******************************2005.9* その31 突然のTV出演 恥ずかしながら日本のテレビに出る羽目になってしまった。 8月の中頃、私の携帯電話に日本の知らない人から電話が入り、何だろうと確認もせずに出たのが恥の始まりだった。 私の本を読んで感激したとの話から始まり、ついてはテレビに出演して欲しいとのことだった。以前からテレビの出演依頼は何度もあったのだが、頭のてっぺんが薄くなった、うらぶれた親父に出る幕はないと断り続けていた。 しかし、今回は、たまたま帰国しなければならない事情があり、往復の航空券付きという条件に、まんまと釣られてしまった。 ここまで書いてのお願いですが、番組を見てもけっして笑わないで下さい。それと、ヤラセは一切ありません。レポーターの島崎俊郎さんが素晴らしい方で、最近のテレビでよく見るふわふわしたお笑いタレントではなく、地にしっかりと根を張った方でした。島崎さんのマネージャーの方、ディレクターの方、カメラマン、照明・音声の係の方々もとても素晴らしい方で、素人の私と馬鹿息子共々、大変お世話になり、マプートに戻った今も良い思い出ができたと思っております。 偶然とは面白いもので、テレビ出演を受けたら、3日後くらいに他のテレビ局から出演依頼があった。これは、かの有名な「めざましテレビ」だった。いかに節操のない私でも、同時に二つの番組を掛け持ちするわけもいかず、丁重にお断りして、当地の男性と結婚し家庭を持っている日本人女性を紹介した。 この経緯を友人の放送作家に相談したところ、ついでに文化放送に出てちょうだいと、ラジオ出演の依頼まで受けてしまい「ラジオならアホ面は出ないからいいか」と引き受けてしまった。 ちなみに、ラジオは今月(9月)21日に放送なので、もう終わった。警視庁がスポンサーのコーナーで、モザンビークの交通事情を話したのだが、格式ある放送でアホな事を言ってしまい、警視庁からクレームが来るのではないかと心配している。 でも、話したのは全部、本当の事である。モザンビークの交通事情は、日本とは比較にならないほどアホらしい。例えば、信号機はほとんどが機能せず、ずっと赤のままの信号機や青のままの信号機があったりする。中の電球が盗まれた信号機もあるので、交差点に入る時には、大胆な決断と細心の注意が必要となる。 運転免許は金を出して買うものと認識している人がほとんどで、とにかく何でもありの交通事情である。そんな過酷な交通事情の中で、未だかつて小さな接触事故もない私は、本当に運転がうまいと思う。何をやっても下手だが、車の運転だけは神様が私に与えてくれた唯一の特技だと信じている。 テレビの撮影は、マプートで3日間、日本への移動が2日間、日本でも撮影が3日間と忙しい日程だった。内容は私と息子の親子の愛情物語である。とは言え私も息子も適当にやっていたのだが、ディレクターや島崎さんにうまく乗せられ、恥かしながら私、函館山の頂上で涙なんかを流してしまい、一生の不覚シーンを撮られてしまった。 そのシーンの撮影後、ディレクターや島崎さん、カメラマンに「後生だから、ここはカットして下さい」と、米つきバッタのように頭を下げてお願いしたのだが、「こんないいシーンをカットはできない」と冷たく言われてしまった。 全国ネットで放送されるこの番組、万が一にも、昔別れた彼女やその他、諸々の方が見たら、45年間日本で清廉潔癖とは縁遠い生活を送っていただけに大笑いをされることだろう。せめて、このコラムを読んで頂いている方々は、この番組をご覧になっても決して笑わないで下さい。 実は、我がアホ息子を日本へ留学させるべく努力をしていたのだが、この撮影の少し前に引き受け手が見つかり、今回はその息子の留学が番組の主題になっている。撮影中にその事を段々と盛り上げていくのだが、私としては、まだ3カ月先の別れは実感がわかなかった。 撮影日程が終わり、モザンビークへ戻る2日前に留学先の岡山へ行きホームステイ先のお宅を息子共々訪ね、細部の打ち合わせをしている時、急に「あ、本当に別れが来てしまうのだ」と実感し、打ち合わせの途中から話はほとんど頭に入らなくなった。 