マプート便り

【バックナンバー・7】


******************************2006.9*
その42 フォークソング

 先日、日本から当地へ現地調査に来た知人(友人と言った方がいいほどの気が合う人)と食事をしていた時に「日本では、フォークソングが復活して親父連中がギターをかき鳴らして、歌っているんだって?」と聞いてみた。
「結構なブームですよ。遠藤さんの世代ですね。僕CDを持ってますから録音してあげますよ」
 と言う訳でたくさんの曲をもらった。以前から、もう一度聞いてみたい曲ばかりで、毎日パソコンのバックミュージックにして聞いている。
 昨夜、自分の部屋にウィスキーを持ち込み、ちびりちびりと飲みならボリュームを一杯に上げ、かぐや姫の曲を聴いていた、膝の上に菊ちゃんを乗せて。歌詞の一言一言が昔の自分を思い出させてくれ、「俺はどうして、こんな遠くアフリカまで来てしまったのだろう、こんな所で何をしているのだろう」と一瞬、ホームシックにかかったような状況なった。赤ちょうちん、神田川、なごり雪等の曲を聴くと昔の自分がオーバーラップしてしまう。あの頃は、ちょっとしたことが詩になり絵になった。それだけ感受性が強かったのだろう。遠い昔にどうしようもないくらいに惚れて付き合っていた女性も、今はもう街ですれ違っても分からないだろう。
 酔いのせいもあり、曲に合わせて大声で歌っていたら部屋のドアーが急に開き、息子が「何をしているの、夜中に。あーあー鼻たらして汚いの」
 我に返って「お前には分からないか、この名曲が!」と鼻声で言ったら「僕ね今、漢字の勉強しているの、静かにして。それと、顔を洗った方がいいよ」と軽く言い返されてしまった。最近では親に向かってタメ口をきくようになり生意気になった馬鹿息子め。
 後2年も経つと日本では団塊の世代が大量に退職し、それによって色々な分野での特需が始まると言われている。退職金が多額に入るような企業や役所を勤めきった人は、周りを見わたしてもほんの一握りしかいない。大多数は、ささやかな退職金で長年勤めてきた会社を去る。
 日本にいる友人で、離婚してしまったのがいる、熟年離婚である。5月に日本へ戻ったときに6年ぶりに逢って話を聞き驚いた。
「どうしてそうなってしまった?」と聞くと「妻は何年も前から考えていたそうだ。これで俺もお前と同じ花の独身だ」と強がってはいたが、かなりショックのようだ。離婚調停での決定では、2年後の退職金の半分は別れた妻に渡すことになっているそうだ。
 それを聞いて思わず「そりゃーお前、姥捨て山に捨てられてから、追い剥ぎに逢ったようなもんだな」と馬鹿なことが口から出てしまったが、本人も泣きそうな顔して笑っていた。
「せっかく独身に戻ったのだから退職したら外国へ出たら。お前、技術者なのだからどこにでも仕事の口はあるよ」と励まして「JICAのシニヤボランティアにでも応募すれば」とたいして参考にならないようなことを無責任に話したら「俺はお前と違い外国語は全く駄目だから」との返事。
「学校時代は、お前、断然成績が良かったろうが。俺は単なるアホだよ、歳をとっても頭の良いのは良いの、アホはアホなの。人間絶対必要となれば覚えるもんだよ」と訳の分からない励ましをしたら、なんと先日メールが届き退職を1年早めてJICAのシニアボランティアで南米に行くことになったと知らせてきた。
 一瞬、「まずい事を教えてしまったかな」という思いが頭を過ぎった。でも、妻子に捨てられた親父がぐずぐずと暗い生活を日本で送るより、南米に行って、まぶしい太陽のもとで仕事に精を出し、夕方には冷たいビールでもガンガン飲んで、若くて美人のお姉ちゃんとまた恋に落ち、ギター片手に訳の分からないフォークソングでも歌っていた方が人生楽しいだろう、と思うことにした。
 かくいう自分はというと最近、暗い。季節はだんだんと夏に向かい、街路樹のジャカランタの花も咲いてきたというのになんとなく落ち込んでいる。仕事はまぁまぁなのだが、何をやってもだらだらとしている。
 日曜日に半年ぶりに当地のゴルフ場(ゴルフバと呼ぶ)へと気分転換に出掛けたが、3番ホールで蛇のでかいのと出くわしてしまい、7番ホールでは打ったボールが木に当り跳ね返ってきて足に直撃してしまった。やはり休日は家でごろごろしているのが一番と悟った。
 マプートから北へ約500km行くと以前生活していた場所がある。最近、聞くところによると私が10年前にロブスターを採っていた海岸に、この季節、鯨が群れで海岸近くにいるそうだ。近々、会社を休んで10日間くらいテントを持って、その海岸へ行ってみようと計画している。知り合いに、その海岸でスキューバーダイビングで海に潜りジンベエ鮫に触ってきたという人がいる。以前スキューバーダイビングを試みて溺れそうになったことがあるので、潜りはやらず、昼間は海岸から双眼鏡で海を眺め鯨ウォッチング、夜はテントの周りで音楽をガンガンかけて近所のお姉ちゃんを誘い酒盛りをしちゃう。楽しい休日になりそうだ。

