【バックナンバー・5】 ******************************2005.1* その31 同い年の友だち 彼女の名前はアンジェラ。わたしの住んでいる地域の住民たちが、隣近所の人たちと顔見知りになることを目的に、年に一度か二度、誰かの家で開かれるホームパーティ(要するに「町内会の寄り合い」みたいなものかな) で出会った。 わたしたちは"同い年"だったので、すぐに仲良くなれた。 英語力の未熟さのため、みんなの会話についてゆけず、ひとりデッキに出て、夜空の星を眺めていたわたしに、アンジェラの方から声をかけてきてくれたのだ。 「こんにちは。お元気? わたしはアンジェラよ。あなたは?」 振り向くと、そこには、まるで空から舞い降りてきた妖精のような、フランス人形がそのまま人間になったような、それはそれは愛くるしい女の子の笑顔があった。 「あなた、今、いくつなの? 何年生?」 そう尋ねると、アンジェラは答えた。 「今12歳。六年生」 「じゃあ、わたしと同い年ね。仲良くしてね」 アンジェラは一瞬、不思議そうな顔になった。でも、わたしの説明を聞いて、すぐに納得してくれた。アメリカに来て、今年でちょうど12年になるわたしの「英語年齢」は、12歳というわけなのだ。 わたしは時々、アンジェラのお母さんに招かれて、彼女のおうちに遊びに行く。お母さんの焼いてくれたアップルパイや、手作りの苺のショートケーキを食べながら、アンジェラと一緒に絵本を読むのは、至福のひとときである。 アンジェラのお気に入りの絵本を、チョコレートみたいな甘い声で、読んで聞かせてもらうのも楽しいし、わたしが日本語の絵本を朗読しながら、その場で英語に訳してあげるのも、楽しい。彼女はわたしの日本語を耳で聞いて、その響きを楽しみ、覚えた言葉をすぐに使い始める。 その日わたしは、大好きな絵本作家、北見葉胡さんの作品を3冊携えて、アンジェラに会いに出かけた。 1冊目は「さぼてん」(講談社)。 ある日、おばさんに分けてもらったさぼてんくんに、水をやり、肥料をやり、刺を散髪をし、洋服を着せ、外に散歩にも連れて行ってやり、一生懸命育てているソマリーコのお話。でもある晩、夢の中でさぼてんくんは、ソマリーコのもとから旅立ってしまう。あまりにも熱心に世話をし過ぎて、枯れてしまいそうになっているさぼてんくんを見て、おばさんは言う。「刺は洋服の代わり。だから切らないで。日のよく当たるところで、水と少しの栄養をあげれば、また元気になるよ」と。 葉っぱも枝もなく、ずんぐりむっくりの躰に、チクチク痛い刺だけをいっぱい付けたさぼてんくんは、わたしの心の中に棲んでいる、わたしの永遠の友だち。永遠の友だちとは、わたしの夢、わたしの孤独、そしてわたし自身なんだと思う。 アンジェラもたちまちのうちに、さぼてんくんが大好きになった。彼女は「さぼてん」に出てくる小さな仲間たちに夢中になった。北見さんの絵には、人の心を深いところできゅっと捕えて離さない、ちょっと怖いくらいの吸引力があるのだ。 わたしは彼女に、2冊目の絵本「タマリンとポチロー」(講談社)を貸してあげることにした。これは、「さぼてん」の中で大活躍したタマリンとポチローが、わたしたちを森や遊園地や秘密基地や宇宙などに連れて行って遊んでくれる、なんとも愉快なクイズ絵本。 仕事に疲れた時などにふとページを開くと、いつのまにか、やりかけの仕事をほっぽり出してクイズの答え探しに夢中になっている。気がついたら、さっきまでの疲れはすっかり取れてしまっていて……大人にってはなんとも心憎い演出のなされた、非常に高級な遊びの場を提供してくれる、知的で洗練された絵本なのである。 クイズの部分だけを先に英語に直して、 「宿題。答えは、今度会ったときに教えてあげるね」 と、わたしは言った。アンジェラは 「うん、全部やっておく」 と、嬉しそうだった。 最後の1冊は、北見さんご自身からクリスマスにお贈りいただいた児童文学書。 タイトルを「ヒットラーのむすめ」(すずき出版/ジャッキー・フレンチ作/さくまゆみこ訳/北見葉胡絵)という。 わたしはこの作品を読んで、静かに、烈しく、打ちのめされた。「これほどまでに優れた物語を、今までに一度も、読んだことがなかった」とさえ思った。