その夜、ホームステイ先に泊めて頂き、息子と二人で布団に入ってから「お前、日本で勉強するのが嫌だったら無理して日本に来なくてもいいんだよ」と、しんみり言うと、息子が「僕ここがいい、大丈夫、ちゃんと勉強するから」と、らしくもないことを言う。それを聞いて正直、頼もしいと言う気持ちより、寂しい気持ちの方が大半だった。 今回のテレビ撮影の時に息子を見ていて「あれー!?」と思う事がたくさんあった。背丈が急に大きくなったように見えたり、自己主張するようになったりで、いつまでも小さい子供だと思っていたのが、目に見えないところで成長してきていることを教えられた。 とは言え、マプートでの生活は以前からのペースのままで、毎日「馬鹿、早く起きろ」とか言って怒りまくりの生活である。 テレビ放送は、10月10日、体育の日の午後4時からのスペシャルです。関西方面は読売テレビ、関東は日本テレビで放送されます。ぜひご覧下さい。 ******************************2005.8* その30 越境 毎度おなじみの肩の痛みに耐えながら生活している。痛みもここまで来ると一瞬痛みが止まった時など「どうしたのかなー?」などと考えてしまう。 アルコールは自己判断で解禁にした。理由は簡単で飲んでも飲まなくても、痛いものは痛く、何ら変わりがないからである。 8月に入り、けっこう気温が下がり、朝夕16.7度で日中も20度を下回ることがある。これも9月の中頃までで、一瞬の冬と言うやつである。 先日、南アフリカのネルスプリットという街まで車で行って来た。この街はマプートから一番近い南アフリカの街で、片道230km、2時間30分くらいで行ける。皆さんがご存知のヨハネスブルグまでは、片道600kmくらいで約6時間かかる。 ネルスプリットには大きなスーパーやショッピングモールなどがあり、マプートと比べると別世界である。3ヵ月ほど前から理由はよく分かないが、モザンビークの人が南アフリカへ入国するのにビザが要らなくなった。以前は厳重な審査があり、長くても3ヵ月のビザしか出なかった。モザンビークも少しは豊かになってきた証かと思う。 と言う訳で我が家の息子と私の友人の3人で友人の車で出かけた。南アに入国する時は、モザンビーク側の国境でも南ア側の国境でも何も調べられない。南ア側に入ると道路が一変する。片2車線で車線ラインが綺麗に引かれ、南ア・ナンバーの車は運転マナーが日本並みに良い。そこを制限速度120kmで走るのだから、快適そのもの。南ア側に入って1時間ちょい走ると目的地に着く。 ショピングモールの中、ほんの少しだけ日本食材を売っている小さな店がある。まず、そこでオーストラリア産の米と日本産のショーユ等買い込み、スーパーではマプートにない食品を買った。米は、オーストラリアで作っている日本米なので日本と変らない。 ふと見ると、息子が玩具屋の前で動かなくなっているので、仕方なく金額の上限を決め一緒に入った。ほとんどが日本製のプラモデルやリモコン車で、その値段の高いこと、日本で買う価格の5割増しくらいである。 息子と決めた金額では彼の欲しい物はとうてい買えない。しょうがないのでTシャツを一枚買い「今度、日本に行ったらリモコン車を買ってね」と可愛いことを言う。 このショッピングモールは3年ほど前に出来て、以前から何回も来ていたが、今回は少し驚いた。以前はほとんど目にしなかった中国人を大勢見かけたからである。それも年寄りから赤ん坊までが揃ってモールの中を歩いている。中には私達を同国人と思い、会釈する人もいる。私と友人は小さな声で「違う、日本人だ」と囁き合った。 前回来た時には、私の頬から顎にかけ髭がぼうぼうだったせいか、何人ものイスラム系の人から軽く会釈をされた。心の中で「俺は違う、爆弾なんか持ってないぞ」と言っていた。 買い物も終わり、モールの中にあるレストラン街に行きシーフードの店に入ったところ中国人の板前がいて、メニューには寿司や刺身もある。息子が「刺身!」と言うので値段を見ると、なんとマグロの刺身三きれで日本円にして1,600円もするではないか。やけになり、寿司も食べろ、と大盤振る舞いをしてしまった。 喜んだ息子が刺身をうまそうに食べていると、隣の席にいた白人夫婦が珍しそうに見ていた。