マプート便り


                                        遠藤昭夫

  出窓社から『モザンビークの青い空』を出版しました遠藤昭夫と申します。現在、モザンビークの首都マプートで、中古車の輸入販売会社を経営しています。
 すでに本をお読みの方は、私の性格や行動をご理解いただいていると思いますが、まだお読みでない方は、どこにでもいる、そのあたりの変な親父を想像していただければけっこうです。
   (著者と息子のマーダーラ君と 2005年10月)

*****************************2013.10.8*
その64 当地は夏に向かいます

いよいよ暑くなってきました。昨日は38度となりましたが、本日は曇りで21度と変な天候のマプートです。ここのところ、仕事もまずまずで少しのんびりしています。
先日の土曜日、居間のソファーでいい心地で昼寝をしていたら「ガサガサ」と音がするので目を開けたら、頭の横にでかいトカゲがのた打ち回っていた。びっくりして起き上がると猫のネコが「ニァー」と自慢げにないている。元来、ハ虫類は苦手で、あまり触りたくもない。ネコは獲物を見せようとして持ってきたのだろうから、怒る訳にもいかず「分かったから、何とかせい」と言ってはみたものの、半死半生のトカゲをいたぶっているだけで、何ともしない。しょうがないので、炭をはさむ用具を持って来て庭の隅に埋めてやった。「馬鹿野郎、静かにしてろ」と言いながらまた昼寝をしていたら、今度はバサバサと音がし始め、恐る恐る目を開けると雀を口にくわえている。「いい加減にしろ。」と怒ると、雀をくわえたまま庭へと逃げて行った。何とものんびりした土曜の午後でした。
息子もめったに遊びに来ないので、平日の夜や土日はネコと過ごす事が多く、もろに孤独な老人になってしまう。そんな時に思い出すのが、30代前半の頃、老人会専門の旅行会社で添乗員の修行をしていた時の事である。毎日、旅行会社の旗を持ち、関東の観光地を老人会の人達を連れ回って歩いた。色々な苦情もあり、子供よりも老人の方が大変だという事を思い知らされた。
ところが現在、自分がその老人になりかかっている事に最近気づいた。いつもの喫茶店の前で、顔なじみのタバコ売りや携帯電話のカード売りが、私が行くと喫茶店のドァーをさっと開けてくれる。当地の人は老人には本当に親切なのだ。最初は「いやに気が利くな」くらいに思っていたが、どうも最近歩き方が、さっそうとは言えなくなり、少しモタツク感がして来た。思えばそのせいなのである。「あー俺もここまできたか」と嘆いている。
先日、2020年のオリンピック会場が東京に決まったが、後7年後である。なんとか日本で開かれるオリンピックを見たいものだと思うが、それまで持つだろうかと思ってしまう。
日本に居るのと違って気候、文化、医療、色々な事が過酷な当地での生活。体はもうボロボロだし、気力だけが頼りの暮らしを長い間続けてきてしまっている。オリンピックを見られるのは、多分、きわどい線だろうと予想している。
話は変わるが、先進国(ポルトガル)からの当地への移民が爆発的に増えている。当地だけではなく、アンゴラにも大量のポルトガル人が押し寄せている。ポルトガル国自体が、経済的に急速に落ち込んできており、EU圏内ではやっかい物になっているなか、当地モザンビークは破竹の勢いで国力が伸びている。そんな事情もありポルトガルを出る人が多くなっていると思われる。一時的な居住でなく移民の申請が大量になされている、その他パキスタン、ナイジェリア中国等が多いと言う。そのせいで入国管理所が大変混雑して、私の国内滞在許可証が、許可が出てから3カ月も経つのに出来てこない。何事にも遅い国なのでと思っているが、それにしても時間が掛りすぎている。以前の滞在許可証は、1週間で出来てきたのに。滞在許可証は5年間有効でこれが最後の申請だと思っているのだ。先日も市内の外国人がよく行くレストランで食事をしていたら、私服の警官が「滞在許可証を見せろ」と言って来た。正規の許可証は出ていないがその引き換え証を提出して何事もなかったが、2人のポルトガル人は持っていなかったので有無を言わさず連行されて行った。
今日のテレビのニュースでもやっていたが、空港の入国審査で大量のパキスタン人が捕まっていた。日本と違い二重国籍が認められている国が多いから移民と言う手を使うのだろう。日本の国籍を失っても当地モザンビークの国籍は欲しいとは思わない私だか。
本日は給料日で、月のうち私が最もきげんが悪い日である。当地の銀行ほど頼りない銀行は他にないと思う。小切手で給料分の現金を秘書が下して来て、社員31名分の給料を封筒に入れる作業が終わったところ、現金が余った。6,000mt(日本円で約2万円)。何度も確認したが余る。銀行の数え違いである。
秘書は片目をつぶり「いいじゃないの」と一言。私も「そうだな、知らないと言っておこう」と答えた。この銀行は世界的に有名なバァークレイ銀行です。アホばっかし。

