■作品内容
海外赴任した夫を追ってイギリス留学した学生時代から、3人の娘を育てながらの<
研究生活、生死の境を彷徨った自らの病と最愛の夫との悲しい別れ。
女性として科学者として、小さな体に満身のパワーで駆け続けてきた日々と、
湯川秀樹、朝永振一郎、千葉敦子など、数々の出会いに彩られた半生を語る。
【著者紹介】
1938年大阪府生まれ。京都大学理学部物理学科卒業。
同大学院博士課程修了。理学博士。
アモルファス研究の第一人者として世界的に活躍。
とくにコンピュータシミュレーションで大きな成果をあげる。
96年には、女性初の日本物理学会会長を務める。
日本学術会議会員。
現在、慶応義塾大学理工学部教授。ニューヨーク市立大学
客員研究員など、海外での活躍も多い。
著書に「科学の世界にあそぶ」「科学する楽しさ」
「アモルファスな話」「ブラウン運動」「ランダムな世界を究める」など物理全般の
著書、訳書多数。
【書評から】
岡本敏子さんからの推薦
「子育てが忙しくて、研究生活がおざなりになりがちな著者を夫がさりげなく叱咤<
するシーンがあるの。これこそ、本当の思いやりだと思います。夫婦になっても、
互いにちゃんと向き合い、高め合って生きていく米沢夫婦のありように、真実の
愛のパワーというものを感じます」
(「日経ウーマン」2004年3月号)
◆
「のろけ」に悲嘆包み亡夫の魂担い生きる
何せ夫が社命で英国留学するが妻の帯同厳禁と知るや、手当たり次第あちらの
大学に手紙を出し、ついに奨学金つきの行き先を見つけて赴いたというのであ
る。生まれついての無鉄砲に無類の明るさ。怖いもの知らずの楽天家。まるで
「おんな坊ちゃん」のような物理学者米沢富美子の半自叙伝は痛快にして壮快
だ。
しかし、明朗な筆致で語られる人生にも、つらい、苦しい、不快なことはふん
だんに起きてくる。
彼女は「満身創痍」なのだ。最初の妊娠が胞状奇胎だった。三十代には筋腫で
子宮全摘出を受ける。四十代でがんのため両乳房を失った。「私はEカップ級
の胸で、自分でもそれがひそかな自慢だった」のに。だが、「一期一会の覚悟
で、毎日を丁寧に大切に生きていけばいい」と乗り切っていく姿勢が見事であ
る。さらに大きな悲しみに襲われる。三十五年を共にした夫に逝かれてしまう
のだ。(以下略)
(朝日新聞2000.9.10・評者・河谷史夫)
◆
米沢富美子さん
読み終わってよい本に逢えたなと、思うことがある。
書店のカバーをはずし、表から裏からあらためて装丁をながめ、著者の写真が
あったりすると、しばらく見つめてしまうことになる。
帯には「かけがえのない人をなくしたとき、人は物語を紡ぎ始める」とあった。
米沢富美子さん(慶応大教授・理論物理学)の「二人で紡いだ物語」である。
世界に響く超一級の物理学者であり、三度のがん手術に生死の間をさまよい、
三人の娘を育てたのち、五年前に、京都大で同窓の国際金融家であった夫を
六十歳でなくす半生記である。
(中略)
多額なローンの後始末に「どないしてくれますのんや、ほんまに」と、物理学
者の妻はこぼす。
夫は「女房のほうが僕にほれとるんや」と言っていた。と亡きのちに聞かされ、
あちらで再会したとき「いい女になったなあ」と言ってもらえるような、一期
一会の日々を重ねようと、米沢さんは結ぶ。
勇ましさと可愛らしさに溢れている。(加茂紀夫)
(読売新聞2001.1.19)
◆
じっくり命を見据えてみる
「命」という大きなテーマから目を逸らさずに生きる女性は、日本にもいる。
アモルファス研究の第一人者として広く世界に知られる米沢富美子さんだ。
「二人で紡いだ物語」は仕事と家庭の共立を見事に成し遂げた彼女は自らの
半生を綴ったもの。米沢さんは新婚早々、海外赴任した夫を追ってイギリス
留学をしている。物理学者としての人生もここから始まった。3人の娘を育
