■作品内容
長年連れ添った配偶者の死。残されたものはその後の
人生をどう生きてきていけばよいのか。
上智大学コミュニティ・カレッジに集った女性たちが、
十人の体験者の取材を通して、共に涙し考えた、
悲しみの置き場所。
《目次》
1 十三年の時をこえて
……山本三千子(1985年航空機墜落事故で夫を失う)
2 冷たく冴えた月の夜
……小野隆(1997年乳ガンで妻を失う)
3 一番弟子と言われて
……林順子(1997年食道ガンで夫を失う)
4 生を終えるということ
……神馬亥佐雄(1996年乳ガンで妻を失う)
5 葉山の海のやさしさに触れて
……ドロシー・ブリトン(1979年心臓病で夫を失う)
6 一日一課題
……加藤明(1993年脳梗塞で妻を失う)
7 満たされた思い出の中で
……尾井静代(1991年胸膜炎で夫を失う)
8 別れという名の解放
……岩崎和代(1990年脳梗塞で夫を失う)
9 天国の門
……木村伊代子(1996年胆嚢ガンで夫を失う)
10 あの夏の別れから
……和田俊(1993年甲状腺ガンで妻を失う)
【編者紹介】
1929年東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程修了。
上智大学コミュニティ・カレッジ講師。専攻はフランス中世文学。
エッセイ、小説、翻訳など多彩な活動を展開。
著書に「日本を愛した科学者」「伴侶の死」等。
《編者からのメッセージ》 …… 本書より
昨日も、そして今日も、多くの人々が配偶者と別れている。
長く平穏な暮しを共にした末の病死だったり、中年の突然死や事故死など、
その”別れ方”はさまざまであろう。
しあわせな結婚生活を送った人もいる。問題にぶつかりぶつかり、やっと起伏を
乗り越えるような人生を送った人もいる。生活も別離の迎え方にも、諸相がある。
だが、愛し合おうが、いがみ合おうが、配偶者を失った人びとが等しく直面する
ふたつの現実があるように思えてならない。
それは、相手は幽界に旅立ったのに反し、自分は生き残っているという現実である。
そして同時に、一緒に暮らそうが、別居しようが、その人とかかわりをもった何年間、
いや何十年間は、自分自身の中でも確実に死んだという現実である。
自己の中で失われる部分がどれほど大きいかは、人にもよろう。だが、相手の死と
自分の中での”死”――この二つによって、配偶者を失った人は押し潰されそうに
なってしまう。喪失感に悩まされることになってしまう。この辛さは、もしかしたら、
同じ体験をした人しか分かってもらえない性質のものかもしれない。
それは、配偶者を失ったときの私自身の実感でもあった。
(――以下略)
【書評から】
愛し合おうが、いあがみ合おうが、配偶者を失った人々が直面するが、
生き残った自分という問題。病死、事故死、突然死など、つらい別れを
体験した10人のインタビュー集。生きるというのは、たとえ一人になっても
もしかしたらすばらしいことなのかもしれない。
(「サンデー毎日」1999.5.9)
◆
編者は夫を失った後、夫を取り巻いていた人々を訪ね、その生涯を辿る記録
した『伴侶の死』を著した人物。本書は上智大学コミュニケーションカレッ
ジでノンフィクションの書き方の指導をする編者の生徒達が、配偶者を失っ
た一人一人のインタビューをまとめたものである。
昭和60年の日航機墜落事故で夫を亡くした女性、ガンで妻を亡くした男性な
ど、彼らが経験した別れはざまざまだ。そして、彼らが配偶者の死に何を思
ったかも、「悲しい」という感情だけではない。
登場する女性の一人は、今は亡き、感情の起伏が激しい夫に振り回された
日々について語る。そしてその日々から開放されて心の落ち着きを覚えると
同時に、そんな感情を持つ自分に罪悪感をもつ。全編を通してこのような葛
藤が率直に語れている。しかし、本書の力点はむしろこの葛藤からの脱出に
置かれている。(以下略)
(「清流」1999.8)
◆
編者が受け持つ「ノンフィクションの書き方」講座の受講生たちが、伴侶を
亡くした人たちにそれぞれ取材したインタビュー集。
残された日記や友人が語る思い出をたどり、改めて伴侶と対話することで、
伴侶の死という現実を受け止めていく過程が描かれています。
「夫が残していったものがいろいろな形で引き継がれていって、そのことが
私を立ち直らせてくれる」という言葉が印象的です。
(「ミマン」1999年7月号)
◆
その他、「25ans ヴァンサンカン」(1999年8月号)で、ノンフィクション作家の
最相葉月さんが、書評を書かれています。
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