*****************************2013.9.10*
その63 お盆過ぎ

8月も過ぎ、やっと気温が上がって来ているマプートです。
日本は各地で最高気温を記録しているとのこと、大変だなーとネットを見ながら思っています。当地、例年より気温が上がらず6月下旬から8月中旬まで寒い思いをしていました。寒いと言っても20度を下回ることはないのですが、長年暑い国での生活ですっかり体は現地化していて30度を下回ると寒く感じてしまいます。

このところ、マプート市内の道路拡張工事があちこちで行われ、渋滞が激しくなっている。走る車はほとんどが交通ルールを守らず、道路に開いた穴を避けながら走行するために、まるで曲芸のように左右に車を動かしながら走行する。それだけならまだ良いのだが、どういう考えから来るのか分からないが当地のドライバーは、とにかく前方を走る車を追い越そうとする。対向車線に入ろうが、右側左側に車がいても、ともかく前へ出ようとする。そのため接触事故や自爆事故がものすごい勢いで増えている。
先日もテレビのニュースで交通事故の多さを流していたが、内容がまったくお粗末なもので、原因はタイヤにあると意味不明なことをいって街で中古のタイヤを販売している人にインタビューをしている。インタビューされたタイヤ販売人は「タイヤが悪いと言うが、それ以上にドライバーの問題だろう」と真っ当な答えをしていた。金さえ払えば、取り敢えず免許証は闇で手に入る事が一番の問題だろう。
アフリカ大陸では、当国は他を圧倒するくらいの成長をしているのだから、そろそろ道徳教育に力を入れても良い頃に差し掛かっていると思う。当国では言論の自由もあるし、宗教は自由、国会議員及び大統領も公平な選挙で選ばれる。その上、法律によって大統領の任期は10年と決まっている。1期5年だから長くとも2期で変わり権力の偏りを少しは防いでいて、取り敢えずは民主主義が確立されている。アフリカ諸国の中でも珍しく報道の規制もなく、数は少ないが国政に対する考えが違う政党も認められている。
それに比べ隣国のジンバブエは何とも言えないくらい圧政がひどく、国民がどうして我慢しているのか不思議だ。先日大統領選挙が行われたが、89歳になる大統領が再選した。彼はもう30年もの間、大統領に居座っている。西洋諸国からは不正選挙だとの批判も出ているが、当の大統領はまったく聞く耳を持たず「外野が騒ぐな」の勢いだ。私は、ジンバブエの大統領は密かにギネスブックに載ることを期待しているのではないかと思っている。それを思うと、当地モザンビークはコソ泥や収賄で私腹を肥やす税関職員や警官はいるが、何と平和なのだろうと思ってしまう。
ところが最近、マプート市内で押し込み強盗が頻繁に起こり、警察の広報で各家庭は夜の戸締りをしっかりするようにとのお達しが出た。マプート市内各区域では自警団を結成し深夜の夜回りを実施している。我が家の区域でも自警団が出来、私にも加わるようにいわれたが、年齢を理由に丁重に辞退した。そんな折しも、先日他の区域で、自警団が押し込み強盗に早変わりして民家を襲い、警戒中の警察に捕まったとのお粗末なニュースが流れた。こうなれば何でもありのモザンビーク国を物語っている。それを聞いたある日本人は「もう、笑う以外ないね」。私も「それしかないね」と答えるしか言葉が見つからなかった。
ここのところ、体調もまあまあで仕事も安定してきている。まだしばらくは何でもありのモザンビークで過ごす事になりそうである。