「この寿司は、まずいなー」と、大声で息子が叫んだので、慌てて「そんな大きな声で言うな」と拳固をくれてやった。日本語だったので周りには分からなかったようだ。 ショッピングモールの駐車場にもモザンビークナンバーの車が沢山あって、モザンビークからの買い物客が増えているのが分かる。 しかし、それに比例して南アの強盗も増えている。最近は手口がこんできて、モザンビークナンバーの高級車が走っていると、路肩からガム状のようなものをフロントガラスに投げつける。運転手が慌ててワイパーを回すとフロントガラス全体が白くなるので急停車する。そこへ拳銃を持った強盗が来てあらいざらい持っていくのである。たとえ、ガム状のものを投げつけられても決してワイパーを回さないようにと、大使館のセキュリティーから注意があった。 南アのハイウエイでよく見かけるのがヒッチハイクだが、いくら手を振られても絶対に止まってはならない。止まった瞬間にホールドアップとなることがある。また故障している車の脇で手を振る人もいるが、これも気の毒だが止まらないほうがよい。 買い物も食事も終わり、さあー帰ろうかと、車をマプートへ向けて走らせながら「今日は税関でいちゃもんを付けられたり、金をせびられることもないぞ」と思うと少しうきうきしてきた。と言うのも、大使館勤務の友人の車には、外交官ナンバーが付いているからである。これは菊の紋章を付けていると同じで、水戸黄門様の印籠ぐらい偉大である。 来る時も戻る時も、検問の交通警官が小遣い稼ぎをしていたが、「どーぞお通り下さい」である。モザンビーク側の国境では、混雑していて順番が後ろの方だったが、係りが手招きして先頭の方へ出してくれ、すんなりと国境を抜けることができた。もちろん荷物検査などない。さすがに外交官ナンバーの威力はたいしたものである。前々から何とかこのナンバーを偽造する方法はないものかと頭を捻っているが、未だ出来ない。 ******************************2005.7* その29 盗人 本日、7月14日午後10時30分、玄関のドァーの開く音がここ2階の書斎に聞こえてくる。息子が剣道の稽古から戻ったのだろう。 日本は、ジメジメとした梅雨の盛りだろうが、初冬の当地では日増しに肌寒くなっていく。長年こういうところで暮らしていると体が慣れきってしまい、20度を下回るとすぐ風邪を引いてしまう。 先週も風邪を引いて10日間ほど身動きが取れなくなり、帯状疱疹の後遺症の痛みもあり部屋でウンウンと唸っていた。寝込む4日ほど前に現在関わっている仕事で、従業員が大失敗をやらかし、うん百万円の損失を出してしまった。さてさてどうしようかと頭を抱えていた矢先に高熱が出始めたので、風邪薬その他を大量に服用したところ、口のろれつが回らなくなり、おまけに目まいがする。 帯状疱疹の痛みで、市内の病院には3・4件回ったが、ろくな医者はおらず、鼻っから病院には行く気はなく、自分で何とかしようとしたが、最初の夜に吐き気がし、おまけに寝ていても目まいがしてベッドから落ちそうになった。 息子は慌てて祈祷師のバァーさんを呼んで来ようかと言い出し、犬の菊ちゃんは前足をベッドにかけ、クーンクーンと泣き出し、猫は腹の上に上りマッサージもどきを始め、さすがにカメレオンの花ちゃんは動かなかったが、とにかく大騒ぎになった。 我慢できずに、我が相棒を夜中に電話で呼び出した。日本で看護師をやっていた彼女も、もう3人の子持ちなのであまり迷惑はかけたくなかったのだが、事が事だけに来てもらった。 次の日から相棒と相談のうえ闇医者に往診をお願いして10日間ほどかかってやっと直ったが、帯状疱疹の後遺症の痛みは相変わらず続いている。 一昨日から会社にも出てはいるが、待ってましたとばかりに「給料の前借をお願いします」と、次から次とやってくる。ふらふらしながらでも、会社に出て雑務をこなそうとしている矢先にそんな事言ってくるので「会社を閉鎖する、それと今まで会社負担だった昼食は本日限りで取りやめ」と宣言してやった。 今朝は体調も良く迎えの運転手と8時半頃家を出て会社に行き、事務所にカバンを置き、「コーシーでも飲みに行くベー」と運転手と2人で街中にあるコーヒーショップへ出かけた。