で、現在「團伊玖磨さんの音楽を楽し
む会」代表の著者が37年にわたる團との交遊のあれこれ、創作裏話や発表後の
反響などをつづった心温まる追想集。
【読みどころ】
祖父の團琢磨は大牟田の三井三池炭鉱の近代化に貢献、のち三井財閥の総帥と
なったが右翼に暗殺された。父母も九州の血が流れている。
さらに妹が久留米でブリヂストンタイヤを創業した石橋家に嫁いだこともあって、
團と九州の因縁は深い。
東京で生まれ育ち、横須賀に住んでいた團だが、父祖の地は心のふるさとだった。
合唱組曲「筑後川」は久留米音協合唱団5周年記念に委嘱され、同市に在住する
医者で詩人の丸山豊が詩を書いた。丸山は阿蘇山に源流を持ち有明海に注ぐ九州
一の筑後川を人の一生と重ねて劇的に謳い上げている。
團は作曲に苦労し、楽譜が届いたのは初演の3日前だった。
かくして1968年12月、久留米市の石橋文化ホールで初演され、みんな感動で涙、
涙だったという。この「筑後川」は幾度も再演され、最後の章「河口」は九州地区の
小・中学校の卒業式で今も歌われている。「筑後川」に続き、合唱組曲「西海讃歌」
「北九州」「大阿蘇」「筑後風土記」なども創作された。
次の大作は尊敬する柳川出身の詩人・北原白秋の「邪宗門」をテーマに交響曲を
作曲するつもりだったが、これは未完に終わった。
團いわく「九州には熱気溢れる風土がある」。
(日刊ゲンダイ2003年5月)
◆
團伊玖磨(1924〜2001)の九州での作曲・公演活動の後援者が、30数年の交友を
記した。父祖の地・九州への團の思いを通じ、その音楽と素顔が浮かびあがる。
(『サライ』2003年7月17日号)
◆
音楽は、創る人がいて、演奏する人がいて、聞く人ががあって、演奏する場所が
要る。
長い間レコードを忠実に再生する仕事をしてきて、電気的音響に比べて生の音楽の
持つ空間的な雰囲気の醸成がなみなみならぬエネルギーで人の情感を刺激する、
言葉では表現できない感動の高揚があることを数多く経験してきた。
著者が、團先生の音楽に傾倒したのは、当事者同士でしか解らないそれなりの
先生との対話があり、それなりの音楽による感動の集積があったのだろうと思う。
それだけに、先生の志を忠実に伝えようとされているのがこの本だと思う。
著者のこころの中のめらめらと燃えさかる先生への情熱を世の中の多くの人々に
向かって、わかってくれ、理解してくれと叫んでいるのではないかと思うのは、
一團さんファンの思い上がりだろうか。
(早崎日出太・「パイプのけむり・團伊玖磨全仕事」主宰者)
◆
その他、朝日新聞(2003年5月27日・福岡県版)で、「名曲・筑後川こうして出来た
秘話・素顔つづり出版」と大きな紹介記事が出ました。
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