*****************************2013.7.5*
その62 最近の出来事

日照時間が短くなり、夜明けは6時半頃で夕方は17時には暗くなります。
現在は、自宅と事務所を兼用としているので、17時になるとスタッフが皆帰宅するので急に静かになってしまう。家の近所の子供達も自宅へ入るのか、周りも静かになる。なんとなく寂しい感じがし、庭で遊んでいるネコを呼びつけて「晩飯にするか」などと言いながら時を過ごしている。自宅兼事務所なので通勤の必要もなく、あまり外出もしていない。以前なら毎朝のように行っていた喫茶店にも、今は3日に一度位しか行かず、なんとなく引き篭もり老人になった気分である。
当地、今が冬の季節で気温も日中で24度くらいまでしか上がらず、夜間は20度くらいまで下がる。暑い環境の中で長い間暮らしていると30度を下回ると肌寒く感じ、長袖のシャツを着込んでしまう。
引き篭もりと言っても、日本からの取引先のお客様やその他の人達との夕食の機会が多く、夜に外出する事が多い。そんな時だが、毎日夜になるとタカリ警官の検問が始まる。警察の方針なのだろうが、毎日同じ場所での検問を実施する。夕方18時くらいに始まり、23時頃に終わる、これが煩わしく夜間の外出はあまりしなくなった。とにかく、なんの落ち度がなくても、何かにつけ金をせびってくる。先日の夜、友人と食事をし、結構アルコールも入っていて、帰り道に免許証を家に忘れてきた事を思い出した。帰宅の道路には検問がある。当地ではアルコールはいくら飲んでいても問題はないのだが、検問で止められると免許不携帯で金をせびられるのが煩わしい。検問の場所を迂回して裏道を行ったら、金をせびる事には知恵が回るのか裏道に二人の警官がいた。暗い道で懐中電灯を振っている。酒のせいもあり「めんどうくさい、突破しようと」決め、停止を振り切って進んだ。ただし、スピードは上げずにゆっくりと警官の横を通り過ぎ30mほど行った。後ろから「パーン」と銃を撃つ音が聞こえた。「へっそんな、いかれた銃が当たるか」とつぶやきながら逃げてきた。家に戻り車を点検しても銃痕はどこにも見当たらなかった。久々に危ない事をやって気分が良かった。
6月初めに日本ではアフリカ開発会議が開催され、日本もずいぶんと大盤振る舞いの援助金をぶち上げたが、喜ぶのは援助を受ける側の各国ではなく、その援助金に群がる日本のコンサル会社や援助金を仕分けする独立機構等の公の関係団体だろう。これは、国連機構も同じ事が言える。仮に日本国、国民の血税を当国へ援助と称し100万円を援助したとしよう。そのうち60%の60万円はコンサル会社、仕事をしているのか、していないのか分からない独立機構の人件費に消えてしまう。おまけに当国へは、元国会議員様が訳の分らない日本の団体の長におさまり暗躍している。まるで砂糖に群がる蟻のように食い潰してしまうだろうと見ている。
それよりも、当国の現在起こっている最大の問題は、国立の病院の医者、看護師等がストライキを起こし、全国にある国立の病院が機能していないことだ。毎日、新聞やテレビで行方を見守っているが、一向に進展がなくもう20日以上もストが続いている。国立の病院は当国の国民であれば、誰でもほぼ無料に近い金額で治療が受けられる。他の民間個人病院はべらぼうに高い治療費がかかり、政府高官か賄賂の副収入がある人しか行けない。国立病院の医師はあまり良い医師とは言えないが取り敢えず医師である。普段でも、国立の病院は患者で込み合っているのだが、スト決行中の病院には何とか診て欲しい人が大勢集まっている。新聞の報道では全国で1日に国立病院で亡くなる方は平均80人だが、現在は300人にもなっているという。
ストを起こしている医師や看護師はべらぼうに安い給料を上げよ、と政府や保健省に掛け合っているが、政府側の答えは「金が無い」との事で長引いている。とにかく、医師は良くない腕だが、給料は安すぎる。平均月収は日本円で10万円を切るような給料で毎日18時間も勤務している。民間個人病院の外国医師が国立病院で臨時に急患を診ているが、とても間に合わない状況が続き、テレビでは病院の遺体安置所を映し遺体安置の冷凍庫は満杯で床に転がっている遺体を映している。ストの最中に我社のスタッフやその家族が病院を必要となる病気や怪我に見舞われないよう願うだけである。ちなみに、当国での収賄が一番うまく、金額が多いのが保健省である。