******************************2006.8*
その41 怪談

日本は連日の猛暑とのことだが、当地は真冬の時期なのにいつもの年より気温が高く過ごしやすい季節となっている。
先日、我が家で協力隊の若者数人と鍋を囲み酒を飲んでいた時の話で、「日本は真夏だけど、夏と言えば怪談ですよね」と一人が言い出した。
当地にも怪談話と言うか幽霊の話は沢山あるが、恐怖感は全く沸いてこない。小さい頃から近所で評判の臆病者だった私、二十歳過ぎまで暗い夜道の一人歩きはしなかった。特別な恐怖体験があったわけでもないが、とにかく幽霊話とか霊体験話は大の苦手だった。
ところが当地へ来てから、そんな事をけろっと忘れてしまったかのように恐怖感がわかない。たとえ、社員が「あそこの道には幽霊が出る」と言っても、逆に「どれ、行って見るか」との思いがする。
以前にも同じ事を考えたことがあるが、やはり自分が育った国の環境の影響が大きいのだろう。協力隊の隊員も同じことを言っていた。
若い頃、車販売の営業をしていた時のことである。函館近郊の海岸町で夜更けまで粘りやっと契約してもらった。もう夜中だし急いで帰ろうとした時、その家のお婆さんが「遠回りでも海岸の道をお帰り。峠を越えると近いが峠道には人を騙す狐が出るよ。それに峠のトンネルの入口にお地蔵様があるだろう、あそこで白い着物を着た女の人が出るそうだよ」
「ありがとうございます、気を付けて帰ります」とその家を出て車を走らせた。やがて峠と海岸を行く分岐点に差しかかった。時計を見たら午後11時、海岸を行くと2時間半、峠を越えると1時間で家に戻れる。契約が成立した安心感から余り考えずに峠道を選んだ。峠は照明もなく真っ暗ですれ違う車は全くない。だんだと恐怖感が出てきてラジオのボリュームを上げ、気を紛らわせ走った。やっと上り道が終わる頃トンネルの照明が見えてきた、手前にお地蔵様が立っている。わざとその方向を見ずに走り過ぎようとした時、トンネルの入口に白い着物の人影が確かに見えた。
思わず恐怖でブレーキを踏みそうになったが、アクセルを全開にしその場を走り過ぎた。怖くて、とてもバックミラーなぞ見る気がしなかった。
トンネルを出て、しばらくすると街の明かりが遠くに見えほっとした時、股間に異様な感じがして手を当てると何と失禁していた。
家に戻りそっと風呂場で着替えをしていたら、その当時の奥さんに見咎められた。正直に幽霊を見たと話したら「嘘をつくのだったらもっと上手な嘘を言いなさい」と思いっきりグーで殴られてしまった。
今でも時々思い出すが、あれはけっして幻覚ではなかった。
当地では何度となく一晩中一人で走り通したことがある。漆黒の暗闇で道の両側はジャングルである。しかし、全く恐怖感が沸かないし幽霊なぞ想像もしたことがない。恐いのは強盗と野生動物くらいで、生きている人間ほど怖いものはない。もっとも、闇夜で当地の人間の幽霊が出たとしても、暗くて分からないだろうが。
だが、犯罪に関しては恐いのが多い。数年前のことだが、イスラム教の坊さんに「人間の生首を持ってきたら高く買ってやる」と言われた当地の信者が、数日後、夜道で人を襲い、生首を袋に入れてイスラム教会に持って行ったことがあった。
生憎、坊さんが留守で教会の前で待っていたが、暑さのため生首が腐食し始め袋に無数のハエがたかった。不審に思った通りすがりの人達が警官を呼んだため、袋の生首が見つかった。
殺人犯の信者も素直と言えば素直だが、金の為なら何でもやるというのは恐ろしいことである。坊さんは3日後に当国より逃亡してしまった。
7月の始めにも猟奇的な殺人が起こった。某国大使館の職員の住宅で、ガードマンが首を落された。最初に聞いた時「えらい派手なことをするやつもいるものだ」と思った。広く大きな住宅で、住人は休暇で不在だった。幸いと言うか、いないから起きた事件とも言えるのだが、朝方、交代のガードマンが行ったら殺されていたそうだ。盗まれた物といえばDVDとテレビだけ、後は手付かずで残っていたという。
最初は、ガードマンは男の急所を斬られて死んでいたと聞いた。後で聞くと首と急所と両方らしい。となると怨恨以外ない。だが未だ犯人は捕まらずにいる。その家は海岸の道路沿いにあり、夜遅くに通りかかることがあるが、別に気味悪いとは感じない。
最近、一番背筋の凍る思いをしたのは、自宅の庭で草むしりをしていた時である。うっかり椰子の木のことを忘れ、一心に草をむしっていたら、ドスン!と頭すれすれに椰子の実が落ちて来た。あと1cmずれていたら今頃は頭蓋骨後部陥没で、この世から旅立っていたことだろう。庭に椰子の木があるなんて、南国情緒豊かなと思う方もいるだろうが、現実にはけっこう危険なもので、幽霊よりも恐怖感が味わえることがある。