あらすじはあえてここには書かないけれど、一言でまとめてしまえば「もしも自分がヒットラーの娘だったらどうするか?」という問いに対して、いっさいの妥協、いっさいのまやかしなしで、100%リアルな、ストレートな、正しい答えを差し出してくれているのが、この作品なのである。 たとえばあなたは自分の子どもに「ヒットラーは悪い人だ。彼はとんでもない過ちを犯した」と教えることは、簡単にできるはずだ。しかし、もしも身近にヒットラーの娘がいたとしたら、あなたは子どもに、彼女とどのように付き合っていけばいいのか、正しく教え導くことができるだろうか。あなたはおそらく、間接的あるいは直接的に、なるべく我が子がその子とあまり深い関係を結ぶことのないよう、言い聞かせてみたり、なんらかの工夫をして、うまく遠ざけてしまったり、するのではないだろうか。 たとえば「ヒットラー」のところを「大量殺人を犯した犯罪者」という言葉に置き換えて、もう一度、胸に手を当て、正直な答えを導いてみて欲しい。 ありとあらゆる偏見で曇った親の目、社会の毒に染まって濁った親の心を、この本はすっきり消毒してくれる。 アイリッシュとジューイッシュの混血であるアンジェラに、わたしは尋ねてみた。 「ねえ、アンジェラ。もしもあなたの大好きなお友だちが、ヒットラーの娘だったら、どうする?」 彼女はあまり深く考えることなく、答えた。 あっけらかんとした、朗らかな笑顔だった。 「ヒットラーの娘でしょう? ヒットラーとは絶対に付き合いたくないけど、娘なんだからいいんじゃない?」 どんな子どもにも、もともと、偏見や差別意識は全くないのである。あとからわざわざそれを植え付けているのが親であり、時には学校であり、社会なのだ。あなたは、丈夫で無垢で強いさぼてんを、自らの手で、枯らしてはいないだろうか。 この本の中で、マクドナルド先生は、わたしと同じような質問を向けたマークに対して、このように答えている。 「歴史をみても、ほんとうに悪いことをした人たちの子どもが、親と同じくらい悪いことをした例は、ちょっと思いつかないしな。実際、その逆になる場合もあるんだよ。悪い人たちが善良な子どもをもち、いい人たちが悪い子どもをもつ場合も多いんだ」 素晴らしい答えだと思う。わたしも同感である。けれども、この作品を読み終えた時に見えてくる答えは、マクドナルド先生よりもさらにもう一歩、真実の領域に踏み込んだところに在る。ヒットラーは悪いことをした。戦争は悪いことだ。悪いことだと誰でもわかっているはずなのに、なぜ、人類の歴史からは、戦争が消えてなくならないのか。 ひとりでも多くの「大人」に、教育熱心な「親」に、読んでもらいたい1冊である。 ******************************2004.12* その30 感謝祭の”正しい”過ごし方 十一月最終週の木曜日。 今年は二十五日で、日本の祝日「秋分の日」から二日後だった。 さて、アメリカではこの日は、何の日だったでしょう? 答えは、猫も杓子も七面鳥を食べて、豚か牛になる祝日。アメリカ中で丸焼きにされる可哀想な七面鳥に、深く感謝しなくてはならない日。そのためかこの祭日は「感謝祭」(サンクスギビング・デイ)と呼ばれているのである。 というのは真っ赤な嘘だけれど、アメリカ各地の空港はこの日、七面鳥を食べるために、わざわざ故郷に戻る人たちでごった返す、というのは本当のお話。そう、日本の「帰省ラッシュ」にそっくりの現象が、アメリカでも起こるのだ。実家に戻って家族でお正月。これをアメリカに置き換えると「実家に戻って家族で感謝祭」となるわけである。 もちろん、例外もいる。私たちがそうである。 その夜、友人のジョーとボブから感謝祭のディナーに招かれて、彼らの経営するB&Bに出かけた。我々の共通の友人であるクレアもマンハッタンから遊びに来ていて、私たちは計5人で「友人と過ごす感謝祭」を楽しむことにした。 午後からおもむろに、それぞれの得意料理をてんでばらばらに作り始めて、夕方、テーブルに並んだのは…… 2004年11月25日 B&B マウンテン・ハウス サンクスギビング・ディナーの特別メニュー *オードブル バーベキュー風の海老のエスニック焼き セロリ、人参、赤ピーマン&アンチョビのディップ 三種類のチーズ&フランスパン グリーン・サラダ *メインディッシュ 七面鳥の丸焼き(とにかく、でっかい) ズッキーニ&カボチャ&ポテトのスタッフィン オイスター&ブレッドのスタッフィン ブロッコリーニのソテー、ガーリック風味 韓国風の春雨炒め 白身魚のピカタ *デザート パンプキンパイ2種類 レモンパイ カボチャのクリームブリュレ というような絢爛豪華なラインナップ。