*****************************2013.3.22*
その61 停電と断水と猫

 三月半ばになり、ちょっとは涼しくなった感がするマプートです。
 一月に日本のTVに出てから、色々な所からコンタクトがあり、いささか戸惑っている。その中で嬉しい便りもあった。中学時代の同級生からの便りでTVを見て驚いたとのこと。便りの冒頭に50年ぶりと書かれていて、私が驚いた。50年という歳月にである。半世紀、100年の半分である。自分では全く考えた事のない歳月だが、言われてみて当たり前の事だと納得した。自分の歳は意識しているが、50年ぶりと言われ過去からの年を積算したことはなかった。ほとんどと言っていいほど50年前の事は思い出しもせず、考えもしなかったが、便りをもらって少しずつ思い出してきた。便りの同級生は、私が初恋に似た感情を持っていた女性だった。

 このところ多少落ち込んでいる。仕事もそうだが私生活での原因が主だ。この国の公共サービスを司っている馬鹿役人には到底かなわない事をつくづく思い知らされている。特に電気、水道である。それに税関、警官にはあきれるしかない。
 日本で暮らしている皆さんは3日も4日も電気、水道が止まったとしたらどうでしょう。まず、電気や水道会社に電話し、どうなっているかを聞く。原因が分かると何時までにこの状況が正常に戻るのかを聞くと思う。当地では電話で問い合わせても答えはいつも同じ「分かりません」の一言で終わり。会社へ直接出向いても同じ答えしか出ない。
 最悪なのは、金曜日の午後からの停電や断水である。暑いなか仕事であちこち走り回り汗だくになって家に戻ると家は真っ暗で、家の中に入ると昼間の熱気が籠りむっとする暑さ。そんな中で猫のネコが「お帰り、ニァー」と迎えてくれる。とりあえず日本の100円ショップで買ったカンテラを点け、バスルームで汗を流そうとするが、水が出ない。最悪である。暗いなか、庭のポリカンに取りおいてある水を庭で素っ裸になりかぶる。冷房のきかない家に居てもしょうがないので、ネコを残し街のレストランに行き冷たいビールをがぶ飲みする。夜中に暗い家に戻る。ネコがまたニャーと私を迎える。土曜、日曜は全休なので電気も水道もそのままで月曜まで耐えるが、月曜に復旧することはまずない。
 停電や断水の初め頃は怒り心頭になり「何とかしろ」となるが、これが3日も4日もしてくると電気が点いた瞬間「有難う」の気持ちに変わる。昨日まで5日間停電断水が続き本日やっと復旧し今は「有難い」の気持ちである。24時間くらいの断水停電は苦情が殺到するだろうが、5日もこの状況が続くと感謝の気持ちに変わるのが馬鹿らしい。こういった状況でも当地の人達はあまり苦情を言わないのが不思議でたまらない。昔からこういう状況に慣れてしまっているのだろう。電気のない寝室、もちろんエァコンはきかないないので、窓を全開にしベッドで横になるとネコが傍に来て寝る。「暑いから向こうへ行け、お前暑くないのか、そんな毛皮を着て」とか訳の分らないことを言ってネコに八つ当たりしている自分が情けない。
 そんな落ち込んでいる中で唯一の救いがネコである。我が家の猫のネコは馬鹿なのか鈍いのかは分からないが、テーブルの上で昼寝をしていて床に落ちることがある。猫回転が出来ないのか、そのままドサっと落ちてしまう。その瞬間にギャーと喚くのである。猫にしては相当寝相が悪い寝返りを何度も繰り返しテーブルの端から転落してしまう。そのたびに「ばーか落ちてやんの」とからかっている。こんな暮らしは馬鹿らしいが、考えるとけっこう味がある。