******************************2006.7*
その40 モザンビークでW杯

涼しさを通り超し、毎日、肌寒い日が続いているマプートである。
本日も最低気温10度、最高気温が20度と暑い国に住んでいる人間にとっては結構な寒さである。当地へ住み始めてからこんなに寒い日が続くのは初めてのような気がする。これも異常気象なのかもしれないと勝手に想像しているが、このままなら例年一番気温の下がる来月には死人が出る恐れがある。
街中には、半裸に近い格好で、うろついている精神に障害を持つ人が沢山いて、街角のゴミ箱の近くで生活しているが、何となく心配になってしまう。

サッカーのワールドカップが真っ盛りだが、当地もサッカーが盛んで街中が盛り上がっている。モザンビークでもプロのサッカーチームがあり、リーグ戦で国内各地を転戦している。国立のサッカー場も立派なのがある。
以前に隣国のジンバブエのナショナルチームを招いて国際試合が行われた時のことである。ジンバブエのゴールキーパーが上手で、いくらシュートしても点が入らない。モザンビークの観客が誰ともなしに「ジンバブエのキーパーのグローブに魔法が掛かっている」と言い出し、それがだんだんと観客の中に広がっていった。
ジンバブエのキーパーにヤジが飛び、頭にきたキーパーは試合中にも関わらずグローブを脱ぎゴールの横にグローブを置いたまま守備についていた。
それだけでも笑えるのだが、さらに1人の観客が競技の最中にキーパーのグローブを盗もうとして、キーパーに殴られてしまった。
たちまち暴動が起こり試合は中断。おさまらない観客は競技場の外でも暴れ、おかげで駐車場にあった当社のミニバスも投石でガラスを割られてしまった。
翌日の新聞で、当時の大統領がジンバブエチームへの謝罪記事を載せた。大統領も情けなかったと思う。
当地の人達は、ポルトガルよりもブラジルの方が身近に感じているのでブラジルへの応援が凄い。日本代表の試合は全部見たが、クロアチア戦とブラジル戦は日本人がレストランに集まりワイワイと応援していた。クロアチア戦はかろうじて引き分けだったので、そう悔しい思いはしなかったが、ブラジル戦は先取点が入ったので、酒の勢いもあり、日本人が皆、狂喜乱舞した。
同じレストランには、当地の人間の方が多く、全員ブラジルびいきなので、ヤジの飛ばし合いになり、結果、日本が負けたため、言われ放題のヤジを浴びせられた。
思わずそばにいた日本大使館の職員に「もう、モザンビークには日本からの国際援助は止めよう」と言ったら。大使館職員は「ほんとだね」と渋い顔をしていた。

