まちかね会◎みんなの掲示板 
投稿者名(漢字フルネームでお願いします)

ご自由にお書きください。


*******************2025/04/08 21:14:42*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 4月5日に、舟引さんご出演の邦楽のコンサートに行ってきました。古典ではなくて、新しい曲です。船引さんは全8曲中4曲に登場されました。最初の曲と最後の曲は全員の合奏でした。三味線2本の「呼応」という曲が凄かったです。二人のパートがユニゾンになることがなく、とにかくひたすら煽り合うというか、挑発し合うというか、気の抜けない曲でした。気力、体力を削られそうです。「幻の柱」という曲では、歌を歌われていました。大体、三弦を弾きながら、または琴を弾きながら歌うのがほとんどで、歌手がいるっていうのが、なかなか珍しかったりします。戦死して帰ってこない夫を思って詠んだ九条武子の歌が歌詞になっていて、感情をのせないといけない曲です。
歌も上手い。
最後の全員合奏(三弦、琴、尺八、打楽器、歌)は、声と邦楽器のための組曲 信楽狸というタイトルなんですが、歌詞が
「何事も前後左右に気を配り正しく見つむることな忘れそ」
「もの事は常に落ち着き去りながら決断力の大腹を持て」
「金銭の宝は自由自在なる運用をなせ運用をなせ」
........ずっとこんな感じで続きます。
ゲストのテナーの人がとても良い声で朗々とこういう歌詞を歌うので、客席で一人でウケていました。

矢熊さん

日本史、世界史です。地理は苦手です。

*******************2025/04/07 21:12:58*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 熊見さん 後編を楽しみにしています。

ところで、皆さんは、社会科の入試科目は何を選択されましたか?
私は地理が好きだったので、地理と日本史でした。地理はあまり点が取れないし、歴史と関係がないから世界史と日本史にした方がいいと、周囲から言われたものでした。
そんな受験地理に、ボリビアが出ていたのを思い出しました。とは言っても、首都ラパスとチチカカ湖、ポトシ銀山と積出港のアントファガスタ(チリ)くらいが暗記項目でした。
今回、熊見さんの訪問記を読んで、白地図だったボリビアに色彩が加えられた感じがしました。あの頃は、あんなところまで行く日本人はいるのだろうか、と思ったものでした。

*******************2025/04/03 11:05:18*********************

投稿者:河田めぐみ

内容: 舟引さんへ

舟引さんも、ペルーへ演奏に行かれたんですよね。
ペルーにも、沢山の日系の方々がおられますね。
5,6年前に秋篠宮家の眞子さんが、ペルー、ボリビアへの日本からの移住120周年の記念行事に出席された時、ボリビアでの行事に娘も参加させて頂いたと写真を送ってくれたことがありました。
旅の続きは、スクレのあと首都ラパスと娘が住むルレナバケを訪ねたのですが、面白い話は書けませんが、また、ぼちぼち書いてみますね。

*******************2025/03/31 21:04:07*********************

投稿者:舟引 智子

内容: 熊見さんへ

旅行記みたいなのを書かれる…という事で、てっきり国内かしら、欧米かな、と楽しみにしてましたが、なんとボリビア🇧🇴とは!
私もペルーに行くまでは、名前しか知らなかったです。20年前ならなおさら行くのが大変だったでしょう。いつか後篇も期待してます。

北浦君の文章も面白かった。八つぁん熊さんでなく、甚兵衛さんときぃやんというのがミソですね。銀杏祭の時見かけた、お茶子姿の熊見さん、可愛かったよね。

新倉さん、私達の時はまだ美学科に音楽学がなくて残念でした⤵️

*******************2025/03/31 18:45:44*********************

投稿者:河田めぐみ

内容: 北浦さん
面白いコメント?ありがとうございます。
久しぶりに落研ののり突っ込みを、懐かしく思い出しました。
落語やってますか?

新倉さん
ほんとにお久しぶりです。もちろん覚えています!
宝塚観劇、最近行ってないので、もし行かれるなら声かけてくださいませ。
ボリビアのバロックの話、初めて聞きました。フォルクローレはよく聞きますが、バロックは聞いたことがありません。今度娘に聞いてみたいと思います。

*******************2025/03/29 17:34:33*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 熊見さん
お久しぶりです。ほぼ半世紀ぶり。覚えていらっしゃいますか?

ボリビアに行かれたんですね。ここ20年くらい、ボリビアのバロックというのが、極々一部で話題になっています。ボリビア他、植民地になっていたところに、バロックの頃の音楽が伝わって、その手稿譜がコンセプシオン教会で大量に見つかりました。ピリオド楽器のグループ(フロリレジウム)とボリビアの合唱団が、コンセプシオン教会で録音した演奏を聴きました。ちょっと面白かった。

*******************2025/03/29 14:49:45*********************

投稿者:北浦康司

内容:  河田(熊見)めぐみさん 「私の異文化体験 ― ボリビア編」」 ブログ掲示のお知らせ


(甚平はん)熊見めぐみはんが、まちかね会のブログに投稿しはったん知ってるか?

