■作品内容
臨床哲学という新しい概念のもとに活動する著者が、難解とされる西田哲学を
平易な言葉でわかりやすく解きほぐし、現代の私たちが直面する様々な問題や
哲学上の難問に答える、新しいスタイルの哲学入門。
【著者紹介】
1950年山口県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
大阪大学大学院文学研究科教授。臨床哲学専攻。
共編書に「戦争責任と「われわれ」」がある。
【書評から】
哲学書は難解でつい伏せたくなりがちだ。しかしこれは臨床哲学(哲学を日常
生活の現場に生かす)という新概念のもとに活躍する著者が、難しいとされる
西田哲学の神髄を平易な言葉で分かりやすく解きほぐす。優しい話し口調で
現代人が直面するさまざまな問題に応える新しい哲学入門書だ。各章末のキー
ワードや小哲学講座も理解を助ける。
(毎日新聞2000.1.5)
◆
西田幾多郎には有名な「絶対矛盾の自己同一」など、難解な哲学用語が多い。
それらを分かりやすく、現実の生きた思想として読み説く。例えば「有るも
のは有るがままに永遠である」という命題も、幾多郎の学歴や就職の逆境、
妻子の相つぐ死という不幸を重ね合わせ、喜びや悲しみを一つの区切りとし
て、毎日を大切に生きる言葉と説く。西田哲学のキーワードや用語に関する
思想・人物の註解もある。
(東京新聞1999.11.21)
◆
西田幾多郎の名前は、日本を代表する哲学者として世界的にも知れ渡っている。
だが、他方で西田哲学といえば「難解」の代名詞ともなっている。「純粋経験」
や「絶対矛盾的自己同一」といった漢字だらけの術語、おまけに「…であるの
である」とか「…でなければならない」といった四角四面の文体とくれば、だれ
しも敬遠したくなるのは無理もない。その西田哲学の核心を、まさに「噛んで
含めるように」説き明かして見せたのが本書である。
たとえば、「純粋経験」について、著者は「『思慮分別』を捨てた素直な態度で
あり、決めつけをやめて柔らかく見聞きすること」であるとし、それを自分に素直
になり「自分が現在生きているリズムを大事にすること」へと敷衍しながら、現代
の不登校問題へと重ね合わせる。
(中略)
このように、哲学を日々生きる具体的な生活現場に関わらせつつ展開しようとする
著者の態度を支えているのは、「臨床哲学」の理念である。それを著者は「テクス
トを読んで討論するだけではなく、社会のさまざまな現場に自分から歩いていって
『出会い』を求める、新しいタイプの哲学」と特徴づけている。その意味で、本書は
臨床哲学の観点から書かれた「西田哲学案内」だと言ってよい。
西田哲学に初めて触れる高校生にも、かつて挫折して再挑戦しようとする年配の
方にも、自信をもってお薦めできる入門書である。
(中岡成文・河北新報2000.1.9)
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