*****************************2013.2.20*
その60 雨季

 2月に入って雨季が一段落した感じがするマプートです。今年は例年より雨が多く、北部では河が氾濫し被害が出ています。でも2000年の大雨の時よりは被害が少なくすんでいるようです。
 ここマプート近郊でも大雨の影響で道路が寸断され、少なからず我社も影響を受けている。現在、我社では日本大手企業が始めた木材チップ工場の従業員の送迎業務を請け負っているのだが、この送迎途中には大きな水溜りが幾つもできている。送迎バスは徐行して水溜りを通過するのだが、ある日、水溜りが深くなっていて水の中でバスが立ち往生してしまった。運転手からの電話では自力では脱出不可能で助けが要るとのことである。会社から助けに行くには往復2時間もかかる所である。運転手は、近所の人が10人くらいいるが、バスを押して出してやるから2,000mt(約7,000円)払えと言っているという。
 一瞬「罠にかかったな」と思った。これは、地方ではよくあることなのだか、近所の道に水溜りができると、あたりの住民が水溜りをより深く掘って、車が立ち往生するのを隠れて待っているのである。動けなくなった車を人力で押し出す引き換えに金を要求する。まさに罠である。その時は「しょうがない、時間もないから金を払え」と言って脱出したのだが、その数日後、また馬鹿な運転手が罠にかかってしまった。今度は洒落にならないくらいの深さに掘ってあり、運転席まで水没してしまった。エンジンに水が入り、まったく動かなくなってしまった。結局、エンジンを交換しなければならず、我社としてはかなりの損害を被ってしまった。貧しい人達が知恵を絞り考えたことなのだろうが、度が過ぎると重大なことになるとまで考えが及ばないのだろう。
 市内の道路も雨のために凸凹に穴が開いて走りづらい。そのうえ車が異常なほど増え、至る所で渋滞が起きている。その道路が修復されつつあるが、最初に政府関係者が通勤する道から修復している。今まで穴だらけで、ゆっくりとしか走れない道が良くなり、皆スピートを上げて走る。そこで今度は目ざとい警官の出番である、木陰に隠れスピードガンで測定を始め、一か所に20名もの警官が集まり、小遣いを稼いでいるのである。他の渋滞している所で交通整理をしたらと、思うのは自分だけだろうか。
 今年で在モザンビーク20年目になってしまい、何が起こっても驚かなくなってしまった。普通の日本の方が「どうして、こんなことが起きるのだろう」と疑問に思うことも、「THIS IS MOZAMBIQUE」と答える。こんな中、日本企業から当国への投資が増えていくだろうとの予想だか、各企業がこんな理不尽な環境にどこまで耐えられる、かが課題だろう。

*****************************2013.1.1*
その59 新年、再開!

 本日、2013年1月1日。再びコラムを書き始めますので宜しくお願い致します。
 珍しく、早朝より雨が降り、雨の正月となりました。このところ連日気温が35度と暑い日が続いていたので、久しぶりにエァコンを入れずに過ごせます。
 暮れの22日からクリスマスの25日まで連休、そして年末・新年と休みが続き、まったく仕事にならず、ふてくされ家に閉じこもっていた。
 マプートの街は例年通り酔っ払いがうろうろし、飲酒運転による交通事故が多発している。テレビのニュースでは、警察が必死になって飲酒運転は危険と警報を出しているが、何の役にも立たない。それもそのはずで、年末・年始の警戒に多数の警官が街に出ているが、警官は皆、金をたかるのに必死で交通事故や犯罪を防ごうなどとは微塵も思っていない。今月の22日で当地へ来てから20年になるが、警官の質は20年間変わらない。
 この20年の間、特に4・5年前からのマプートの変貌には驚く。街の至る所に新築のビルが建ち、道路は整備され車の数は驚くほどの勢いで増え、朝夕主要道路は渋滞する。以前のようなのんびりとしたマプートではなくなっている。地方と首都の格差は異常なほど広がり、物価は高騰し、現在のガソリン1Lの価格は日本円で約140円もする。平均月収が日本円で25,000円から30,000円であるから40Lのガソリンを入れると月収の3分の1は飛ぶ。それでも、車は増え続けている、不思議な現象である。国連機関の金をあてにし、いくつもの銀行が設立され、とにかく活気に溢れている。
 最近、不況のポルトガルを後にし、当モザンビークへ来るポルトガル人が異常に増えている。入管の統計だと月に2,000人ものポルトガル人が入るそうだ。以前の宗主国の威厳を持って来るのだろうが、ほとんどがしょぼくれて戻っていく。新しく来たポルトガル人は、見かけると直ぐに分かる。言葉が命令調で態度がでかい。昔のモザンビーク人と違って今の人達は命令調の言葉では、よほどの主従関係がないと動かない。
 日本人は相変わらず少なく当国全体でも100名に満たない。日本でも当国が何かにつけ注目されてきたと聞くが、中国にはかなわない。何が目的なのかは分からないが、中国の投資は凄い、将来チャイナタウンの構想も持ち上がっている。西アフリカ諸国のように、中国人との摩擦が起きないように願うだけである。
 怪我や大病、その後遺症、仕事の激減、個人的な不幸な出来事。この4年間のくすぶりから最近やっと脱け出せてきた。本当に凄い落ち込みだった。あがけばあがくほど落ち込み、先がまったく見えない状態だった。持ち前の根性だけでは、どうにもならずにいたが、なんとなく何とかなりそうになってきた。今年は以前のように馬鹿話をお届けできると思います。ご期待ください。(2013年1月1日・マプートにて)