私たちは肉食はしないので、七面鳥は食べなかったけれど、それ以外は全部、美味しくいただいた。会話は弾み、ワインの栓は次々に抜かれ……と言いたいところだが、実はその夜は途中から、けっこう辛口の夜となった。 発端は、十一月の初めに結果が出た、かの大統領選。 いけない、いけない、その話題を出してはいけない、楽しい夜がぶち壊しになる、と、みんな頭ではわかっていた、はずなのだけれど、気がついたら、 「あれから二週間ほど、僕はすっかり落ち込んでいた」 「本当に、情けない気持ちになった」 「穴があったら入って、4年間、冬眠したくなった」 「アメリカ人であること、アメリカに住んでいることが恥ずかしい」 などと、みんな口々に、失望を語り始めていたのだった。 「僕だって、本気でカナダへの移民を考えたよ」 と言ったのは、ボブだった。アメリカでは、ブッシュの再選が決定的になった翌日、カナダへの移民の問い合わせ件数が、普段の6倍にも昇ったそうである。 「アメリカは、宗教国家の道を着々と歩み始めているのかもしれない」 と言ったのは私の夫(アイルランド&ユダヤ系アメリカ人)。「そうなったら、僕は日本へ行く」と、彼は決めている。 どうやら、今回のブッシュ再選劇の裏側には、アメリカ人の道徳観、倫理観の保守化傾向がぴたりと影のように、張り付いているようなのである。もっと具体的に言うと、保守化の二本柱とは「中絶の禁止」と「ゲイ結婚の禁止」。 「中絶も、ゲイ結婚も、要するに個人の問題でしょ? どうしてそれが一国家の行方を左右することになるのよ!」 と、酒の酔いも手伝ってか、語気荒く、怒りを表明するクレア。 中絶とゲイ。 その二語の組み合わせから、私が連鎖反応的に思い浮かべる、ある風景がある。 それはいつも近所で見かける、微笑ましい家族の風景だ。男同士のカップルが、両側から小さな子どもの手を引いて、仲良くお散歩している。そのカップルは、ティーンエイジャーが妊娠して、産んだ赤ん坊を養子として引き取り、育てているのである。 ゲイと中絶をどんなに禁止しても、これからのアメリカではこういう「家族」がどんどん増えて行くに違いない。 家族揃って、死んだ七面鳥の乗ったディナー・テーブルを囲むのが、正しい感謝祭の在り方だ、とブッシュ支持者は考えている。 では、その「家族」の正しい在り方とは? ブッシュ支持者はあくまでも、異性愛カップルに子沢山、というのを望んでいるようだが……その夜、ディナー・テーブルを囲んだ私たち五人は、私と夫=子どものいない夫婦、ジョーとボブ=もと、ゲイのカップルで、今はビジネスパートナー同士、クレア=レズビアンなのであった。 ******************************2004.11* その29 天才と狂気の狭間で歌う人 あるパーティで、その人に出会った。 出会ったというよりも、その人の姿を一目見て、彼の放つオーラに吸い寄せられてしまった……という感じだった。 「この人には『何か』がある」 と、そのとき直感で感じていた。 私の直感は当たっていた。 彼は自分のレコード会社を作り、9月にそこから自分のCDを出したばかりのミュージシャンだった。CDのタイトルは『I put the Hoe in Hoedown』。収録されている12曲はすべて、彼の作詞作曲。歌っているのももちろん彼である。 素晴らしいのは、それだけではない。彼の真の偉大さは、彼がオリジナルな音楽ジャンルをクリエイトしたところにある。名付けて、カントリー・ラップ。その名の通り、カントリーミュージックとラップをミックスした、全く新しいタイプの音楽なのである。 「アメリカで生まれたこの2つのタイプの音楽を巧く織り交ぜ、そこにコメディと物語性を加え、インパクトある劇場風な要素を盛り込んでみたんだ」 と、彼は語った。 それからしばらくして、私はコンピュータを通して、彼の音楽の一部を聴かせてもらった。炸裂するエナジーというか、弾ける火花のような、地面を揺るがす底力みたいなものを感じさせられる音楽だった。