■作品内容
事実は、小説よりもはるかに面白い!!
はたして、こんなにも過酷で、
こんなにもユーモラスな生き方があるだろうか?
1994年、バブルがはじけ不況風が漂い
始めた日本から、一人の中年男が、
単身アフリカへ渡る。
15年におよぶ内戦が終わったばかりの
モザンビークは、国土は荒れ放題、
世界屈指の超極貧国、そのうえ、コレラ
汚染地域にまで指定されていた。
商魂たくましい中国人華僑まで逃げ出し
たこの国で、なんのあてもない日本人が
<引き取った子供の治療をする著者>
商売をしようという無鉄砲さ!?
案の定、やることなすこと全てが裏目となり、超極貧国で一文無しになるという
辛酸を舐める。
しかし、戦後の競争社会を生き抜いてきた団塊世代。ここから、踏ん張る。詐欺師
や泥棒やたかりにもめげず、ひたすら頑張る。チマチマした日本社会のモヤモヤも、
不況風なども吹っ飛んでしまう、汗と涙と、なぜだかアフリカの空のように明るい
抱腹絶倒の奮戦記。
《本書の目次から》
1 怪しい支援団体
2 相棒は、元看護婦
3 モザンビークの自衛隊
4 モザンビークのロブスター
5 モザンビークの青い空
6 泥棒は、警官よりも呪術師よりも賢い
7 やっぱり医者はもうかる
8 詐欺師はへこたれない
9 わが息子はモザンビーク人
【著者紹介】
1948年北海道生まれ。自動車販売会社、観光バス会社、観光会社など、
様々な職業を経て、1994年に、単身モザンビーク共和国へ渡る。
現在、モザンビークの首都マプートで、22人の現地社員を雇い、
中古車の輸入販売会社「ICHII.LDA MAPUTO」を経営している。
【書評から】
バブルがはじけたとき、自分の会社の権利を売り払い、勧められるまま単身モザン
ビークに渡った著者。当時のモザンビークは、内戦終結直後で、過酷な国内情勢
だった。いざ仕事を始めれば、詐欺師にだまされ、泥棒に遭い、一文無しなった
ことも。だが、著者は決してあきらめず、現在は中古車販売会社を経営している。
どんな苦境にもめげない根性で、新しい人生に踏み出す人たちへ贈る応援歌。
(日刊ゲンダイ 2002.11.21)
◆
著者はモザンビークで遠藤さんを知らなければモグリといわれるほどの有名日本人。
中古車輸入業などを営む「自称不良中年」だ。94年のこの地を訪れたときは惨憺
たる有り様。世界屈指の超極貧国、そのうえコレラ汚染地区まで指定されていた。
華僑さえ逃げ出したというこの地で、遠藤さんは商売を始めようと画策する。
だが、ことは甘くない、ダマされて一文無しになったりして辛酸を嘗めた。
だが団塊オヤジはしぶとい。アフリカの現状がわかる痛快な一冊。
(「ミスターパートナー」2003.4.10)
◆
あふれる団塊世代の元気
(前半部略)
渡航のきっかけは、同国に眠る地下資源を狙う怪しい支援団体の誘いだった。
結局この団体とは縁を切るが、当てのないまま独り旅立った。「行かなければ後
悔する。ダメでも引き下がるのは悔しい」。この頑張りが異郷での日々を支えた。
盗みや詐欺は日常茶飯事。役人は因縁をつけ、わいろをたかる。警察は機能しない
が、呪術師の言葉は効く。「いかに要領よく逃げるかですね。正義ばかり言っても
仕方がない。理不尽に慣れるしかないのです」
九月に一時帰国した。モザンビークと比べて、日本の社会は病ん
でいると感じる。
「年長者を敬うので、例えば子供が親を殺すような陰惨な事件は
考えられない」
行って良かったとは今も思わないが、「私の生活の場はモザン
ビークだと考えています」ときっぱり語る。
養子のマダーラー君(10)と、「花の父子家庭」生活。マダーラー
君を日本の学校に通わせることと、モザンビークに自動車整備士の養成学校を設立
するのが夢だ。
(「北海道新聞」本・訪問/2002.9.22、「西日本新聞」本と人/2002.11.3)
◆
1994年、44 歳の著者は内戦終結直後のモザンビークへ旅立ちます。無謀にも商売
をするために。コレラに地雷、言葉も通じず、詐欺師にもめげず頑張ります。
字も書けない路上生活の子どもに、思わず涙する場面も。その子たちを引きとり、
悪戦苦闘を繰り返し、西の果てで汗水たらして頑張るおじさんからのメッセージ。
笑って泣いて元気が出る一冊です。
(「しんぶん赤旗」2002.9.30)
|