元来、サッカーは好きな方ではなく、どちらかと言えば嫌いだった。どんなスポーツでもルールがありルールを守りながら競技をするが、サッカーの場合ルール無視で競技が進むからである。
例えば、相手のユニフォームを引っ張ったり、肘打ちをしたり、ヘディングをしようとする相手を押さえたりする。ボールの奪い合いとなった時、足で相手の脛をわざと蹴ったりする。蹴られた方は大げさに痛がり審判の気を引こうとする。本当に痛くて、のた打ち回るのであれば、競技再開の笛が鳴っても起き上がれないはずだが、笛が鳴ったとたん全力で駆け出す。見ていて「ほんとかよ?」と思うことが度々ある。
ラクビーは、ほんとに喧嘩しているような雰囲気だが、どんなことがあってもきっちりとルールは守られている。たとえ故意に傷つけられ流血しても、大袈裟にのた打ち回るようななことはしない。体が触れるスポーツの中で、サッカーが一番ルールを無視する競技だと思う。
こんなことを書くと、サッカーファンから殴られるかも知れないが、審判を欺くのも技量のうちではスポーツとは言えない。相撲に例えれば、行司の見えない所で相手の目を突いて勝ってしまうのと同じではないだろうか。
日本社会ではルールーを無視して大そうな金を儲けている人が微罪で捕まったりしている。「本人は屁とも思っていないのだろうなー」といつも感じている。
ルールと言えば最近当地でも、社会保障制度の充実をはかるために色々と規制が複雑になってきて、年金制度や所得税の徴収が徹底されてきた。当社は以前から所得税の申告は社員に任せていたが、殆ど払っていない。
年金は強制的に所得から支払うように通達が来たので、各自の給料から本人負担(本給の3%,会社4%)を天引きすると通達したら「年金なぞ60歳になったからと言って政府は支払うはずがない」と猛烈な反対を受けてしまった。
もっともな話で、人口の7割が電気も水も無い地方で生活している。所得なぞこれといってあるはずがない。
「なぜ自分たちだけが所得税や年金の支払いをしなければならない!?」と言われると返す言葉がない。なにはともあれ支払うものは支払うと強制している。

7月1日から通貨の単位が変わった。今までは紙幣で500,000mt、200,000mt、100,000mt、50,000mt、20,000mt。コインで10,000mt、5,000mt、1,000mt、500mtとなっていたが新紙幣は0が3個なくなる。例えば500,000mtは500mtになり200,000mtが200mtになる。つまりデノミである。
未だ新しい紙幣は出回っていないが、長年大きな単位で計算していたので、計算違いを起こすのではと心配だ。

******************************2006.6*
その39 日本行き

5月10日から日本へ出掛けて、しばらくマプートを留守にしていた。
何度行っても日本と言う国は凄い国と実感する。
しかし、最近は当地へ戻っても、そんなにがっかりしなくなった。仕事の段取りを全部付けて出掛けたのだが、帰ってみると何も仕事が進んでおらず、「まぁー思ったと通りのことだ」と納得せざるを得ない。
今回は息子を連れて行き、息子はそのまま日本で就学する予定だったが、法治国家の見本みたいな日本国の法律により滞在許可は出ず、涙を浮べる息子を何とか説得し親子共々戻った。
入国管理事務所に何度も通い、事情を説明したが「該当する滞在許可事項にない」の一点張り。就学滞在の場合、法律では高校生以上となっており、息子は現在14歳なので該当せず、養子として私の戸籍に入れても満6歳以上になっているので滞在許可に該当しない。
モザンビークと違い役所で大きな声を出して怒鳴る訳にもいかず、内心「この馬鹿役人、他に方法はあるだろうが」と思いつつ静かに話をしていた。
その横で、どう見ても風俗関係にしか見えないようなアジア系の女性や中東系の作業員風の男性が、いとも簡単に滞在許可の延長をもらっていく。当地、モザンビーク法務省で作成した養子縁組の書類には目もくれず、ひたすら「該当事項がない」を繰り返す。
5回目に入国管理事務所へ行った時は、「心底日本国に憧れ、この国で勉強したいと言う子供の気持ちを分かってください」と、てっぺんの薄くなった頭を下げ続けたが、結果は同じ。
ここまで言って相談にも乗ってくれないのなら、黙って引き下がることはない。一呼吸置いてから「俺が人さらいか、人買いに見えるか?」と大声で怒鳴った。広く静かな事務所の人の目が集中した。構わず「この子が日本で犯罪でも起こすと言うのか?」「街には不法滞在の外国人が沢山居て日夜、犯罪に走っている。それを取り締まりもしないで、何が入国管理事務所だ!」
受付の役人が目を白黒させていた。横で息子が「もう、良いよ怒らないで」と言うが、すっかり地金が出てしまった私はおさまらない。
「お前ら夜の繁華街へでも行って、不法滞在の外国人を捕まえて来い」と啖呵を切って入管を後にした。
一方、教育委員会は対応が全然ちがった。札幌市教育委員会へ行き学校に編入できるかと聞くと「たとえ短期でも本人に勉学の意志があれば入学できます」との答え。だが、滞在許可がなければ編入しても日本国には居られなくなる。後は、不法滞在するしか方法はない。いかに愚かな私でも息子に不法滞在させる訳にはいかない。
最近めっきり日本語が上手くなった息子を納得させるには一苦労だった。だが二言で納得した。「お前もそばに居て見ていただろう。最後の最後まで努力したが、今回は駄目だったのが分かるな」
息子は泣きながら「分かった」と一言。あまりにかわいそうなので、思わず「前から欲しがっていたプレステーション2を買ってやるよ」と言ってしまった。
しばらくしてから、ニコニコ顔で「いつ買ってくれるの」と聞いてきた。勢いで「今から買い行くぞ」息子が日本に滞在するためにそれ相当のお金を用意していた。もう、やけになって「これを買ったら明日は温泉に行くぞ」と次の日から2泊3日のぜいたく、温泉旅行もしてきた。
と、言う訳で何も目的を果たせずに、ひたすら無駄遣いをした。それでも、息子の感性、特に語学力には収穫があった。手前味噌だが息子の日本語の上達や日本的な考えがマプートにいる時より数段高まった。
マプートに戻ったが、前の学校へ行く訳にもいかず、6月末から私立のインターナショナル学校へ行かせることにした。授業料がばか高いが、これも親が不甲斐ないせいと諦めている。
当地、マプートは秋になって朝夕は少し肌寒く感じる。日中でも、事務所の中に居ると身体が冷え、時には表へ出て日光浴し体を温めている。
街中では、あちこちの道路を掘り返す水道工事が渋滞の原因を作っている。いつ終わるとも知れない工事で、モラルのない国がモラルのない国へ来て工事しているので人の迷惑なぞお構いなしである。
我が家に戻って驚いたのは、炊事用のプロパンガスがなくなっていることである。電気コンロか炭をおこして炊事をしている。理由を聞くと市内全体にガスがなく店でも売っていないと言う。事実、ガス店の前には行列が出来、いつ入荷するのか分からない炊事用のガスを待っている人が沢山いる。
社員に、留守中変わったことがなかったかと聞くと、会社の近くで車泥棒が捕まり、大勢に囲まれ焼き殺されたという。
当地へ来た頃によくあったリンチで、泥棒を縛り上げ首に自動車のタイヤを掛けそれに火をつけるのである。皆、久々のリンチで「この界隈にはしばらく車泥棒は出ないだろう」と話している。
こんな不便で不潔で常識のない国でも、戻るとほっとし、日本より居心地が良くなってしまったのは何故だろう。