******************************2012.9.10*
その58 「菊の死」

 大事な、大事な菊が死んだ。
 2012年09月04日午後11時30分、14歳を全うした。息を引き取るまで、鼻水と、涙でぐちゃぐちゃの顔して、見ていてやった。
 何もしてやる事も出来ずに、ただ「ゆっくり、お休み」とだけ言葉を掛けてやった。
 最後に息を引き取る時、確かに菊は私を見つめた。
 こんな、やくざな暮らしに14年も付き合ってもらい、本当に有難い。
 馬鹿な息子を大声で怒鳴ると、前足をあげて「まぁーまぁーお父さん、そんなに怒らないで」との仕種をして私をなだめていた。
 最近、体調が悪い私が夜中にトイレに行こうとすると、必ずベットの横から出て来て、私をトイレまでエスコートしてくれ、用が済むまで廊下で待っていてくれた。いつも「大丈夫だよ、心配ないよ」と声を掛けていた。
 こんなに、獣に思いを入れる事は、良くない事と人は言うが、私も、この先そう長くはないと思う、菊に取り殺されるなら本望だ。こんな、理不尽で希望も持てない国での暮らしを14年の間も支えてくれていた。人間と比較するのはおかしな話だが、自分の人生の中で一番長く一緒に暮らしていた。日本での結婚生活も、こんなに長くは続かなかった。
 昨夜から菊を親と思い、菊の母乳で大きくなった、猫のネコが、普段あまり私の膝には上がらないのだが、妙に私のそばから離れない。
 もう独立して暮らしている息子には、まだ知らせていない。もう少しの間だけ、自分とネコだけで悲しみたいので。

 何故、何年もの間、書かなかったコラムを急に書いたか疑問を持つ人も多くいることと思う。本当に、ここ数年(4年くらい前から)見事なほどの落ち込みで、大怪我、大病続き、後遺症に悩まされている。仕事も日本企業から干されてしまった。何も不届きがあった訳でもないのだが。
 やっと最近、日差しが見えてきたようだが、まだ油断はできない。菊の死は以前の読者に報告する義務があると思い出窓社にお願いしてみました。