いつものコーヒーを頼み、朝飯代わりのトーストを食べようとしたら、運転手の携帯電話が鳴り、「社長の自宅に置いてある4WDの車が盗まれた」と言うではないか。 一瞬、どうしていいのやら考えがまとまらず「まぁー取りあえずコーシー飲んでからにしよう」と自分でも変に落ち着いていた。騒いでも、持って行かれた車はその辺にある訳でもないし、どうしようもない。 コーヒーを飲み終わり、自宅へ戻ると今朝ガレージにあったはずの4WDがなくなっている。家の敷地内にあるガレージからである。この車はナンバーもまだ付いてなく、ガソリンは意識して2・3kmしか走れない程度しか入れていない。日本のように緊急配備をして近所を捜せば必ず見つかるはずなのだが、そんな事は全く期待できない。 思い起こしてみれば、今朝、普段使用している車で出る時に、二人の男が門の外で立ち話をしていた。近所のガードマンだろうくらいにしか考えなかったが、あの二人が犯人だろう。私が出かけるのを確認してガレージから車を盗んだのにちがいない。日本円して約百万円の車で結構気に入っていた車だった。 午後から他の用事で日本大使館へ出掛け、ついでに盗難の届けを出した。ちょうど相棒がいて「ほんとに遠藤さんは運がないね」と言うので「馬鹿野郎、ほんとに運がないのなら、もうとっくの昔に死んでるよ」と強気に言い返した。が、仕事で穴は開くし、病気にはなるし、おまけに車は盗まれるで、どう考えても運がないとしか言いようがない。 しかし、不思議なことに以前のように怒りの感情は沸かない。本当にイエス・キリストさんに近くなってしまったのだろうか。それとも、生まれ付き自分はアホなのだろうか、「また頑張ればいいや」と思うようになった。 12年前に初めてこの国へ来た時、私より約1年遅く南アフリカのヨハネスブルグに来た日本人夫婦がいる。彼らは今では私のかけがいのない大親友で、南アの大きな旅行会社の責任者をやっている。 彼らも私同様に人には言い尽くせない苦労をし現在に至る。ただ私と違うところは彼らの努力は確実に実になっていることである。それと生活基盤がアフリカ大陸でも一、二を争うほどの経済大国だと言うこと。それに比べ、私のいる国は未だ世界最貧国のベスト5位に入る国である。砂で城を作るようなもので、少しでも大きな波が来ると城はあっけなく崩れてしまい、賽の河原で石を積んでいるようなものだ。 「運」と言う言葉と「せめて、10年若かったら」と言う言葉は死んでも口にしないつもりである。今回の盗難も、もっと警戒していれば防げたと思うし、うん百万の失敗も肩の痛みで気が回らなかったとは言え、もっと慎重に事を進めて行けば防げたことである。すべての事は自分自身の怠慢から来た事と反省している。 車を盗んだ二人組は、前々から事前調査をし、慎重に事を進めたと思う。その慎重さと根気を何でもいいから仕事に生かせ、馬鹿野郎! 私が出掛けた後に犯行に及んだ事を考えると、たぶん武器は持っていなかったのだろう。最近、国連関係の外国人が車目当ての強盗に3・4人殺されている。いずれも至近距離からの発砲で逃げようがなかったようだ。 息子が「俺がいれば竹刀でぶったたいてやったのに」と息巻いているので、 「そう言う馬鹿な事を言ってるから、いつまで経ってもアホなの」と言ってやると 「馬鹿とアホの違いはどうなの?」と真剣に聞いてきた。 答えられずに「いいから、早く寝ろ」と一喝して質問はうやむやにしてやった。 さぁー明日からまた頑張ろう。 ******************************2005.6* その28 病気とファッション 今月は、日本の冬至にあたり、一年で一番日照時間が短く、夜明けは午前6時頃夕方は午後5時には薄暗くなるマプートである。 5月初めに患った帯状疱疹は、2ヵ月経った現在も完治せず閻魔様の釘打ちの刑に服している。皮膚の疱疹は治ったが、右首筋から右肩にかけての刺すような痛みは四六時中続いている。それが、ツネるような痛み、痺れるような痛み、そして針で刺されるような痛みと、日替わりの痛みになる。おまけにお尻の左ほっぺにデカイ疱疹ができ、まともに座ることもできない。右首筋は痛いし、左の尻は痛いしほんとに「どうしろと言うのだ」と叫びたい気持ちの毎日である。 