(喜六)熊見はん言うたら、男前ぞろいの同期の落研男子部員のしつこいアプローチを全部振り切って、当時の落研部長で、阪大名誉教授・文化功労者の河田聡はんと結婚しはった、あの熊見はんでっかっ!

(甚平はん)お前まだ根にもってんのか。もう50年も前の話やがな。その熊見はんが、娘はんが住んではったボリビアを訪ねていった時の旅行記を書きはったんやがな。

(喜六)へえ-おもしろそうやな 娘はん森之宮に住んではったんでっか。

(甚平はん)森之宮やない ボリビアや。そこで体験しはったスリルとサスペンスの体験記や。

(喜六)へー 熊見はん ペンションで掏りしはったんでっか!!
(甚平はん)こら お前 苦しいくせに、わざとムチャクチャボケとるやろ。ええかげんにせい!! 余計なこと言わんとはよ読ませてもらいなはれ!!

*******************2025/03/07 23:24:32*********************

投稿者:高見寛信

内容: 次郎丸さんのコンサートのご案内ありがとうございます。
万葉集や金子みすゞに宮沢賢治・・・こんな幅広いタイトルを掲げて一体どんな音楽に仕立てていくんだろうかと興味は尽きませんが仕事の関係で日曜大阪まで出向くのが残念ながら叶いません。
ユーチューブでも発信されてるようなのでチェックしてみます。

*******************2025/03/05 21:15:05*********************

投稿者:澤井晶子

内容: 次郎丸智希さんについて
英文科の澤井晶子です。「次郎丸智希作品コンサート」のご案内を「お知らせ」欄に載せました。
3月9日(日)に、新しい港区民センター大ホールで、次郎丸さんに師事しているプロやアマチュアが次郎丸さんの曲を演奏します。

次郎丸智希さんは私達の後輩です。ご紹介します。

作曲家・ピアニスト・朗読家。福岡出身。大阪大学文学部卒(音楽学)、同大学院修了(ドイツ文学)、神戸大学大学院人間発達環境学研究科・博士課程修了(人間表現専攻)博士(学術)。
ピアノを村上稔子、南部明子、片岡みどり、声楽・伴奏法を永井和子、朗読を花むらてんの各氏に師事。
第17回万葉の歌音楽祭・大賞、第28回TIAA全日本作曲家コンクール(重唱・合唱の部)第1位受賞。文学と音楽両面からアプローチする独自の作風で多くの作品を発表。ドイツ文学と音楽についての研究も行う。
現在、フェリス女学院大学・音楽学部音楽芸術学科(2025年4月よりグローバル教養学部・文化表現学科・音楽身体表現専攻)准教授、お茶の水女子大学講師、女声アンサンブル「グーター・コンパス」代表、合唱団「Chor AO」ピアニスト。
主な作品に、独唱・重唱・合唱のための『百人一首』『万葉名歌集』、混声合唱と童声のための『堺かるた唄』、カンタータ『まかる空~竹取物語より~』、ミュージカル『星の王子さま』『真夏の夜の夢』他多数。You Tubeチャンネル「次郎丸智希」にて過去の作品・演奏・朗読動画『銀河鉄道の夜』を好評配信中。

阪大在学中は「男声合唱団」に所属し、ピアノが抜群に上手いので、ピアノ伴奏をすることが多かったそうです。現在も、阪大男声合唱団の作曲・編曲をされています。

どんな曲? どんな人? どんな顔? 関心を寄せていただいたら嬉しいです。

*******************2025/03/03 21:45:14*********************

投稿者:舟引智子

内容: 北浦さんへ
1日のコンサートに来て下さってどうもありがとう。在学中はお話した事もなかったので、本当に驚きました。掲示板でお礼を言うのもなぁと、お礼状を出しました。そのうち着くと思います。お待ち下さい。
この様に、全く新しい交流ができるのも、まちかね会のおかげです。発足に動いてくれた方、毎月お世話して下さる方、ありがとうございます。

箏は、現代曲は色んな新しい弾き方をします。中には、絃を棒で叩いたり引っ掻いたりもあります。絃を押さえる時に立ち上がるのは、古典では御法度ですが、現代曲はたたないと押さえられない曲も多いので、仕方ないですよね。私は、60才頃から現代曲をやり出したので、大変です。

あ、これは皆さんに言わなきゃ、古典芸能では、50代はまだ若手と言われます。60代で中堅かな。未だ中堅の舟引でした。

*******************2025/03/02 14:37:08*********************

投稿者:北浦康司

内容: 舟引さんの「お知らせ」を見て3月1日のコンサートに行きました。邦楽は落語の出囃子の外は全く縁がなかったので、気力集中して聞いたのは今回が初めてです。
 舟引さんは四人編成(箏二人、十七絃(大型の低音の箏)、男性の尺八)で箏を演奏しておられました。舟引さん 凛としてカッコよかったです。(筝については知識も経験も語彙もないので他に感想を表現する言葉が見つかりません ヒヤ汗)
 邦楽のコンサートは新しい経験で楽しかったです。箏・三味線・尺八での邦楽にも、たくさんのジャンルや曲調があるんですね。このコンサートでは、よく耳にする古典的な曲や歌舞伎をイメージする艶やかな曲も聞けたのですが、舟引さんのグループの演奏は、後で調べたところ1960年に作曲された「出雲路」という組曲で、あまり日本的な旋律は目立たず、邦楽でありながら尺八と箏三筝によるジャズのアドリブを思わせる曲調・演奏で私にも十分楽しめました。
 それにしても、箏の演奏は優雅なイメージを持っていましたが、体を乗り出して、時には半分立ち上がって弦を抑え込んだり、両手で弦をはじいたり、せっかくきれいに並べてある琴柱を大急ぎで動かしたり、思いのほかダイナミックで、シンセサイザーの奏者のようにあれこれ大忙しなんですね。