******************************2006.4*
その38 水

4月も中旬となり、マプートはすっかり秋めいてきた。曇りがちの日なぞ、長袖の服を着なければ寒い感じがする。これも普段気温の高い所で暮らしているせいなのだろう。
最近、「どうしてモザンビークなのですか?」と、若い海外青年協力隊の隊員から訊かれることが多い。たぶんこの国での生活に疑問を持ち始めた時期なのだろう。この質問には、正直、どう答えていいのか分からない。なんとなくだらだらと居るような気がする。
マプートのような都会にいても日常生活は不便極まりなく、対人関係はまず金である。信頼など夢の話で、どんなに誠意を持って対応しても殆どが裏切られ、落ち込むのが当たり前。こんな環境の中に、日本から色々な分野の若い指導者が張り切ってやって来る。どうやって指導教育をしていくか、それだけを考え想像して来る。
それが2カ月も経つと夢は見事に砕かれ、行き場の無い怒りに変わる。少しずつ積み上げていこうとする石が三段も積み上げると蹴飛ばされ崩れてしまう。それでも気を取り直し、また一から始めるが、何度積み上げても途中で崩されてしまう、そんな繰り返しになる。
2月に2年の任期が終わり帰国する隊員に尋ねたことがあった。
「どうだった、自分の目標は達した?」
彼女曰く「あほくさ」これで終わりだった。
4月で40名を越す協力隊員が赴任している。誰もがすべて「あほくさ」とは思わないだろうが、それに近い感情を持つ気持ちは分かる。それ相応の覚悟を決め、職場も恋人も捨てて来る若者が気の毒に見えるのは私だけなのだろうか。