てながらの研究生活、生死をさまよった病との闘い。度重なる苦境の中でく
じけそうな時もあった。なのに今度は、最愛の夫を失ってしまう。読み進む
につれてしだいに癒えていく著者の心情が深く胸を打つ。(萩原基子)
(「クロワッサン」2001.3.25号)
◆
感動を呼ぶ夫婦の物語
(前半略)
二人の出会いは大学のエスペラント部。以来、充晴さんはいくつかの「名言」で
米沢さんを励ます。
学生時代は「がんばって、二人のうちどちらか一人でもいいから、必ず博士号を
取ろうね」。
京大の助手時代、家事と育児にへとへとになっていたときには「最近、君が勉強
している姿をあまり見なくなったよ。怠けているんじゃないのか」。
育児を手伝わない夫に、普通なら言葉を返すだろうが、米沢さんにとっては「目か
らうろこ」。気持ちを引き締めて仕上げた論文は後に学者としての出世作となった。
本では初めて、乳がんとの闘いも公にした。病を乗り越える姿に他者は「ひたむきさ」
を感じるが、本人は「危機感が欠落しているんですね。客観視できないというか…」
と話す。
時間を大切に生きてきた二人の会話が生き生きと記されているが、クライマックスは
別れの瞬間。「われわれの結婚生活が凝縮されたような至福の時間だった。私は、
今までのどの時よりも、夫の心の近くにいた」。こんな別れがどうして可能になる
のか。秘密は二人の軌跡にある。
(「信濃毎日新聞」2000.11.4)
◆
すがすがしい愛の物語
これは知的エリート夫婦のまことにすがすがしい愛の物語である。
夫は証券会社のエリート社員で、海外勤務の経験もある国際金融のエキスパート。
家事育児にはノータッチだが、妻への適切な助言、励ましは忘れない、頼もしい
存在である。妻は著名な物理学者で、アモルファス(非結晶物質)や複雑液体の
研究により猿橋賞・科学技術庁長官賞など受賞。現在、慶応大学理工学部教授、
日本物理学会会長を務める。
2人は京都大学のサークル「エスペラント部」で初めて出会い、卒業間もなく結婚。
それぞれ一心不乱にキャリアを磨き業績を挙げながら、3人の娘を育て、お互い
大病を経て、なおも前向きに生きていく。そして還暦を迎えた夫を見送ったのちに、
幸せだった日々を妻が回想し、つづったのが本書である。
【読みどころ】
ここには夫婦の葛藤やドロドロしたものはみじんも出てこない。読者は2人の
のろけ話を聞かされてるような気がする。 ただ、それが嫌みにならないのは、この
エリート夫婦の人徳か。
妻が学位を取得した時、夫は大変喜んだ。
「人間、40歳までに人生が決まる。僕もがんばるから、君もこれからもがんばれ」
と励ました。
後年、夫が会社(山一証券)を辞めたいともらした時の妻(著者)のセリフもいい。
「辞めたいと思うのなら、私は賛成だよ。会社なんて、楽しくて行くのならいいけど、
いやなのに無理して行くほどの代物ではないわ。私のお給料があるのだから、
私が養ってあげる」
2人はまことに人生の良きパートナーだったと言えよう。
感動的なのは病室で夫の最期を看取るとき。目を閉じて何時間も反応しない夫の
耳元で、妻が必死に感謝の言葉をしゃべりつづける。
「まあちゃん、ありがとう。たくさん、たくさん、ありがとう」
「この先、何が起ころうとも、二人は永久に一緒だよ。二人は出会えてよかったね」
すると、突如夫が目を開き、妻を胸に抱きしめたという。
(日刊ゲンダイ・2000年9月)
◆
その他、「週刊朝日・マリコのここまで聞いていいのかな」(2000年12月1日号)、
「なごみ」(2000年10月号、「中央公論」(2001年9月号)、「婦民新聞」
(2001年1月1日)、「ミマン」(2001年4月号)など多数。
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