やはり「他に類を見ない独特な音楽」という強烈な第一印象。それでいて、前衛的な芸術にありがちのあざとさや排他性はいっさい感じられない。 彼はマンハッタンから北に、約30分ほど離れたところにある町で生まれ、育った。 お父さんは高校の先生、お母さんはビジネスウーマン。どちらにも音楽の才能はなかった。が「幼い頃から、自分は音楽をやるためにこの世に生まれてきた、と認識していた」という。 少年時代の彼は、病気がちなお母さんを喜ばせ、微笑ませるために、人前で演奏したり、演じたりすることに興味を抱いていた。 「小さい頃はロックンロールが好きだった。ステージに上がって歌うことが大好きだった。家にはピアノがあったんだけど、ラジオから流れる音楽を聴いただけで、僕はそれをピアノで再現することができたんだよ」 と、彼は早くから天才の片鱗をのぞかせている。 しかし、私が思うに、天才というのは決して、才能だけの存在ではない。才能を開花させる「何か」が必要なのである。 そしてその「何か」は、熱ければ、熱いほどいい。 「世間に流れている音楽は説教を兼ねている。僕はもっと謙虚でいたいと思った。僕は音楽で人に説教したくない。僕はラブソングも書かない。なぜなら世の中には、必要以上にラブソングがあふれているから。僕はもっと、魂に直接、はたらきかけるような音楽を作りたいと思った。もしも僕の音楽が人々に、笑顔をもたらすことができたなら、それは僕が社会に対して、何らかの貢献できたということだ。これ以上に素晴らしい夢があるだろうか」 そう、天才に必要な「何か」とは、夢である。夢見る能力であり、見続ける持続力であり、夢を現実に変えていく努力の積み重ねである。 私は、自分は天才ではないと断言できるが、クリエイターの端くれとして、「夢」がどんなに大切で、どんなに人を支えてくれるか、身に染みて、わかっているつもりだ。夢がなければ、どんな才能も開花しない。 高校を卒業した後、彼はニューヨーク州立大学に進学し、そこで演劇を学んだ。 演劇を学んだことで、彼の創造力にはさらに磨きがかかり、夢は現実という輪郭を持ち始めてきた。今回のCDも、実は彼が作り上げた、天才と狂人の狭間に存在する人物=Insane Shane Mckane を、彼自身が演じるという仕掛けになっている。カントリー・ラップというジャンルも彼の産物なら、それを歌っているミュージシャンもまた、彼の創り上げた人物であるというわけだ。 だから、彼の音楽は楽しい。刺激的だし、彼の言葉を借りるなら「ショッキングで、劇的で、可笑しな代物」。 でも、それだけじゃない。 面白いだけでは、楽しいだけでは、それは魂には響かない。 「売れれば何でも良いという今の音楽業界に、僕は不満を感じている。僕の音楽からもしもお金が生まれたならば、僕はチャリティー組織を作って、地球上のすべての生き物にそれを還元していきたい。僕にとって、人生で最も大切なこととは、自分が何を獲得できたかではなくて、自分が人々に何を与えたかだと思う」 鶏と娼婦を抱いてバイクに乗る天才ミュージシャン Insane Shane Mckane に会いたいと思った人は、彼のウェブサイト www.insaneshane.com を訪ねてみて下さい。 ******************************2004.10* その28 美しく織り込まれた歳月の重み ウッドストックの町外れの森の中に「マーベリック」という名のコンサート・ホールがある。ホールというよりも山小屋、あるいはログハウスと言った方がしっくりくるかもしれない。 あたたかで懐かしい木造りの建物を取り囲んでいるのは、オーク、メイプル、ブナ、ヘムロック、白樺、松、杉といった饒舌な樹木たち。パンフレットに記されている「Music in the Woods」そのままの佇まいである。 マーベリックでコンサートが開かれるのは夏の間だけ。演目もクラシック音楽に限られている。コンサートホールは、地元の有志たちの寄附と入場料によって支えられていて、有志たちのことは「Friends of Maverick」と呼ばれている。有志や観客の平均年齢は高 い。たぶん六十〜七十歳前後ではないかと推察できる。 