このところ仕事で地方に出かけることが多く、先日もマプートから北東、片道1,200km地点へ1泊3日で行って来た。車での移動なので1人だと心細く、ちょうど学校が休みとなっている息子を通訳兼助手として連れて行った。今月末には日本留学も決まっていて、月末には日本へ旅立つので、これがモザンビークでは最後の旅となる。
片道1,200kmのうち、約500kmほどは、悪路でのろのろ運転を強いられる。雨が降った後の道路はぬかるみスピードはほとんど出せない。うんざりするほどの時間がかかる。
そんな道をのろのろと走っていたら、道路脇の水溜りで一人の少女がコップで水をすくってポリ容器に入れていた。ひどい泥水を汲んでいる。車を止めて少女に聞いてみた。「その水、どうするの?」「炊事や飲み水にする」との答え。横で聞いていた息子が「病気になってしまうよ」と言うと「大丈夫、3日も置いておくと、きれいな水になるから」
気になって「この辺には井戸はないの?」と聞いてみると、10km程先にあるが、遠くて日に一度しか行けない。雨が降った後には近くに水溜りができるので助かるという。10歳にも満たない幼い子供が、20kgもの重たい容器を頭に載せ片道10kmも歩くのは大変なことに違いない。
都会に住んでいる息子には縁のない話で、5歳の時に我が家へ来てから今まで水汲みなぞしたことがないし、その必要もなかった。私自身も日本で生活していた時には水は水道から出るのが当たり前で、少しでも汚れていたら大騒ぎになるのが普通と認識していた。 しかし、当地へ来てから水の大切さは骨身に沁みている。最近はしないが、洗面器一杯の水で、歯磨きから全身を洗うことができる。もちろん、石鹸を使ってのことだ。これも少ない水を最大限に使い切る生活の知恵が備わったためである。
マプートの自宅でも、午前中しか給水がない。そのため各家庭では大きなタンクを備え、それに水を溜めておく。その水も汚れがひどいので、我が家ではタンクを3つ付けて、1つ目のタンクには水道から直接溜め、満杯になると2つ目のタンクへ水が移動しそこが満杯になると二階にある3つ目のタンクに水が移動する仕組みにしてある。それでも2カ月に1度はタンクの水を抜き、溜まった砂や泥を取り除かねばならない。市内の浄化槽装置は殆ど機能しておらず、川水を溜め汚れを沈殿しているだけと水道局の人から聞いたことがある、沸騰しても臭いが付いていて飲料用には適さないので、飲料用や調理用はミネラルウォーターを買い置きし使用している。犬の菊ちゃんでさえミネラルウォーターしか飲まない。
日本では名水と称して色々なミネラルウォーターが売られているが、その水を疑うことはないだろう。ところが、モザンビークではそうもいかない。気を付けて買わないとボトルのキャップに細工してあるのがあり、中身を詰め替えているものがある。
こう言う事に頭を使うのであればもっと世の中の役に立つようなことを考えたら、と思ってしまう。
日本では水と安全は無料と考えられていた時期があったが、当地では、水も安全も高い金額を払わないと生活できない。
安全を確保するためには、ガードマンを配置するのだが、我が家にはガードマンは居ない。理由は極々簡単である。ガードマンが一番危ないからである。
強盗や泥棒が押し入るとき、まず最初にガードマンを拳銃か何かで脅す。ガードマンにしてみると、安い給料で命をかける義理はない。素直に泥棒の言うことを聞いていれば、おすそ分けにもあずかれる。と言う訳で我が家は水には高い金額を惜しげもなく払うが、安全は自分で守ることにしている。
ちなみにガードマンを派遣会社から派遣してもらう料金は、素手のガードマンが月12万円くらい、拳銃や小銃を持っていると月20万円くらいとけっこう高額である。
ところが、ガードマン個人の手取りは、素手が1万5千円くらいで拳銃等を所持していても2万5千円くらいである。たしかに、これでは命を掛ける義理も生じないだろう。