さらに、尻のデキモノから膿が出て、医務官に相談したら「女性の生理帯を張っておくと良い」と言われ、恥を忍んで買い求めたが、どうやって取り付けていいか分からず悪戦苦闘して、やっと取りつけてたものの、何とも奇妙な気分だ。 というわけで、毎日、機嫌の悪い日が続き、うっぷん晴らしに社員どもに八つ当たりをしている。仕事は予定通り進まず、車で地方へ行かなければならないのだが、なにせお尻のほっぺたが痛いので右斜めに座ると、今度は右肩に力が入り首すじの痛みが激しくなる。約250kmも走り目的地に着く頃はへとへとになっていて仕事にならない。 いつも困難にぶつかるたびに「世の中には自分よりもっと困難の中、何とか切り抜けている人が沢山いる」と自分に言い聞かせ「もっと努力を」と思うが、この痛さばかりは「努力」ではどうにもならない。 滅入ってばかりでは駄目だと、普段の服装を一新してみた。普段はよれたジーンズにTシャツ、靴はスニーカーと中年親父の若作りの服装だが、上下の背広、ブルーのワイシャツ、革靴をピカピカに磨き上げ、お気に入りのネクタイを締め出勤したら、社員一同、目が点になった。 あまりに皆がじろじろ見るので思わず「どうした、俺の顔にタイヤの跡でも付いているか?」と聞いたら意味が分からなかったようで「今日はパーティーがあるのですか?」と言い出した。 その日の昼は家に戻らず会社で食事をとったのだが、その時に何気なくネクタイをはずし、食後にまたネクタイを締めた。そのネクタイを締める動作に一同驚いている。何をそんなに驚くのかと尋ねたら、鏡も見ずに簡単にネクタイを締めることに驚いている。 そこで「君達は私の本当の姿を知らない、これが本来の私だ」と一席ぶってやった。当地へ来るまで、日本で一番長かった職業はバリバリの営業マンで、服装にはちょっとうるさかったことを言ったのだが、あまり信用していないようだ。 それももっともで去年まではスニーカーすら履かずにジーンズ、Tシャツ、サンダル姿で毎日を過ごしていた。顔は日焼けで黒く、足の甲にはサンダルの跡がクッキリついていた。どこに行くにもこの格好で出掛けていたのだが、日本人の女性に「少しはオシャレをしたら」と言われ、少し気に掛けてはいるのだが、年中暖かい国にいるとオシャレのしようがない。 現在持っている衣類はTシャツが10枚くらい下着の白いシャツが20枚くらいとジーンズが10本、ワイシャツが5枚、スーツにいたっては2着しかなく、ネクタイは3本。 四季がある日本では、その季節ごとに着る物を変えるので、けっこう楽しめるのだが当地にいるとその楽しみさえない。金がかからなくて経済的なのだが味気ない。 Tシャツと言えば、少し前から当地で漢字のデザインが入ったTシャツが流行っている。もちろん着ている人は何が書いてあるのかは分からない。たいていは龍とか虎とかで無難なのだが、「狂人」と書いたTシャツを着た若者に会った時には笑ってしまった。最近は少し漢字もわるようになった息子が「エンドーさん、あの字は頭のおかしいと言う意味だよね」と聞くから「英語でクレイジーと言う意味だ」と教えると「あの人知らないで着ているから教えてくる」と言い、その若者のそばへ走りより何かを話していた。 すると若者がいきなり息子の頭に拳固くれて立ち去っていった。息子はその後姿に日本語で「馬鹿やろう、やっぱり、きちがいだ」と叫んだ。そばに行って「どうした」と聞くと「俺はきちがいじゃない。と言って叩かれた」と痛そうに頭をさすった。 漢字ブームはTシャツだけではなく、刺青にもあるようで、おかしなのをたまに見る。これはマプートの空港で見たのだが、知人を迎えに国内便の到着ロビーに行った時、前にいる白人の若者の首筋に漢字が見えた。見ると「夫」と見える。「天」の見間違いかと思ったが、やはり「夫」と書いてある。夫がいるなら妻がいるはずと馬鹿なことを考え、あたりを探したがいない。 そのうちに到着客が出て来て、知人を見つけ出口に向かったら出口付近でさっきの「夫」男が女性と抱き合いキスをしているではないか。はたと思いつき、女性の首筋に目をやると何とピンポンーである「妻」の刺青があった。 長い一生この夫婦は別れずにいられるのだろうか。と言うのは私の知り合いのドイツ人の若者が当地の女性と結婚し、結婚の証に二人とも右腕に肩から手首までびっしりと同じ刺青をした。