*******************2025/03/01 20:41:10*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 高見さん 
残念です。書き込みを見たのが遅くて、その時は遠野にいました。遠野は雪が残っていて平泉より寒かったです。今は花巻にいます。明日、新花巻で宮沢賢治関連の施設を見て盛岡に向かいます。明日の盛岡が今回の旅のメインイベントです。

「西行良いですね。大学生の頃は、西行の良さが全く分かっていませんでした。「吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ」をそのころは、うじうじした男だなあなんて思ってたんですよね。

*******************2025/03/01 09:44:14*********************

投稿者:高見寛信

内容: 新倉さん、この時季の平泉にいらっしゃるならぜひ衣河の河畔、高舘の舘あとに立ってみて下さい。
「とりわきて心も凍みて冴えぞ渡る 衣河見に来たる今日しも」(西行)

*******************2025/02/28 21:29:57*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 平泉の旅館におります。東北新幹線に乗車中に『落花狼藉』を読み終えました。吉原を作った西田屋甚右衛門の奥さん(花よ かよ よは人偏に乃)の教養小説みたいなもんです。面白かったです。吉原を13年間の陳情の末、「売色御免」の街にし、湿地を埋立て、歌舞伎や風呂屋(湯屋は銭湯、風呂屋は売春する場所だそうです)などの岡場所と小競り合いを繰り返し、火事で新吉原に移転してまた栄えます。島原の乱や、色々の歴史と絡めて、吉原が栄えたり、閑古鳥が鳴いたりするのを書いています。最後の方は、これからの上客は、武士ではなく、商人だと言っています。

そういえば、鬼滅の刃にも遊郭篇がありましたね。あの鬼はかなり怖かったです。
平泉で、岩手放送を見ていたら、45分間、ずっと大船渡の山林火災のことをやっていました。乾燥した空気、落ち葉、強風が揃うと山火事が起きるそうですね。旅館の人が、大船渡は東日本大震災で津波で家を流された人が、海辺は怖いからと山手に家を建てたので、ちょっと密集してそれが燃えてる。気の毒すぎると言っていました。

*******************2025/02/28 16:08:33*********************

投稿者:高見寛信

内容: 矢熊さん、掲示板に追加のご案内、面白く読みました。
簡明にして興味を湧かせる江戸名所めぐりなかなかお見事です。
「歴史探索江戸めぐり」とでも銘打って、英語版、中国語版も刷れば、万博に押し寄せるインバウンドにバカ売れするんじゃないかと。現代の蔦重になれますよ!(笑)

舟引さんの島原紹介も興味津々、早速webで検索してみました。
今は造作する職人がいないんじゃないかと思われる建物内部のレトロな意匠や美しいステンドグラスなどが残ってるんですね。
春秋に公開とありましたから春の陽気に誘われて友人と行ってみたいと思います。

*******************2025/02/24 16:31:11*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 新吉原は、鬼門封じの装置?

皆さん、ブログの感想や面白い話のご紹介、ありがとうございます。
朝井まかての『落花狼藉』は、そういう話だったのですか、また教えてください。
舟引さんの島原探訪記も面白く読みました。それで合点したのが新選組の屯所が近いことです。芹沢鴨の一派がしばしば島原の角屋に押しかけ、酒宴をし狼藉をはたらいたことが、いろんな記録に残っていますよね。

さて舟引さんの「墓地・刑場と廓・芝居小屋はセットになって街の外れに置かれる」という説ですが、それもあったと思いますが、江戸の町は、もっと巧妙に配置されたようですよ。それは、家康のブレインだった天海が、陰陽道と風水によって、江戸を呪術的に設計したからです。

天海は、江戸城の北東の鬼門を封じるため上野に寛永寺を造り、裏鬼門の南西には、増上寺を移転させて配置しました。さらに家康が亡くなると、鬼門の延長にあたる日光東照宮に祀って江戸を守護させたのです。
浅草寺は、元から鬼門方向にありましたから、その北に新吉原を移し、後に歌舞伎三座を移転させます。遊郭と歌舞伎がもつ陽の気で、鬼門から入る陰の気を遮断したのです。
また刑場は、世の中を浄化する装置として、鬼門方向の江戸の外に置いたようです。ちなみに江戸のもう一つの刑場、鈴ヶ森刑場も、裏鬼門の江戸の外にあたる大森海岸の近くにありました。
天海が張りめぐらせた呪術的結界は、江戸を260年にわたって守ったのですが、さすがに黒船の来航には通じなかったようです。