こんな夢もロマンもない愚痴に近いことばかり書いていると、「コラムはもう結構です」と言われることになるかもしれない。

******************************2006.3*
その37 老い

三月に入り少しだけ秋の気配がしてきたマプートである。
ここモザンビークでも国際放送のNHKワールドという番組がケーブルテレビで見られるようになった。早速申し込み、待つこと二週間、やっと先月末から見られるようになった。思い起こせば当地へ来たばかりの頃、日本恋しさに短波ラジオにしがみつき、雑音混じりの日本語放送を聞いたものだ。
ところが、このNHKワールド、外国向け番組のせいか教育テレビみたいで、面白くも何ともない。トリノオリンピックは、なぜか静止画像しか映らないし、WBC世界野球選手権もプレーは静止画像、インタビューだけが動画となっている。いかに日本の文化を世界に紹介するためとは言え、陶芸だの、百歳万歳とか出演者が年寄りばかりでは困る。若者が出るのは、犯罪を犯して捕まった時のニュースくらいでは洒落にもならない。
唯一、面白いのは「プロジェクトX」、時間帯が当地の午前11時からなので、放送日は午前中仕事はしない。大相撲が始まり、これは中継するだろうと思っていたがなし、ニュースで少し放送するだけである。相撲こそ日本の伝統文化ではないのか。年寄りばかり映して、日本を知らない外国人が見たら年寄りしかいない国かと思ってしまうだろう。
それだけ日本は高齢化が進んでいると言うことなのだが、かく言う自分も、もう少しで仲間入りをする。
週末、時間がある時は、当地の海外青年協力隊の連中と我が家で、食べ物を持ち寄りで酒を飲むことがある。男も女も皆若く20代半ばの連中で、酒を飲みながら夢中なって話をしていて、ふと、彼や彼女達が私の子供と同じ年齢だと気づく時がある。そして、「君のお父さんは今幾つなの?」と親の年齢を聞いてみる。返ってくる年齢が私よりも上だと何だかほっとして、下だとがっくりしてしまう。
気力は十分なのだが体力が随分と落ちてきた。体力が落ちた原因は昨年4月にかかった帯状疱疹が巨悪の根源と分かっている。もうすぐ、発病してから、めでたく1周年である。初期治療がまずく、まだ激しい痛みが日に数度おこる。日本の病院でも直らず、諦めている。モザンビークの平均寿命は96年頃まで45歳と言われていた。これは幼児の死亡率が高いためだが、10年経った今ではもう少し寿命が伸びていると思う。どちらにしても、当地の平均寿命よりは生きているわけで、体力が落ちるくらいは仕方ないだろう。
先日も若者数人とワイワイ酒を飲んでいる時に「もし、この国で不慮の事故や病気で死んだらどうする」と言う話題になった。
協力隊の連中は、とりあえず日本国が責任を持って日本へ送り帰してくれるだろうから心配はない。
「遠藤さんはどうするの?」と聞かれ、常日頃から以前の相棒ベンビンダへ言っていることを言う。
「まず、脳卒中やなにかの病気で体が動かなくなったときには、速やかに闇の拳銃を買ってもらい、それで、頭を撃ち抜いて終わり」
「それから、死んだ場合はどこか人気のない海岸で薪を積んで火葬する、その際に決して薪代金をケチらないこと。生焼けは嫌だからきっちり焼いて骨はインド洋に投げ捨てること。マッチ箱一つくらいの骨を日本の家族へ送ること。間違っても遺体を冷凍して日本に空輸しないように、運賃がえらい高いのと俺は冷凍マグロではないから」と。
それを聞いて皆は「へー、でも悲し過ぎない」と言うが、これは私の本音で特に病気で動けなくなったら日本と違いどうしょうもなくなると想像できる。そんな時に惨めな姿をさらしてまで生きたいとは思わない、回りに迷惑を掛けてしまう。それに人間死ぬと単なる生ゴミになるだけで腐って不潔極まりない。生ゴミは早めに処分した方が良いに決まっている。
このことは息子にも機会があるたびに言いつけてある。
「もし、俺が死んだら、俺のことは早く忘れてしまえ」と。
何の社会保障もない国で、老いていくことは日本で暮らしている時の数倍、不安がある。老いて獲物を捕れなくなったライオンと同じで、ひっそりと朽ち果てるのがいい。設備の整った病院でチューブだらけになって死に至るのは、まっぴらごめんと思う。
日本では老人介護産業が自動車産業と並ぶほど急成長していると聞く。日本にいる友人からの便りで「お前もそろそろ先のこと、真剣に考えた方がいいぞ」とよく言われるが、人生の大半を勝手気ままに過ごしてきているので、まだ先のことを考えてはいない。
今のところは、がむしゃらに仕事し、毎日怒鳴りまくりの日々が続いているので、老いとか病気とかは殆ど考えない。日々、必ずと言っていいほど何がしかのトラブルが起きる。家でテレビを見ていても頭の中3分の1は、仕事のことを考えてしまう。もう、これはハッキリ言って病気だと自覚している。
とにもかくにも、死ぬまで現役が自分の信念。
当地もこれからだんだんと涼しくなり過ごし易い季節になっていく。
どこか田舎の海岸で、せめて1週間だけでも骨休めしたいなーと思う。