真っ青に晴れ上がった空に、眩しいほど白い入道雲が巻き上がっている八月半ばの午後のことだった。 私は一時頃、コンサートホールに着いて、入り口付近の木陰にできている行列に並んだ。コンサートが始まるのは午後三時半。指定席というのはないので、良い席を取りたければ、早く来て並ぶしかない。行列にはすでに、数人が並んでいた。きょうの演奏者は上海クワルテット。演目はベートーベン、シューマンなどの弦楽四重奏。入場料は30ドルである。 私は用意して来た文庫本を取り出して、所在なく、ページを捲り始めた。 「あなた、マーベリックが好きなの?」 しばらくしてから、私のすぐ前に並んでいた上品な老女が声をかけてくれた。 「はい。とても」 そう答えると、彼女はいかにも嬉しそうに、顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。 「あなたのような若い人が、この古いコンサートホールを愛してくれることはとっても心強いわ。このホールを支えている人たちはみんな高齢者でしょ。私たちが死んでしまったあと、コンサートホールも潰れてしまうのじゃないかと心配なの……ところでそれ、中国語?」 彼女は私の持っていた文庫本に目を留めて、尋ねた。 「いえ、日本語です」 「まあ! 素晴らしいわね。外国語というものにはいつだってロマンを感じるわ」 それからしばらくの間、彼女と私は取り留めもない会話を楽しんだ。 若かかりし頃、彼女はシカゴの新聞社で働いていた。結婚してニューヨークへ。息子をふたり産み、育てあげたあと離婚して、ウッドストックへ。今はひとりで悠々自適の生活を楽しんでいるという。 「私、こんなおばあちゃんだけど、躰も心も健康で、とても幸せ。私はなんてラッキーなんでしょう。でも、この頃では、若い人たちが年寄りをまったく尊敬しなくなってきていて、すごく悲しいわ」 美しい人なのである。総白髪になっている髪の毛も、皺だらけになっている皮膚も、個性的なファッションも、喋り方も、物腰も、私を見つめる瞳も、何もかもが美しいのである。彼女の話は止めどなく溢れ、言葉は尽きることなく、待ち時間の二時間はまたたくまに過ぎてゆく。 「ところで、あなたのお名前は?」 「シルヴィアよ」 「詩人のシルヴィア・プラスと同じですね」 「そうね。でも私は、彼女の詩はあまり好きではないわ」 プラスは、優れた詩を残した才気溢れる詩人であるが、人生の苦悩に耐えきれず、ガスオーブンに頭を突っ込んで、三十歳の若さで自殺を遂げてしまった人でもある。 「では、メイ・サートンの詩はお好きですか?」 サートンもまたアメリカの詩人で、東部の片田舎でひとり庭を耕し、草花や動物を愛し、厳しい冬に耐えながら、苦悩や葛藤と向き合った孤高の人である。 「いいえ。彼女も素晴らしい詩人ではあるけれど、やはり彼女もその一生を闘い(ストラグル)に費やしてしまったわね」 なるほど、そういう考え方もあるのか、と思いつつ、私はあとひとり、私の愛読している詩人の名をあげてみた。 「エミリー・ディキンスンは?」 そう言った瞬間、彼女は痩せ細った手で私の手をぐっと掴み、強く握りしめた。 「ああ、神様。なんて素晴らしい! エミリー・ディキンスンこそ、最高に素晴らしい詩人よ。あなたにもそれがわかるのね? 彼女は魂の詩人よ。彼女は、闘いと苦しみばかりのこの世界から抜け出して、澄み切った魂の領域に到達できた人なの。 ……ところで、あなたのお仕事はなんなの?」 と、彼女が尋ねてくれたので、私はそれからひとしきり、自分の仕事について話した。 日本語で作品を書いている作家であること。中学生の頃からこの職業に就きたいと願い、それを目標に今日まで生きて来たこと。今書いている作品のこと。これまでに書いた作品について。そしてたまたまその時、私には頭を悩ませていたことがあったので、それについても打ち明けてみた。まるで優しいおばあちゃんに甘えて、愚痴をこぼすような気持ちだった。 私はその頃、九月に出る予定の小説の新刊『欲しいのは、あなただけ』の、書店での売り上げ成績がもしも思わしくなかったらどうしよう、と、ひどく気に病んでいたのである。 シルヴィアは言った。 私によくわかるように、一語一語丁寧に、はっきりと発音してくれた。 「あなたはどこかでボタンを掛け違えている。