当初は皆に見せびらかしていたが、3ヵ月後、男はドイツに戻り、女は違う男と腕を組んで歩いていた。腕の刺青はどうするのだろうと気になって仕方がない。 西洋人にとっての刺青は、ファッションの一部だから、日本人のように深くは考えないのかもしれない。しかし、インド系ファッションで鼻ピアスというのがあるが、あれはいただけない。見ようによっては私には牛と同じに見える。あれで鼻風邪でも引いたら、鼻水をかむ時に横から飛び出さないだろうか。人ごとながら気になる。 こんな馬鹿なことでも考えていなければ肩は痛いし、尻も痛みがきついのである。 ******************************2005.5* その27 息子のこと 日中は30度近くまで気温があがるが、朝夕20度くらいの過ごしやすい時節となった。 先月のコラムで、日本で健康診断を受け異常なしと言われたのに、当地へ戻り仕事を始めたら、いらいらしたり、怒ったりで、体に異常をきたすと書いたが、まさにその通りになってしまった。 突然、右首筋から右肩にかけ激痛が走り、翌日そこに水脹れができてしまった。これがまた、激痛と言うしかなく、首筋から肩にかけて閻魔様に釘でも打ち込まれたように痛い。しかも激痛は定期的やって来て、その一瞬立っていられなくなるほどである。 急ぎ大使館の医務官に看てもらったところ、病名ヘルペス、日本名・帯状疱疹とのことだった。早い話が小さい頃罹った水疱瘡のウィルスが身体に残っていて、それが体力の落ちたりストレスが溜まったりすると出て来る病気だそうだ。 薬を飲み始めてから二十日くらい過ぎると、疱疹も少しずつ取れ、痛みも多少和らいできた。ただ顔の髭が右側は剃れないので、髭ぼうぼうの顔になっている。十年くらい前に田舎で暮らしていた時に意識的に髭を伸ばしたことがあったが、その頃の顔と現在の髭面を鏡で見て比べると「あーあ俺も苦労しているなー」と、ため息が出てしまった。 髭面を見ながら、アメリカの映画俳優ロバート・デニーロに雰囲気が似てきたような気がしたので、息子に「今度から俺を呼ぶ時にはロバートと呼んでくれ」と言うと「はい、はい、ケビン・コスナーはもう終わりですか?」と馬鹿にされてしまった。 という訳で、もう二十日以上もアルコール抜きの生活を送っている。一杯のビールと引き換えに閻魔様の釘打ちの刑を受けるのでは、いかに愚かな私でもビールは飲めない。その代わりに天然のオレンジジュースを日に5・6杯飲んでいる。時期的にオレンジがとても美味しい時なので、街で売っているオレンジを一度に50個くら買い込んで、家でジュースにする。オレンジ50個といっても値段は日本円にして800円くらいで、とても安く、しかもビタミンCがたっぷり。家でオレンジをジュースにするのは息子の仕事で、頻繁にジュース、ジュースと言うので息子が「あんまりオレンジジュースばかり飲んでいると顔が黄色くなるよ」と脅かすので「馬鹿、俺は元々、黄色人種なの」と言ってやった。 最近では、息子も特に悪さをすることもなく、大声で叱る回数も減ってきた。 今年の初め頃から、息子を大声で叱る時に犬の菊ちゃんが面白いしぐさをするようになった。以前だと大声を上げると菊ちゃんは怯えて椅子の蔭や隣の部屋へ逃げていたのだが、最近は大声で息子を叱り始めると、足元へ来て二本足で立ち上がり、前足で私の膝をポンポンと叩くようになった。「まぁーまぁーお父さん、そう怒らないで」と諭すかのようにである。なんとも、これをやられると怒っているのが可笑しくなってしまう。 息子も12歳ともなるとガールフレンドもできるらしく、先日学校へ行く前に「今日、昼に友達が来るから」とか言い出し「おお、そうか」くらいに返事しておいたら、なんと女の子を連れてきた。お世辞にも可愛い子とは言えなく、その子が帰った後「お前、センスがないなー。目でも悪いのか」と言うと「あれは、3番目の子。他に可愛い子がいるの」と生意気なことを言う。 しばらくして息子に「おい、あの時のブスはどうした?」と聞くと「知らない」と答え後は何も言わなくなった。「なに、お前フラレたの。あーあーあんなブスにフラレてやんの」と馬鹿にして笑っていると「自分だってブスばかりと付き合っていて」とやり返された。 