******************************2006.2*
その36 マァーフゥラーの実

今年もマァーフゥラーの実が売り出される季節が来た。毎年この時期(1月、2月)に、モザンビークの南部地域だけで成長するマァーフゥラーという木になる実である。柿の種を少し大きくした形状で、ほとんどは種で、その上側に少しだけ白い身が被さっている。そのわずかな身を取り、容器に入れ砂糖をたっぷりと混ぜて食べる。味は酸味の強いヨーグルトのような味がする。
路上でこの実が売りに出されると、最初に当地へ迷い込んだ時のことを思い出す。1994年1月20日、初めて当地の土を踏んだ時だった。言葉も出来ず、何が何だか分からない状態でアパートの一室にこもっていた時に、メイドさんからニコニコ顔ですすめられたのがこのマァーフゥラーだった。
一度は断ったものの、あまり熱心にすすめるので「なんでも挑戦」とばかりに食べた。美味しいとは言えないが「まぁーまぁーか」と食べると、メイドさんが嬉しそうな顔していたのを覚えている。
ところが、その夜、急に腹痛が始まり、七転八倒の苦しみを味わうことになった。持参したラッパのマークの正露丸を大量に飲み、なんとか元に戻ったが、次の日、街へ出ると路上でハエがブンブンと群がっている所で、それは売られていた。部屋へ戻るとメイドさんが、またマァーフゥラーの実を調理している。何気なく見ると、種から身を剥がし容器に溜めてから、素手でニギニギと混ぜているではないか。熱処理などするはずもなく不潔そのもので、「コレラにならなくて良かった」と内心思ったものだ。
それ以来、二度と食してはいないが、路上で売っているのを見かけると苦笑してしまう。
あれから12年が過ぎ、13年目に入ってしまった。先日、帰宅して着替えもせずに、息子と夕食の買出しに市内のスーパーマーケットに行った時のこと。革靴の底に何かが引っ掛かっているような感覚して「また、ガムでも踏んづけてしまったか」と思い、外に出てから息子に「ちょっと見てくれ、ガムか何かついてないか?」と足を上げ靴の底を見せた。すると息子がゲラゲラ笑い出し「何もついてないよ、底が破れているだけ」
車に乗り込み靴を脱いで見ると底が破れている。考えてみればこの靴は日本から来る時に持って来たもので、もう12年間履いていることになる。革靴はこの一足しか持っていない。普段はサンダルかスニーカーで用が足りるので滅多に履かない。仕事で正装して出かける時か、気分転換でスーツを着る時くらいに履く靴である。とても軽くて履きやすく気に入っていたので、捨てるのももったい。
そこで、街の路上で靴を修理している人の所へ持って行き靴の底を張替えてもらうことにした。行ってみると底の部分も色々と種類があり、一番安いのは古タイヤを切ったゴム製、次が何だか分からないが皮製、一番高いのが靴の形をしているゴム製の底。まさか古タイヤを履くわけにもいかないので、一番高い素材の底を頼み、靴を預けて帰った。高いと言っても日本円で千円くらい、それで元に戻るのであれば上出来と、2日後にとりに行った。ところが、これがなかなか素晴らしい出来ばえで、内心「捨てなくて良かった」とつくづく思った。
以前、愛用していた古いスニーカーが、成田空港の免税店街の喫煙所で底がすっかり抜けたことがあった。搭乗時間がせまり、機内ではタバコが吸えなくなるので、急ぎ喫煙所に行きタバコを吸っていた。たまたま床に飲料水がこぼれていて、その上に立ってしまった。床はタイルで飲料水には糖分が含まれ、踏むとねばねばする。そこにしばらく立ったままタバコを吸い終わり「さぁー行くか」と一歩踏み出したら、バリっと音がして靴の底が床に張りついてしまった。底が片方だけ抜けたスニーカーで飛行機に乗るわけにもいかず、大慌てでスニーカーの底を持ち、近くの免税店に駆け込み「瞬間接着剤はありますか?」と聞くと「販売用はありませんが、私物で持ってます」とのこと。
底の抜けたスニーカーを見せ、大笑いする店員に「搭乗時間が迫っているので、接着剤を使わせてください」と頼み、なんとか貼り合わせて飛行機に乗った。
傑作なのは、そのあとでのこと、席に座りやれやれと思い、しばらくしてから、スニーカーを脱ごうとしたら、靴下ごと脱げてしまった。慌てて接着剤を塗ったので、その隙間から靴下に貼りついてしまっていた。家に戻ってから、なんとかスニーカーから靴下を外そうとしたが、メイドインジャパンの接着剤は強烈で靴下は未だ外れず、スニーカーに貼り付いたままになっている。このスニーカーも日本で買った有名メーカーの品物で、約6年間履いた。高い物はそれだけ良い物で長持ちもするわけだ。
なんとも、凄いケチに思われそうだが、単に身の回りの物を買いに行くのが面倒なだけで、ずぼらと言う方が当っている。
ずぼらな私と違い、最近、息子が妙におしゃれになってきた。この前も息子のジーンズを間違えて穿いていて「僕のジーンズ返して!」と怒られてしまったこともある。胴回りが少しキツイくらいで足の長さが変わらないのでまったく気づかなかった。身長はまだ私の方が高い、だが足の長さが同じ。段々と大人の男になりつつあり、以前の幼さが消えていく。
無責任な話だが、日本にいる息子(実子)の成長は近くでは見ていない。子供から大人への過渡期というものは男の子の場合何となく自分を見ているようで、気味が悪く、「近寄るな、気持ち悪い」とからかっている。



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