どうして、そんなことを心配するの? あなたはその作品を書き上げた喜びを、もっとちゃんと味わいなさい。素晴らしい作品というのは必ず、歳月を越えて残る力をたたえているものよ。そして作品を輝かせるのもまた、歳月の重みなの。 そんなに短い期間で、価値判断をしてしまっては駄目だし、でも、そんな風にしか物を見ることのできない人が、多すぎるのも事実ね。数字数字、売り上げ売り上げ、それがいったいなんなんでしょう? 笑いたくなるわね。でも、あなたは、少なくともあなただけは、そういう価値基準に戸惑わされてはいけない。 あなたは九年かけて、その作品を書いたと言ったわね。その歳月の重みを大切にしなさい。それを書いている年月に、作品と自分自身に、織り込まれたすべてのものを大切に。美しい人生とは、何かとの闘いでは決してないのよ。闘うのではなく、愛すること。愛し続けること。それが人生なのだし、それが作品の本当の力となるの。あなたが自分の人生と作品を愛していれば、その作品はきっと、多くの人たちの胸に静かに届くはずよ。このコンサートホールで聴くことのできる音楽のように」 その日、古い音楽と共にシルヴィアの言葉もまた、私の胸に、歳月の重みとその美しさを深く刻み込むことになった。 マーベリックの創立は1916年。森の中のコンサートホールは今年、創立89周年を迎えた。シルヴィアが生まれたのは1910年。彼女はもうすぐ九十四歳になる。 ******************************2004.09* その27 セラピストを紹介しましょうか アメリカ人の友人に、恋の悩み、失恋の痛手、あるいは夫婦生活のごたごたなどを打ち明けたなら、十人中八人はきっと、こんなアドバイスをくれるだろう。 「一刻も早く、セラピストとのアポイントメントを作りなさいね」 「あなたに最もふさわしいセラピストを紹介しましょうか?」 アメリカでは、特に深刻な悩みがなくても、あるいは傍目にはかなりうまく行っているように見えるカップルの中にも、定期的にセラピーに通っている人たちがいる。 身近なところでは私の義父夫妻(義父は義母と別れたあと再婚している)。彼らは毎月一度、「結婚生活を鼓舞するためのグループセラピー」(英語からの直訳)なるものに通っている。 いったいどのようなセラピーなのか、尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。 参加者は十組ほどの夫婦。集会場に着くと、夫と妻はそれぞれ別々の部屋に入る。つまり、夫たちは夫たちだけの、妻たちは妻たちだけのグループに別れてしまう。それぞれの部屋では毎回、交代で、誰かがセラピスト役を務める。テーマを決めて、各人がそれについて順番に話したり、ひとりの人の話に対して、残りの人が意見を述べたり、そのときどきによって進め方はさまざまあるようだ。 要するに、自分や他人の結婚生活に関して、話をしたり、聞いたりする。セラピーのかなめは「言葉」であり「会話」であり「対話」である。 集会が終わったあと、夫婦は一台の車に乗って家に戻るわけだが、車中ではきっと 「今日は誰がどんなことを話したの?」 「あなたは何を話したの?」 「それに対して、あなたはなんと言ったの?」 という会話や意見交換が為されるはずで、そのことが夫婦にセラピーの二次効果をもたらすことは、言うまでもない。 ちなみに、義父夫妻は五十代の頃に結婚したのだが、七十の坂を越えた今でも、結婚生活を”鼓舞”するべく、このグループセラピーを大いに楽しんでいる。 結婚生活はもとより、すべての人間関係において、会話や対話がいかに重要かということを、アメリカ人は徹底的に知り抜いているし、言葉の力を信じている、私にはそんな風に感じられてならない。長年連れ添った夫婦なら、なんでも以心伝心で、言葉にしないでもわかるはず……という考え方は皆無に近いようだ。アメリカの夫婦は「顔色を読む」「腹のさぐり合いをする」といったこととも無縁のように見える。 「黙っていたんじゃ、わからない。意見があるのなら、言葉で説明してくれ」 付き合い始めたばかりの頃、夫から、事あるごとに言われていた言葉だ。今ではちょっと言い過ぎかな、と思えるくらい、自分の思いや意見や感情を率直に「言葉にして表す」という習慣が、私にも身についてしまった。 