*****************************2009.10*
その57 モザンビークへ来る人々

 もう、そろそろ暑くなってもいい季節なのだが、今年は2日天気がいいと、3日雨または曇りの日の繰り返しである。なんとも変な天候の続くマプートです。
 繁華街の街路樹の枝には、ゴミとして捨てられた沢山のビニール袋が、風に飛ばされ引っかかり、ぶら下がっている。いつもの風景だ。街並みのビル街は綺麗に塗り直され、それなりに美観を保っているのだが、道路脇にはなんの罪悪感もなく捨てられたゴミが溜まっている。いつまで経っても変わらない。だんだんと暑くなるこの先、このゴミが悪臭を漂わせることになる。
 最近、頻繁に日本のテレビ局が当地へ取材に来るようになっている。それだけモザンビークも日本で注目されるようになったのかも知れない。たいていのテレビ局の方が、当地の取材に関して第一報を私の所へと寄越す。先日も某テレビ局が当地へ取材に来た。そのアテンドを私の所でして取材場所の案内とか、前もっての取材先への連絡等をした。
 取材先の中で当地の学校を取材したいとのことで、マプートから30kmほど離れた中学校へと出掛けた。学校全体の風景、生徒のはしゃいだ姿等を撮り終え、授業の撮影に入った。ちょうど授業内容が子供達の将来の希望の職業を作文にして提出したものを生徒に戻し、発表させる授業だった。発表は子供らしい夢で医師、学校の先生、弁護士、警官、農業とかが主だった。ただ驚いたことに税関職員という発表があった。発表した生徒はたいした考えもなく発表したのだろうが、この学校の回りは農業地帯で税関等に接することはない。それに、この学校は3年前に建てられたばかりで税関職員になった先輩はいないはずである。
 取材の方々はなんの疑問も持たずに聞いていたが、私は驚いた。内心「ここまで、来たか」である。当国の役人の腐敗は最近ひどくなり、特に税関職員の輸入業者との癒着がひどい。輸入関税が唯一の税金収入といっていいほどの国家で、一般市民が所得税、住民税など支払うわけもなく大きな企業もない。法人税収入はごく一部の企業しかまともに払っていない。そんな中、先進国からの援助での道路整備、学校建築、病院建築および現在ある病院への設備援助等々が行われ、日本からの自動車、隣国南アフリカからの建築資材、農産物、色々な物資が輸入される。これらの輸入物資には全て関税が掛かり、港からの搬出の際に支払わなければ物資は持ち出せない。長い間、港に物資を置いておくと保税倉庫代が莫大に掛かる。そこで暗躍するのが税関職員である。我が社の番頭役の社員の従兄弟が税関職員の上の方にいる。表面上は普通の生活をしているが、実は大金持ちなのである。当地で普通に買えば1台日本円で600万円もする高級自動車を4台も隠し持っている。月給450us$の人がである。
 税関職員が将来の職業と発表した生徒の身内には、たぶん税関職員がいるのだろうと私は思う。子供にまで、こんな不正が正当化しているのは、この国の将来には良くないと思うのは私だけであろうか。
 最近、日本人という看板が重くてしょうがなくなってきた。アフリカ大陸に限らず、東南アジアには、私のようにその国で根を張って生きている人々が沢山いる。だが全部が全部、普通の人ではなく、悪い事を平気でする人もいる。特に相手が日本人と見ればカモにしてやろうとかかる定住日本人もいると聞く。私はそれを聞くだびに絶対そうゆうふうになるまいと心に誓ってこの地で生きている。たとえ飢え死にしようとも死ぬまで日本人でいようと。
 この地でいえばポルトガル人、インド人、パキスタン人、最近はそれに中国人が加わるが、とにかく、なんと言おうか「やらず、ぶったくり」である。使用人に法律で決まっている最低賃金も支払わないし、給料の遅配はざらである。それに甘んじるモザンビーク人も悪いのだが、もう、なんでもありの世界に尽きる。そんな状況の国で「バカ、おいら日本人だぜ。キッチリやることはやる」と粋がってはいるが、それが重い。
 特にアフリカや東南アジアで仕事したことある日本人は、以前の苦い経験から、その地に定住している日本人には特に警戒し、あるいは蔑視する。それが辛い。いくら心の中で「おいらは違う」と叫んでも無駄である。
 例えば、当地へ来て車輌の購入する時にそれが出る。我が社の生業は自動車販売であるから、誠心誠意良い車を適正価格で販売しているのだが、なかには最初から疑いを持って話をする人もいる。それが情けない。長年、日本でトヨタのディーラーにいて営業をしていたので、相手の話し方ですぐに分かる。そんな時には「色々な販売会社を見た方がいいですよ」と言って、その場を離れ、それっきり連絡はしない。こんな、私にもプライドがある。
 最近、そんな方々多くなってきた。でも買う方も大金を出して買うのだから仕方ないと思うが、心の中で「まぁー後で泣きを見るのは、あなたですから」と気をしずめる。
 結局、ほとんどが泣きを見ることになるのだが、「おいらは、知らないよ」と相談にも乗らない。大人気ないのだが当方も商売なので、かまわない。

 最近、私が書いた『モザンビークの青い空』という本を持参して日本から来る人が多い。先日も事務所で昼寝していたら、「知らない日本人が来ている」と秘書に起こされた。えっ、と応接室に行ったら、なんの連絡もなかった日本人がいて「本を読んで来てみました」と言うではないか。内心「おい、おい、大丈夫かいな」と思いながら応対した。本を持参なので、本にサインをして欲しいとの話。これには、毎度困ってしまう。本当に字が下手なのである、書くたびに恥をさらしているようなもので、いつも冷や汗を掻きながら書くのである。