その後、けっこう可愛い子を連れてくるようになったが、フラレぱなしで長続きはしていない。どうも、親に似てそちらのほうのセンスはないようだ。 当地へ仕事で来ている日本人で、ご家族と一緒に赴任されている方がいて、そのお子さん二人が息子とほぼ同年齢なので、よく息子が遊びに行っている。 先日、そこの御主人から息子の躾が良く出来ていると褒められてしまった。そこの家に遊びに行き、昼食をご馳走になった後、息子は自分の使った食器を台所に持って行き、食器を洗って元に戻したというのである。わが家では当然のことだが、今の日本の子供達では珍しいのだろうか。そのことを褒められたのだが、わが家では使った食器は自分で洗うことになっており、それを怠ると次から食事がもらえない上に拳固が一発おまけに付くだけのことである。 日本語が普通の日本人より劣る息子だが、剣道を始めてから敬語の使い方がさまになってきた。これも日本人の中でもまれるからなのだろう。自分で言うのもなんだが、親として私は全く無責任な親だと自負している。まだお父さんとかパパとか呼ばせない。たまに、息子がお父さんと言いそうになることがあるが、すぐエンドーサンと言い換える。 息子には、離婚しているが実の父母や二人の兄弟がいる。月に2度ほど実家に泊りがけで出かける時、自分の服装と弟の服装があまりにも違うので、少しずつ溜めた小遣いで弟に古着や古靴を買って行っている。そんな息子を見ていると、多少のお金を渡したくなるが、お金は渡したことはない。一度でも渡してしまうと自分の小遣いでは古着や古靴は買わなくなるだろうし、私をあてにするようになるだろう。異国人の私を父と呼ぶようになったら、きっと息子の母親や兄弟は悲しい思いをするにちがいない。 実は、今年中に息子を日本へ留学させるために関係各所に連絡をとって、どの方法が一番いいか模索中である。留学は長期になると思う、日本の高校を卒業するまでは当国には戻さないつもりだ。約6年間は、自分で自分のことをしなければならなくなる。たぶん日本で、習慣の違いや人種の違い等でさまざまな差別を受けるだろう。本人が途中で挫折してしまうのならそこまでの器量しかなかったと思う以外ないだろうが、きっと挫折しないでちゃんとした大人になってくれると期待している。 昨日の深夜、息子の胴着のほつれを不器用な手で縫いながら、ふと彼が日本に行った後のことを考えていたら、不覚にも涙で目がくもり針で指を刺してしまった。 ******************************2005.4* その26 他人の物は自分の物 4月になり、マプートもやっと秋らしい気候になってきた。 3月末から10日間ほど駆け足で日本へ行ってきた。成田に着き、翌日、北海道へと飛び、千歳の上空から下を見ると一面雪景色である。「これはまずい」と思いながら空港を出ると何と吹雪だった。薄いジャンパーの下は半袖のTシャツ一枚で、トランクの中の着替えにはコートはおろか長袖の物なんぞまったくなく、震えながら札幌に着いた。 さっそく厚手のジャンバーを買いに行き、次に防水の靴とマプートではまったく必要のない物を買う羽目になった。そんなこんなで、商用と健康診断を終え、日本での最後の一日だけは自分へのご褒美と勝手に決め新幹線で熱海へ行き念願の温泉に浸かって来たのだが、一人では何とも味気ない温泉旅だった。 マプートへ戻ってみると、言いつけておいた仕事は十分の一しか進んでおらず、着いたその日から怒鳴りまくりの日が続いている。こんな状態では、せっかく健康診断で「特に異常無し」と言われても、そのうちどこかが異常をきたすだろう。 現在、マプートから北へ約250km行ったシャイシャイ(xaixai)という町で、日本の国際援助で教員養成学校の建築が始まっている。日本の建築会社がこの工事を行っていて微力ながら当社も下請け会社として参加している。 初めて当国に来る日本の建築技術者の方々は、一様に頭を抱えてしまう。200人単位で現地労働者を雇い、各10人くらいのグループに分け作業をさせるのだが、実際働くのは3人くらいで後の7人はボケーと見ているか、ぺちゃぺちゃ話をしているかで、働かない。 そのたびに「おい、そこの動け!」