一緒に暮らし始めて二十年余りが過ぎた今でも、夫婦喧嘩はかなり派手にやる。感情的な言葉ではなくて、理詰めの言葉の応酬が派手なのである。周りの人から見たら、喧嘩をしているというよりは、ふたりで何かについて議論している、という風に聞こえるかもしれない。我が家の場合、夫婦喧嘩に勝つ、ということは「相手を議論で打ち負かす」ことに近い。でも、激しい議論が終わったあとは、互いにすっきりして、仲直りもできでいるわけなので、やはり言葉と対話の力は大きいとつくづく思う。 私はセラピストに通ったことはないけれど、セラピスト的な存在を常にそばに置いている。もっと正確に言えば、ベッドのそばに。 そう、私のセラピストは本、なのである。 仕事上のちょっとしたトラブルで気分がもやもやしてしまったとき、なんとなく誰かの言葉に傷つけられたなと思ったとき、些細なことで夫と喧嘩をしていらいらしてしまったとき、私は夕方、まだ日が高い時分から本を一冊抱えて、裸でベッドの中に入る。 今の私にとって、最も優れたセラピストは、長編恋愛小説。息をつく暇も与えてくれず、ぐいぐい引き込んでくれる、お熱いのが大好きだ。 それを最初から最後まで、一気に読み通す。読み終わった時にはちょうど就寝時刻になっているわけなのだけれど、同時に、もやもややむしゃくしゃやいらいやはすっかり消え去り、心は澄み切った状態になっている。たとえ小説の結末が悲しい別れであっても、裏切られた主人公が頭を抱えて悩んでいても、それはあまり関係ない。ひとつの作品を読み終えたあとの感動で胸はいっぱいになっている。だからそのあとはすやすや眠れる。 やはり私も、本に書かれた「言葉」を読み、登場人物や作者と「会話」し、自分自身の心と「対話」することによって、深い癒しを得ているのだろう。 セラピストは本の中と、そして自分の中にもひとり、いるということかもしれない。 本選びに困った時には、三浦天紗子さんが書いた『ブックセラピー』(アンドリュース・プレス刊)を開いてみるといい。手のひらに心地良い大きさと形、ちょっとだけ落ち込んでいる心に、優しく染みてくる厚さと重さの本。 ページをめくっていくと、猫を愛する人の永遠のバイブル『アブサン物語』や、とにかく人生捨てたもんじゃないと思えてくる『放浪記』や、繊細で美しい玉手箱のような短編小説『停電の夜』など、私もかつてお世話になったことのあるセラピストたちが顔を揃えている。 また、選ぶのが難しい(と、私には思える)古今東西の名作や古典や翻訳書についても、本のソムリエ三浦さんの、明快かつ的確なあらすじ説明や抜粋を読んでいるうちに、今の自分に必要なのはどの本なのか、どんな年代の、どんな味の、どんな香りの本を選べばいいのか、わかってくる。ところどころでぽろりと零れる三浦さんご自身の体験談や本音が絶妙の隠し味。心を癒してくれる本の紹介文を読んでいるうちに、なんだか心が元気になってくるから不思議だ。 サブタイトルは「女性が元気になるためのブックガイド」。でも私は、男性にもおすすめしたい。誰かから、信頼できるセラピストを紹介して欲しいと頼まれたなら、私は自信を持ってこの本を紹介する。 ******************************2004.08* その26 美しい英語を話す人 オードリー・ヘプバーンは私にとって「初めて出会ったアメリカ人女性」である。 出会ったといっても、それはもちろんテレビ画面上での出来事。時は今からおよそ三十数年ほど前、私は近視用の分厚い眼鏡をかけて、日夜受験勉強にいそしむ、岡山の田舎の中学生だった。 日曜洋画劇場、という名称だったかどうかは定かではないが、夜九時頃からテレビで放映されていたオードリーの映画を、若かかりし頃の父と一緒に見た記憶がある。 映画のタイトルは『ティファニーで朝食を』でもなく『ローマの休日』でもなく『マイ・フェア・レディ』でもない。それはオードリーが、厳しい戒律を守りながら、神への忠誠に生きる若い尼僧を演じた『尼僧物語』と、密林の中で暮らす、まるで妖精のように可憐な、原住民の娘リマを演じた『緑の館』の二本だった。 この二作品の製作年はどちらも1959年なので、およそ十年ほどのちに、日本のテレビで放映されていたということになる。 