*******************2025/02/23 21:38:36*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 舟引さん、お久しぶりです。

小塚原に千住回向院があるそうです。これは両国の回向院の別院として小塚原刑場での刑死者を供養するために建てられたそうです。安政の大獄で刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎や、毒婦高橋お伝などの墓もあるそうです。

出典が荒俣宏の『日本妖怪巡礼団』なので、ちょっとアレですが、二十万人以上が刑死したこの場所には、国事犯、政治犯が眠っているそうです。二・二六事件の首謀者で死刑になった礒部浅一とか。文政5年(1822)に南部藩士相馬大作を埋めて以来、国事犯をここに埋葬することになったそうです。ちょっと行ってみたいです。

島原遊郭、面白そうですね。

*******************2025/02/21 22:16:51*********************

投稿者:舟引智子

内容: 矢熊さんへ
私の興味のど真ん中を射抜くブログ、どうもありがとう。
特に吉原の古地図の中に小塚原の刑場が映り込んでるのが面白かったです。墓地・刑場と、廓・芝居小屋はセットになって街の外れに置かれるんですねー

さて、吉原も大阪の新町も今は何も残ってませんが、唯一僅かに残っているのが京都島原遊廓です。ちょうど去年11月に行って来ました。
JR丹波口駅から徒歩7分、大門と見返り柳、昔の揚屋一軒と置き屋兼お茶屋が一軒残っています。揚げ屋は、角屋(すみや)記念館として春秋一般公開されています。着物だと半額です!行く価値、充分ありです。
置屋兼お茶屋の輪違屋には太夫さんが3人程います。(今は芸妓さんと同じ扱いで宴席に呼べますが、祇園で遊ぶくらいのお金が必要です。)

周りは殆ど住宅街ですが、昔の面影を残す建物も飲食店として残っており、「べらぼう」の吉原のセットを彷彿とさせます。やっぱ京都は凄い‼️

*******************2025/02/19 22:49:26*********************

投稿者:高見寛信

内容: 矢熊編集長さん分かりやすいブログ記事ありがとう!
江戸開創期の背景などをあざないながら吉原の歴史を分かりやすく解説してくれました。
数えるほどしか行ったことがない東京ですが浅草、神田、寛永寺など懐かしく思い出させてもくれました。
今年の大河はほぼほぼ観てなかったのですが矢熊ブログに触発されて録画をチェックしてみようかな(笑)。

*******************2025/02/19 22:17:34*********************

投稿者:新倉敦子

内容: こんばんは
大河ドラマを見る習慣が無いもので、(その昔、琉球の風は見ました)「べらぼう」も見ておりませんが、番宣が多くて、見たような気になっています。吉原については『好色一代男』『好色一代女』『好色二代男』などを読んだ知識がほとんどです。『好色二代男』は一代男世之介の息子世伝があちこちの店に行き、そこのお作法とか、費用とか、遊女の紹介などを書いた、要するにガイドブックで、文学性は極微量。

吉原を作った目ざとい商人=庄司甚右衛門の奥さんをモデルにした小説があるらしく、ちょっとアマゾンでポチりました。朝井まかての『落花狼藉』。読むのが楽しみです。

管理売春を考えたんだからすごいですよね。岡場所の私娼の方が吉原よりも何倍もいたらしいですが、時によって、見て見ぬふりをしたり、見せしめのために厳しく取り締まったりしていたようです。吉原は莫大な上納金を納めていたので力が強いんですよね。

「生まれては苦界、死しては浄閑寺」の浄閑寺にはお参りに行って見たいですね。永井荷風の詩碑があるそうです。

*******************2025/02/17 23:09:19*********************

投稿者:森俊彦

内容: こんばんは。高知の森です。
停滞気味のブログに活を入れようと、編集長の矢熊君が大河「べらぼう」をきっかけにその舞台である「江戸と吉原」について解説文を寄稿してくれた。
ドラマの主人公「蔦重」は、江戸期の出版の先駆けの編集者。矢熊君が本文で触れているように、初版や重版、目次、奥付、見出し等々は現代でも使われている出版用語。新聞業界でも身近な言葉で、我が事のように思いながらドラマを楽しんでいる。
吉原に「新吉原」と「元吉原」があったのは、知らなかった。矢熊君のブログで成り立ちはそこそこ分かったが、その地域・吉原の現状はどうなっているのか? どなたか訪問ルポでも書いてくれないかな。
ところで、原稿が集まらないーは、編集者泣かせ!。現代でも江戸期でもそれは同様だろう。現代の“蔦重”・矢熊編集長を安心させるためにも、まだ書いてない方は投稿を。

*******************2025/02/12 15:33:48*********************

投稿者:舟引智子

内容: こんにちは、舟引です。
矢熊さんが、新しいお知らせ欄を作って下さり、演奏会のチラシを載せて頂きました。よろしかったらお越しください。
4月のは無料です。3月のはチャリティーですが、招待券ありますのでご連絡下さい。

4月20日.6月にも演奏会ございます。又ご案内させていただきます。

*******************2025/02/07 16:55:22*********************

投稿者:矢熊晃

内容: 「お知らせ」欄を新設しました。
寒い日が続きますが、お変わりありませんか。
舟引さんから邦楽コンサートのお知らせが届きました。
詳細は「お知らせ」欄をご覧ください。
皆さんへお知らせや企画の案内などがありましたら、
なんでも、ご自由にご利用ください。

*******************2025/01/07 22:33:06*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 北浦様
ご教示有難うございます。「オチ」は落語じゃなくても、関西では話にオチを付けたがりますよね。「サゲ」の方が使用範囲が狭いんですね。確かに、例えば、繁昌亭の帰りに「○○のサゲは面白かったね」なんて恥ずかしくて言えないですよ。そこは「オチ」じゃないと。 いろいろありがとう!!