と怒鳴ることになる。働かないくせに、なんとかして資材を盗み出そうと悪知恵ばかりを働かす。とにかく手当たりしだい盗もうとする。相手が2、3人であればなんとか防げるのだが、100人以上いると目が行き届かない。建築現場の敷地は広く、周囲は鉄条網のフェンスがあるのだが、夜になると泥棒が侵入して廃材や資材を盗み出す。常時3名いるガードマンも役に立たない。それでも何とか仕事は進めて行かなければならず、疑心暗鬼の毎日が続いている。 民族性と言ってしまえばそれまでだろうが、「他人の物は自分の物」と考えてしまうのには何年この国に住んでいても理解できない。ただ単に貧しいからだという外国人もいる。役人や警官がワイロを要求するのは給料が少なすぎるからだと言う意見もある。しかし、私はたとえ給料の金額が十分であっても、物を盗んだり、ワイロを要求したりするだろうと考える。要は教育の問題なのである。 こんな事を書くとお叱りを受けるかもしれないが、当国の人口の70%はキリスト教徒である。わが社の社員も1人を除いて全員キリスト教徒で毎週日曜日には教会に通っている。ほとんどのキリスト教徒は日曜になると教会へ通う真面目な信者である。イスラム、キリスト、仏経、どの宗教でも盗みを奨励する宗教はなく、必ず「純真に生きなさい」と説くと思うのだが、どうして彼らは平気で嘘を言ったり物を盗んだりするのだろうか。どうも彼らの信仰と普段の生活とが結びつかないので困る。 この疑問をある日本人と話したところ、「あ、それはキリスト教には懺悔というのがあって、神の前で自分の犯した罪を告白すると全部チャラになるからよ」と言われ目から鱗が落ちた。 「そうか、懺悔という免罪符があったか」と妙に納得してしまった。だが、神様は何の被害も受けないが、被害を受ける方たまったものではない。 こんな事ばかりが続いている当国で、よくぞやってくれたという政治家が現れて話題になっている。 大統領が変わり、閣僚も順次入れ替わっているなか、農業大臣に新しく女性が就任した。 先夜、家でテレビのニュース番組を見ていると、新大臣が農業省へ着任した様子を放送していた。一通りの挨拶が終わり、大臣がある幹部職員に「あなたの給料は幾らですか?」と問いただした。聞かれた職員は「2,500,000mtです」(日本円で約12,500円)と答えた。 すると大臣は「それだけの給料で、あなたは個人的に自家用車を4台持っていますね、どうして買えるのですか。維持費はどこから出しているのですか?」 聞かれた職員は目が点になってしまっていた。 また、別の職員に対して「あなたの携帯電話の通話料が月々2,000,000mtですが、この代金はどこから支払っているのですか」 聞かれて返答できない職員の顔がテレビで映し出された。 省庁の役人の腐敗を全国中継で暴いた女性大臣に喝采が起こったのは当然のことで、日頃の役人の生活を見ている庶民も胸がすーとしたことだろう。 4台の車を持っていた幹部職員の処分は、3台を役所が没収、携帯電話の方は今までの電話代を全額返済させることになった。その他の省庁でも順次内部調査が始まり、役人が右往左往し始めていると社員が話してくれた。 どんなに考えても現在のモザンビークで、仕事もしていない若者が高級車のメルセデスやBMWを乗り回せるはずがない。やりたい放題だった役人の子供達もこれで少しはおとなしくなるだろうと社員達は話している。 話はまったく変わるが、わが家の息子は剣道に夢中で、週2回の稽古に欠かさず通っている。仕事が忙しく送り迎えが満足にしてやれない状態だが、私がいないときは重い防具を担いで徒歩で1時間もかけて道場まで通う。水曜日は夜8時からで土曜は午前10時からの週2回である。土曜日は昼間なので心配ないが、水曜は一人で夜道を歩かせるのは心配で、「俺のいない時には稽古は休め」と言っても「大丈夫、歩いて行くから」と平気である。 まぁーこれも修行のうちと好きなようにさせている。好きこそ物の上手なりと言うが、一緒に習い始めた子供達の中では群を抜いて筋が良いそうで、少し嬉しい事である。ただ、勉強がなー。 ********************************** 「バックナンバー4」へ コラムのTOP PAGEへ戻る |