ラブシーンが映し出されるたびに、胸がどきどきして、すぐそばで見ている父の存在を意識し、心の中で「ああ、父がお手洗いに立ってくれないかな」などと思っていたことを、懐かしく思い出す。 「なんてきれいな人、なんて美しい女の人、なんてなんてなんて……素敵! こんなにもきれいな人がこの世の中にいるなんて!」 と、私は小さなテレビ画面に映し出されるオードリーの姿に釘付けになりながら、衝撃にも近い感動と、憧憬の念を抱いていた。そして、そのとき、十三歳だった私の脳裏に、ある、間違った固定概念がインプットされてしまった。「オードリー=アメリカ人女性=美しい」。 アメリカで暮らすようになってから(いや、それ以前から)、この固定概念が木っ端微塵に崩れ去ったことは言うまでもないことだが、それでも私にとってオードリーはずっと「初めで出会った美しいアメリカ人」であり続けた。 いったい彼女の何が、それほどまでに私を惹き付けたのだろうか。 おそらく彼女には単なる「美貌」以外の何かがあったはずなのだ。 つい最近、編集者の友人が送ってくれた『オードリーのように英語を話したい!』(原島一男著 ジャパンタイムズ刊)を読んで、私はやっとその理由の全貌を理解した。 オードリーの出演した合計27本の映画作品を丁寧に辿りながら、スクリーンの上で彼女が話した印象的な英語の台詞を紹介しつつ、同時に、それぞれの役を演じていた頃の彼女の考え方、生き方、実際の人生がどのようであったかについても語られているこの本。読み進むにつれて、四歳で父と生き別れたひとりの少女が、どんな風に成長し、どんな夢を見、それを実現するためにどう努力したかが、くっきりと見えてくる。 二十二歳のとき、イギリスから船でニューヨークに渡って来たオードリーは、オーディションに合格し、翌年から『ローマの休日』の撮影に入り、その翌年、映画が公開されると同時に一躍スターの座に上り詰める。 その後の活躍は、世界中の人々の知るところである。 まるでシンデレラ物語そのもののような、彼女の人生。しかし、その成功の影には並々ならぬ努力があったし、人知れず流された涙があった。実人生において、彼女の結婚は一度ならず二度も壊れている。 『尼僧物語』と『緑の館』が撮影されていたのは、彼女が二十九歳の時。『緑の館』の監督は当時、彼女の夫だったメル・ファラー。残念ながらこの映画の興業成績と評判はそれほど良いとは言えず、事実上の失敗作となり、それが夫婦の破局に微妙な影響を与えたという。その翌年には別の映画の撮影中に落馬し、大けがを負い、その何ヶ月かのちには流産を経験している。 本書によると、1954年、『ローマの休日』アカデミー賞主演女優賞を獲得したオードリーは、あるとき写真雑誌『ライフ』の取材記者にこう語ったそうだ。 「土曜の夜から月曜の朝までアパートで、一人で過ごせれば幸せです」 十三歳だった私が衝撃を受けたオードリーの美しさの真髄は、おそらくこの「孤独の領域」にあったのではないか、と、今の私には思えてならない。孤独の領域とは、言いかえれば、その人の内面世界ということ。ひとりでいるとき、たったひとりで、いかに美しく過ごせるか。美しい心でいられるか。ひっそりとして、静かで、清楚で、澄み切った青空のように孤独で、超然として、美しい心。そういう心を持っていたからこそ、オードリーはスクリーンの中でも「美しい人」であり続けたのだろう。 美しい人は、話す言葉も美しい。 これは本書の帯に記されているコピーである。 本当に、よく言い当てている。真実を突いた言葉だと思う。オードリーの英語が美しいのは、彼女の心根、彼女の生き方、そのすべてが美しいから。 アメリカで暮らすようになって、早十年が過ぎるというのに、私には美しい英語がなかなか喋れない。でも、私には、「日本語」という世界に誇れる美しい言葉を話すことができる。アメリカにいながらも、美しい日本語が話せる人間であり続けたい。そんな風に考えている昨今である。 『オードリーのように英語を話したい!』は、英語学習書のみならず、エッセイ集としても大いに楽しめる作品である。猫のクッキーを抱いて、写真に写っておられる著者、原島さんの笑顔にも魅了される。これは私の偏見に過ぎないが、猫好きな人の書いた文章は例外なく「美しい」。 ********************************** 「バックナンバー4」へ 「バックナンバー6」へ戻る |