*******************2025/01/07 11:41:06*********************

投稿者:北浦康司

内容: 北浦です。いよいよ寒波が来ました。昔、駅前でヘルメットを被った学生が「かんぱお願いします、かんぱお願いします。」と拡声器でがなっていましたが、あんなこと言うから寒いんですね。今年もよろしくお願いします。
新倉さんの『北浦さん 落語の落は江戸ではサゲ、上方はオチというのですか?それとも、落語界ではみんながサゲと言っているんですか?』のお問いかけ・・・ 上方でも、オチともサゲとも言いますが、普通はオチです。僕はサゲという人には何か「気どり」を感じていました。「おとしばなし」(かな表記)→「落語(らくご)」(漢字表記)と、呼び方が変わって行ったことは明らかなので、落語の結末イベントはオチと呼ぶのが落語文化の正しい継承だと思います。
現在でも、物の呼び方を新奇に呼ぶことで、専門的・知的・進歩的などと考える人が多くいます。僕らが子供のころ履いていた木綿の下着は「パンツ」でしたがいつの間にか「ブリーフ」になりました。そんならパンツはどこかへ消えたのかと思っていたら、今度は女性のスラックスとなって復活しました。「目が白黒パンツは白、おさるのお尻はまっかっか」です。
海賀変哲さん。新倉さん、えらい怒ってはります。調べてみると大正12年没の人ですから、古くそれ以前から(主に江戸で?)サゲと呼ぶ事が始まっていた事が窺えます。僕の個人的言語感覚では、オチ(おちる)は落語の作り主・作家が苦労して作り上げた物なので、作り主・作家に敬意を払った呼び方。サゲ(さげる)は落語演者が自身の演じ力・力量への意識が強い呼び方。と感じます。
(「落語は、たわいも無い話を話術、表現で面白くしてるんですね・・・」については、また改めて)

*******************2025/01/05 16:29:52*********************

投稿者:高見寛信

内容: 明けましておめでとうございます。
四国遍路の話題に一言。
神戸の金剛福寺は高野山真言宗の寺ですので私は檀信徒の皆さんを引率して過去に四国八十八ヶ所をバス巡礼で三周しました。平均二泊三日で一国ずつ廻る行程でした。
彼方此方で所謂お接待のサービスは受けましたが大石さんが指摘なさるような難民救援の淵源が有ることなど全く想像のほかでした。
「同行二人」の杖つきながら四国の山野を巡りながら本堂、大師堂ごとに般若心経、お真言を唱えながら旅するとやはり最後満願したときの感激は一入のものがあり、お遍路体験を共有したメンバーは多くの檀信徒の中、今でも主要な位置を占めています。
又、檀信徒間での横の交流も生まれ結果的にお寺の護持に役立ってくれたとも思います。
話題は変わって、大晦日の除夜の鐘には百人あまりの人(お盆や彼岸と違い、檀信徒ではない一般人や外国人も)が列をなしてお一人一打ずつ梵鐘を撞いてもらいます。
最初の一打を撞いたあと本堂へ入り年頭のご祈祷・修正会を修める。
これで新たな一年が始まるのが私の年末年始です。

*******************2025/01/03 17:43:29*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

四国遍路は体験したことはありませんが、友人のなかには、数年かけて母親と一緒に車で廻ったという者がいました。弘法大師への信仰は、四国生まれの人に限らず、今も格別なものがありますね。
大石くんの四国遍路論は、新しい視点で面白いですね。今まで、各地の霊場への巡礼は、病気快癒や厄払いを祈願するなど精神的な再生を目指すものだと思っていましたが、四国遍路特有の「お接待」が生活困窮者を救うセーフティネットの役割をもっていたとは思いもしませんでした。
ブログから新しい知見を得られるのも愉しいことだと改めて感じています。

高見くん 「王朝の貴族」を読まれたのですか。恥ずかしながら私はまだ読んでおりません。中公文庫のシリーズは何冊か持っているのですが、戦国時代や幕末・維新など虫食い読書で、平安時代のものは未読のままです。

*******************2024/12/27 18:18:10*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 大石さま
鳴門では、綿密な小旅行の計画をたてていただき、また車に乗せていただき、本当におせわになりました。有難うございました。

お遍路さんは、松山に住んでいたので、小さい頃はよく見ました。子供の頃は、ちょっと怖かったです。その頃のお遍路さんは、汚れた身なりで、ヘトヘトな感じで歩いていたと思います。近頃は真っ白な巡礼の姿でやけにパリッとしています。