******************************2009.09*
その56 二度あることは…

きっかり、一年ぶりのコラムである。
月日の流れるのは早いもので、あっと言う間の一年だった。この間、なにか進歩したかというと、進歩どころか再び貧乏神に背中を引っ張られ、後ろに下がってしまった。
流行には疎いのだが、昨年後半からの世界恐慌の余波を受けてしまい、それでなくとも青息吐息の会社経営は最悪の状態に陥ってしまった。いろいろと策を講じたが、リストラをしようにも元々賃金が安いので、たいした効果は期待できない。孤軍奮闘した結果、悪いことは重なるもので、11月に肺炎で緊急入院となり、あの世まで、あと三歩のところで、なんとか持ち直した。
当地の病院で、最低15日間の入院が必要と医師に言われたが、10日目くらいで良くなり「退院する」と言ったら「まだ駄目」と医師の答え。次の日ためしに「もう金がない」と言ってみた。医師曰く「あ、そう」これで退院となった。医者も商売だから金のない輩を診てもしょうがないのは分かるが、なんともハッキリとしている。保険もなにもないうえ、外人専用の病院で入院費がべらぼうに高く、赤字続きの会社が倒れる寸前までいった。
その間も、当地モザンビークは異常なほどの発展を続けており、世界恐慌などほとんど影響はない。これといった産業もなく、ひたすら先進国からの援助で国がなり立っているのだからもっともなことである。首都マプートと地方の格差は広がる一方で、マプート市内の道路は時間によってますます渋滞がひどくなっている。古い建物を取り壊しビルの新築ラッシュとなっていて、ざっと数えると現在、建築中のビルは20件ほどが工事中である。そのほとんどの施工業者が中国の業者で、他の国の施工業者は手が出せない。理由は簡単で中国業者は工事金額がべらぼうに安いのである。以前はあまり見かけなかった中国人が、今や肩で風を切って集団で街を闊歩している。地方へ伸びる道路工事も進んでいて、北部へ行く道路もほとんどが修復されつつあり、復興の速度は早まっている。これもまた、工事業者はほとんどが中国である。
そんななか、当国を二分する大河ザンベジ河に橋が架かった。以前のコラムでこの大河ザンベジ河を艀で渡る困難を何度となく書いてきたのでお分かりと思うが、この橋の完成によって南の端マプートより北の端パルマアまで約3,000Kmが陸続きとなった。この橋の施工は中国ではなく、ポルトガルとイタリアの共同施工だったことは救いである。おから工事で橋が落ちたなんてことになったらお笑いでは済まないことになる。
そんなこんなで、ボロ会社をなんとかすべく、今年5月5日に当地を発ち、日本へと向かった。翌日の6日夕方、約21時間の空の旅で札幌に到着。ホテルへバッグを置いて知人が営むすし屋へ直行した。しばらく馬鹿な話をしながら久々の日本酒を2合ほど飲み「疲れているので帰る」と、雑居ビルの地下1階のすし屋を出たところまでは記憶がある。
気がついたら脳外科病院の集中治療室のベッドの上だった。「え、何これ」と現状が分からずにいると、看護師さんが来て「気がつきましたか」との答え。「どうかしたのですか」と尋ねたら「雑居ビルの階段で、倒れていたところを救急車で運ばれてきたのです」と言われた。
病名は頭蓋骨前頭葉挫傷及び外傷性くも膜下出血。早い話が階段で転び、頭を強打し頭蓋骨と鼻の骨のつなぎ目が外れ、脳しょうが流れ出し、脳と頭蓋骨の間に空気が入ったと、いうことだった。医師が来て「危なかったですね、しばらくは絶対安静ですよ。脳しょうの流れが止まらなければ、開頭手術をしなければなりません」と言われた。困ったことになってしまったと思い恐る恐る「15日にはモザンビークへ戻らなければならないのですが」と尋ねた。「なにを馬鹿なことを言っているのです。下手をすると下半身が動かなくなり、一生、車椅子ですよ。早くて2カ月や3カ月はかかります」と私にとっては死刑宣言にも近いことを言われてしまった。
顔は打撲のせいで目の回りにクッキリとした青あざができて、まるっきりパンダ顔。腕には3本もの点滴の管が通され、まったく動くことはできない状態。その後、言われた通りのことを守りなんとか回復に向かい、通常では考えられない日にちで退院となった。
あの世まで後一歩の所でこの世に追い返されたわけで、この経過については後々、報告することにする。たいした後遺症もなく現状復帰できたことは、神懸かり的なことだと思っている。ただ以前から悪かった頭は退院後も以前のままだ。
足掛け16年になる当地での生活、数えてみるとこれで3度目の死にぞこないになる。一度目の訳の分からない病気のことは、以前コラムに書いたので、ご存知だと思う。二度目が肺炎、今回は頭蓋骨挫傷と段々と危険度が増している。
後で分かった事だが、一度目の病気はどうやら毒をもられたらしい。なにはともあれ、こうしてアホな話のコラムをこの先も続けていきますのでご期待下さい。

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【プロフィール】

遠藤昭夫(えんどう・あきお)


1948年北海道美唄市生まれ。自動車販売会社、観光バス会社、観光会社等、様々な職業を経て、1994年に、 単身モザンビーク共和国へ渡る。現在、首都マプートで、現地人の社員22名を雇い、中古車の輸入販売会社「ICHII LDA MAPUTO」を経営している。ちなみにICHII は、日本語の「1位」の意。
自称「モザンビークの不良中年オヤジ」。モザンビーク人の養子マーダーラー君と二人、花の父子家庭を営む。主な著書に『モザンビークの青い空』、(出窓社)がある。

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