■作品内容
花守り 進藤市長殿
花あわれ せめてはあと二旬
ついの開花をゆるし給え
進藤一馬市長からの返歌
桜花惜しむ大和心のうるわしや
とわに匂わん花の心は (香瑞麻)
昭和59年早春、福岡市南郊の桧原一丁目。
道路の拡幅工事で伐採寸前だった桜並木に添えられた一市民の短歌から不思議な花のドラマが始まった。
やがて湧き起こった「花あわれ」のコーラスと心のリレー。市民の叡智と行政の柔軟な対応が結びついて、池畔の桜の古木は、永遠の開花を約束された。
「花あわれ」の黙契のもと、名前も知らない者同志が繰り広げた見事な連係プレーの全容を初めて明らかにする、美しくも心温まる物語。(写真提供:西日本新聞社)
【著者紹介】
1928年愛媛県生まれ。54年、福岡相互銀行(現・福岡シティ銀行)に入行。
長年広報に携わり、現在は同行広報室顧問。96年『文芸春秋』に書いた桧桜助命のいきさつが評判を呼び、
小学校教科書の副読本に採用されている。
【書評から】
人は桜に、人生の春秋を重ねる
「花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え」。
3月のある朝、桜の木々に句が懸けられていた。
わずか九本の並木だが、町の人々を潤してきた命。
それが全て、開花を目前に、道路拡幅のため切られようとしていた。
“最後の花が咲くまで、せめてあと20日の命を”との願いが託された、詠み人知らずの歌。
そこから歌のリレーが始まった。桜に吊るされた市民の歌が、日ごとに増えていく。
その中の一首に「桜花惜しむ大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は」と。市長からの返歌だった。
この福岡市南区の「桧原桜」は命を長らえ、公園となり、28年後の今年も蕾を開き始めた。
「さまざまな事 おもひだす桜かな」(芭蕉)。人の思いを写して桜は咲くのであろうか。
人は桜に、人生の春秋を重ねる。そこから物語が生まれる。<以下略>(飛)
(聖教新聞・朝刊「名字の言」 2012.4.2)
◆
一片が我が人生か花吹雪
春近しを思わせる陽気に誘われて、きのう桧原桜を見てきた。傍らの池に沿って市が公園を整備中と聞き、
その様子を見ておきたかった。(中略)
桧原桜の方に行くと、石碑のそばの金網に小さなポストが掛けてあった。
まだ新しい。案内書きに「桜並木を守った方が書かれた本が二冊入っています。
読後はお戻しください」とある。開けると一冊は貸し出し中だった。(中略)
設置されたのはつい最近だという。設置者は分かっていない。ポストの中にはこんな俳句が添えられている。
「一片が我が人生か花吹雪」
想像するに、冷たい話ばかりの現代ではないことを教えてくれた物語を知る一人として、語り継ぐ輪を広げる手伝いを、
と願う誰かが思い立ったのだろう。
都市高速で風景は変わっても、桜との契りがはぐくんだ心の景色は変わらない。
(西日本新聞・「春秋」 2008.2.29)
◆
花あわれの黙契
咲くも桜、散るも桜。人の優しさに命を救われた桜並木が福岡市にある。
「桧原桜」といい、回生二十三年目のことしも満開の花をつけた。
花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え道路の拡幅で切られる運命の桜を救った詠み人知らずの歌だ。
花吹雪に身を置くと、「花あわれ」の思いを短冊に託し次々と枝を飾った、物静かな市民の姿が目に浮かぶ。
口に出さずとも心が通じることを黙契という。こころ温まる花守りたちのことは「花かげの物語」に詳しい。
「あまた あまた恩寵うけし花の宴」と感謝しつつ、桜前線は北上する。(獺)
(日経新聞・夕刊 「波音」 2006.4.11)
読むたびに、心がじんわり温かくなり、目頭が熱くなるのです
元気をなくしているとき。ちょっと落ち込んでいるとき。いまひとつやる気がでないとき。
あるいはスランプ気味のとき…。人はどうしているのでしょうか。解決法はあるのでしょうか。(―中略―)
そんな元気回復法を実行している僕なのですが、最近、もう一つ回復法が増えました。
ある本を読むことです。この本のあるところを読むたびに、鼻先にツーンとくるものがあって、目に水分が溜まり、
文字がぼやけてきます。僕は読み続けられなくなって、本を閉じ、フーッと息を吐いて上を向きます。それが気持ちいいのです。
『花かげの物語』(出窓社発行)と題したその本は、一カ月ほど前に福岡市に住む著者の土居善胤さんという方からプレゼントされました。
何の先入観もないまま読んだら、これが大当たり。読むたびに、心がじんわり温かくなり、目頭が熱くなるのですね。
ひとことで表せば、伐採される運命だった桜の木が「あること」から救われる実話です。
感動的です。人間ってステキだな、と思います。とてもいい話が、淡々とつづられています。
そういえば「花かげの物語」というタイトルも、穏やかな優しい響きです。温かさがゆっ
くり広がる時間は、いまの僕の貴重な財産になっています。(臼井栄三・コピーライター)
(『あ、そのコピー!292回』北海道新聞・夕刊・2003.4.4)
誰もいないところで周りを気にせずに読みたい
(―前半部略―)
こんな事が実際の出来事だと思うと、読みながら涙が出そうである。涙を目に溜めて読んでいるところを見られたくない。
誰もいないところで周りを気にせずに読みたいというのが私の率直な感想である。いい話すぎて敬遠したくなるという人も、
たまにはこんな本も読んで欲しいと思う。(えちごや)
(月刊タウン情報とやま 2002.5月号)
◆
花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花をゆるし給え
十八年前、道路拡幅工事で伐採寸前だった福岡市南区桧原地区の桜並木「桧原桜」に著者がつるした、
進藤一馬福岡市長(当時)への”命ごい”の色紙から不思議な物語が始まった。(中略)
その経緯と花守たちとの交流を、著者は淡々と描く。桧原桜は今年も満開。
(日本経済新聞 2002.4.1)
◆
(―前半部略―)
桜の命は守られ、あれから十八年になる。詠み人知らずだった歌が、地元の銀行員土居善胤さん作とわかるのは、
ずっと後のことだった。桜からの代筆として、その土居さんが『花かげの物語』(出窓社)を著した。 (―中略―)
いや、「花守り」はこの二人だけではなかった。桜の木には、命ごいの歌の短冊や色紙が次々とかけられた。
花のかげで、顔も名も知らない同士が「花あわれの黙契で結ばれた」と、土居さんは振り返っている。
黙契とは、口に出さなくても心が通じ合うこと。地元の企業経営者、中学教師、新聞記者ら、
その「花守り」たちが五年前に初顔合わせをして、以来、恒例となった花見の宴が一昨日催された。
例年よりずっと早い満開だったが、桧原桜はその宴を待っていてくれた。まだ見事な花を残していて、
「花守り」たちの肩に降る花びらもまた桜たちからの礼状だったかもしれない。
(読売新聞「編集手帳」2002.4.1)
◆
その他、西日本新聞・夕刊3.23、西日本新聞「春秋」3.26、毎日新聞・夕刊「私の読書」3.18、
毎日新聞「福岡都市圏」4.12、望星6月号など多数。
●フジテレビの「アンビリーバボー」で放送されました。
・タイトル:名も知らない者同士の桜のリレー
・放送日:2017年4月20日(木)19:57から
・写真は桧原桜と著者(テレビ画面より)
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