四国八十八ヶ所のルートのどこかにたどり着けば、お接待で生き長らえる可能性がありますが、そこに着くまでが大変ですよね。飢饉の時に餓死を逃れて、四国八十八ヶ所を目指す人が、旅行の資金を潤沢に持っているとは思えませんし。アフリカから難民が、船にぎゅうぎゅう詰めに乗って、ヨーロッパを目指すような感じでしょうか? 着いた先が、難民収容所ではなくお接待というのは、良いですね。しかも、施しではなく、利他行を行って善行を積むことになるので、お接待をする側、受ける側、どちらにとっても素晴らしいシステムですね。
当時の交通も、けっこう発達してたんでしょうね。山椒大夫の人買いルートは実際にあったという話を読んだことがあって、泉州から四国はそんなに難しくなかったのかなぁ。

*******************2024/12/21 22:50:10*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 年賀状をどうするか悩みつつ、まだ買ってもいないというグダグダの年末です。

神保町で東洋文庫の『落語の落』2巻を買いました。タイトルの落に「さげ」と振り仮名がついています。海賀変哲著です。1の半ばで挫折しました。つまらないんですよ。落語の落、つまり粗筋です。それに変哲氏のこの落は詰まらないとか、こレは小さんがよくやるが、小さんより円右の方が良いとか、コメントが付きます。しかし、この小さんは大正時代の小さん。出てくる馴染みの落語家の名前は全て何代も前の人です。変哲氏のスパッとしたコメントは面白いんですけどね。

落語は、たわいも無い話を話術、表現で面白くしてるんですね。それがよく分かりました。寄席にに行って聞かないと全然面白くないです。落語の筋を纏めても、全然笑えないです。

北浦さん
落語の落は江戸ではサゲ、上方はオチというのですか?それとも、落語界ではみんながサゲと言っているんですか?

*******************2024/12/21 13:41:41*********************

投稿者:高見寛信、

内容: 今年も愈々カウントダウンの時節になりました。
皆さんそれなりに慌ただしくなさっているんだろうなと存じます。
もう大分前になりますが矢熊さんが紹介してくれた「王朝の貴族」。
中公文庫版でようやく読み了わりました。
かなり学術的な内容で噛み砕いて読み進めるのに苦労しましたが比較的自分には馴染みのある院政期から鎌倉時代の動乱期に下ごしらえしてゆくかのような摂関政治の一端を垣間見た思いがします。
矢熊さんにはお礼を申し上げます。

それからこれも年内の宿題と思ってた一件。僕の粋狂に付き合ってくれる友人と二人で石橋商店街を抜けたところに架かる橋の色が赤だったのかどうかを確かめに石橋駅でおりました。
先に阪大坂の方へ歩き、元医短の校舎が今は阪大学術博物館になっている修学館に立ち寄りマチカネワニと初めて対面してきました!
帰り道にちょうど夕陽が沈んでゆく時間帯に合わせて赤い橋のたもとに佇んで何となく納得して帰途につきました。

*******************2024/12/04 13:04:26*********************

投稿者:北浦康司

内容: 北浦です。落研の話題を書いて頂いたのでちょっと乱入します。
レジェンド荻田清さん(梅花女子大名誉教授)は、ぼくが入部した時には先々代の部長で、大学院で井原西鶴の研究中でした。「担当教官から落語の研究や発表はまだしたらあかんでといわれてんねん」とおっしゃてましたが、2015年に『上方落語 流行唄の時代』待望の上方落語に関する研究を出版されました。5,6年前に落研の寄り合いで久しぶりにお会いしました。
(荻田さん)「最近はあちこちの女子大から出張講義のお呼びがかかって忙しいねん。林家染左君と一緒に行って落語の実演と解説をやったらえらい喜ばれるねん」
(ぼく)「染左さんと合わせ売りの営業ですな」
(荻田さん)「(ニコニコして)そうやそうや 楽しいで」

林家染左(そめざ)さんは、阪大「落研出身」の唯一のプロの落語家です。1994年阪大なんと文学部国史学科卒業。
寄席囃子の研究と実践など、古典芸能全体に上方落語の実践を位置付ける林家染丸さんに入門し、本格派の古典芸能落語家として評価を得ています。(太鼓・笛の名手らしい)事務所に所属せずフリーで活動し、天満繁盛亭や各地の市民寄席に頻繁に出没します。応援してあげてください。(2007年 - 第44回なにわ芸術祭新人賞2014年 - 兵庫県芸術奨励賞2015年 - 宝塚市市民文化賞2021年 - 第16回繁昌亭大賞奨励賞)

河田(熊見)めぐみさんについての最近情報(ご存知かとも思いますが…) 
ご主人の河田聡大阪大学名誉教授・元大阪大学落語研究部部長が本年10月令和6年度の文化功労者に選出されました。(阪大落研出身の唯一の文化功労者!!)
<1973年阪大落研部長、1979年に大阪大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。同研究科教授などを歴任し、2017年に大阪大学名誉教授。今回は落語ではなく、光学・分光学、特にナノスケールを対象としたナノ光学における優れた業績で受賞>

舟引さま 「みんなの掲示板」にブログの感想をいただきありがとうございました。関西で公演の予定があればお知らせください。

*******************2024/11/26 23:03:41*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 今、地震でちょっと揺れました。ドキッとしました。能登半島が震源なんですね。

舟引さん お久しぶりです。8月には前にチケットを頂いた鈴木俊哉さんのワークショップに行きました。その節には有難うございました。完全に私信です。申し訳ない。

荻田さん、いらっしゃいましたね。すっかり忘れてました。落語は聞いたことがありません。熊見さんの落語は聞いたような気がします。でも、どこで、どういう状況で聞いたのか、記憶があやふや。多分「つる」だったような。

*******************2024/11/25 19:13:18*********************

投稿者:舟引 智子

内容: 北浦君、遅ればせながら、読ませていただきました。
実は、ブログが上がった頃に知人が亡くなり、ちょっと凹んでおりましたが、読んでみたら楽しくて、元気が出ました。ありがとう。
落語も割と好きで、繁昌亭にも何度か行きました。
初めての時は、着物で行くと割引があるというので、頑張って着て行き、立派な大入袋をゲット❗️でも、中身は100円玉一個…まぁトリの露の都さんに
「奥さん、着物で来てくれてアリガトッ」て言われたから、まぁいいか。

国文に上がった時の院生に、落研のレジェンド荻田先輩がおられて、ゼミ旅行の時に《たち切れ線香》を一席全部語ってくれたのを覚えています。20代であの長い噺をちゃんと語れるなんて凄いよね。それまで笑点くらいしか知らなかったので、感動しました。今でも覚えてますもんね。
その後、プロのを聴いたり、地歌を勉強する中で、北浦君の書いてたはめものの存在を知りました。《たち切れ線香》には、地歌の名曲《ゆき》がとても効果的に使われています。
私が演奏会で《ゆき》を弾いた時に、「ああ、たち切れ線香の…」と言ってくれた高校の同期がいました。彼も伝統文化オタクだったからね。でも、彼もこの春亡くなってしまって…あぁ、又悲しくなって来ました…

*******************2024/11/18 20:21:01*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 立川寸志さんの話、面白いですね。44歳で入門ってのはすごいです。落語家的には有りなんでしょうね。思い切りが良いですね。
繁昌亭以外にも行ってみないといけませんね。

*******************2024/11/18 19:43:42*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 「醒睡笑」は、確かに今の落語に通じる笑いの構造をもったストーリー性は希薄ですが、落語のまくらとして、そのまま使えそうなものは、わりと有ります。
なんといっても、「中世なぞなぞ集」なんかに比べると、圧倒的に読みやすいです。
チョー有名な「ははには二たびあひたれどもちちには一どもあはず」答えは「くちびる」 しか知らなかったので、軽い気持ちで読んでみようとしましたが、答えの単語を全く知らないので、これで「なぞなぞ」の答えを考えるのは無理がありすぎました。 
「醒睡笑」は、6割くらいは軽いお話として読めるように思います。笑いのツボがきっと違うんでしょう。何が可笑しいのかさっぱり分からなかったりします。

注 母には二度逢ひたれども、父には一度も逢はず  中世の母の発音はhahaではなくて、fafaだったという証拠を示す国語学的資料です。

*******************2024/11/18 11:36:00*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 北浦くん 島之内寄席の精緻な描写、ありがとうございます。
 お陰さまで、おぼろげだった記憶が蘇りました。あれは心斎橋だったのですね。中之島あたりと思いこんでいました。また、島之内寄席の現在の様子もありがとうございました。
 新倉さんは、読書の幅もさることながら、沢田研二からプロレスまで間口が広いですね。

 さて前回の続きです。立川談志が落語協会を飛び出したのは、真打昇進試験で弟子が不合格になったことがきっかけです。それだけでなく、明らかに力量が劣る他派の弟子が合格したのです。この結果に談志が怒り狂ったわけですが、大事な真打昇進の審査会を自分の都合で欠席した談志にも非はあるのです。
 この時、不合格になり、談志が協会を飛び出す原因になった弟子が立川談四楼です。現在は立川流の大看板の一人ですが、作家としても著名で数々の名作を世に出しています。なかでも、自伝的小説『シャレのち曇り』は、落語界の理不尽さや自身の真打落第の顛末を描いた青春小説で面白いです。お奨めします。
 この談四楼に執筆依頼した編集者に、私が以前勤めていた会社の後輩がいます。都立大の落研出身で談四楼のファンだったようです。何度も通い、原稿の打ち合わせをしているうちに、なにを思ったのか、会社を辞めて談四楼に弟子入りしてしまいました。遅咲きも遅咲き44歳での弟子入りです。師匠から「寸志」という名前をもらっての初舞台を同僚と見にいきました。寄席ではなく、お寺の講堂です。滑り出しは順調でしたが、途中で2分ほどの沈黙、しきりに汗をぬぐい目はうつろです。緊張で頭がまっ白になったそうです。
 最後に挨拶に立った談四楼が、笑いながら「野郎やりやがったな、と楽屋は大笑いでした」、「スタートは遅いけど、60歳までには必ず真打にします」と力強く宣言していました。立川寸志は現在57歳。実力派の二ツ目で、真打目指して奮闘中です。

*******************2024/11/16 12:36:08*********************

投稿者:北浦康司

内容:   落語で盛り上がってまいりました。矢熊さんの島之内寄席の思い出に触発されました。

 島之内寄席は場所を変えて、上方落語協会主催の落語会として現在も引き継がれているようです。島之内教会は今もイベント会場を提供する、国の登録有形文化財として健在です。

 昭和48年夏のある日、心斎橋筋を東に5本入った少しうす暗いネオンの飲み屋街を進むと、古びた石造りの西洋建築の前に、ライトで煌々と照らされた大きな看板に寄席文字が踊る島之内寄席が現れます。
 落研メンバー3人が数段の石段を上がって玄関に進むと、銭湯に似た下足場がありました。そこに、浴衣を着たおじさんが「いらっしゃい、らっしゃい」と聞き覚えのあるだみ声で迎えてくれます。なんと、(私が心から敬愛する)当時上方落語協会会長で島之内寄席の発起人・六代目松鶴さんで、僕らの靴を受け取ろうとします。僕らは恐縮して、「いえいえ、阪大の落研です。今日は勉強させてもらいます」とあわてて奥の靴置き場に持っていきました。
 ホールに入ると天井以外は仮設ながら立派な寄席の設営になっており、畳敷きです。(教会の沢山の長椅子はどこに行った?)正面には少し高い高座があり、キリストさんがいらっしゃると覚える祭壇の前に口座の背景が作られています。演者はキリストさんにお尻を向けて演じるわけで、教会のこだわらないこだわりに好感を持ちました。
 薄い座布団を一枚渡され、半強制的に巻きずし1本を買わされ、お茶をもらって自由に座布団を敷きます。ぎゅうぎゅうに入っても50人程度か、私が行ったときはいつも20人程度でした。そんな規模の寄席でしたが、5席ほどの出演で売れ出した若手からトリはいつも四天王クラスの大物、それをほんの2、3メートル程度の距離でマイクなしに聞ける寄席でした。

 月に5日ほどの開催でした。落語家ブームから落語ブームに開花した当時の、上方落語の貴重な思い出です。

島之内寄席の現在
https://kamigatarakugo.jp/shimanouchi/
島之内協会の現在
https://www.shimanouchi-church.org/

*******************2024/11/15 21:56:52*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 「立川流」と聞くと、密教系のエッチな仏教の一派を思い出しました。時代小説にたまに出ますよね。若い女性が何人も拐かされて、調べていくと、これはもう滅んだはずの立川流がまだ続いていたのか?となって、公儀隠密なんかが出てきて調べてみると、立川流のフリをした別の犯罪者だったみたいな感じの。
立川しらくさんなんかは、メジャーな感じですが、そうなんですね。知らなかったです。立川一門ではなく、立川流なんですね。でも、今や、新日と全日、ノアや各種団体の垣根が無くなってる、または、大変低くなってるので、落語界も、今の偉いおじいさん達が交代したら、寄席に出られたりしないでしょうか?と、思いっきり、素人考え。

*******************2024/11/15 18:08:38*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 横から失礼します。
学生時代、島之内寄席に何度か行ったことがありますが、今もあるのでしょうか?
あの頃、「お笑い四天王」などといって、三枝や仁鶴ら若手の落語家がよくTVに出ていましたね。
天満天神繁盛亭の噂は聞いていますが、行ったことはありません。いいところのようですね。
東京の落語界の話が出ていますが、もう一つ立川談志が起こした立川流というのがあります。これも落語協会の真打昇進試験の審査に抗議した談志が、一門の弟子を引き連れ袂を分かって打ち立てた流派です。喧嘩別れのようなものですから、立川一門の落語家たちは寄席に出れません。地域の公会堂や公民館、果ては風呂屋や居酒屋などを会場にして地道に頑張っています。

*******************2024/11/14 18:13:39*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 落語協会、落語三遊協会、記憶があやふやなまま書いてました。ありがとうございました。
文枝なんかは、もしかしたら芸術家だと自認してるのかもしれないと感じます。

*******************2024/11/14 16:40:43*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 北浦さま

座布団についてのご教示ありがとうございました。長年の疑問が解けました。格上の人には、別の座布団で、そうでもない人は裏返すんだろうか?いやいや、それは無いだろうとか、いろいろ考えてたんです。スッキリしました。

円丈師匠のCDは、落語のライブではなく、お歌です。

*******************2024/11/14 16:17:26*********************

投稿者:北浦康司

内容: 新倉敦子さま

 徳島・鳴門 また楽しいの団体旅の機会があればいいですね。
掲示板での感想ありがとうございます。ちょっと上方に肩入れし過ぎた内容で、反省してます。口で言うときは気にならないのですが、文章になると言い過ぎに気づきました。(ヒヤヒヤもんです)
 「座布団は、持って出てきて変える時と、舞台上の座布団を裏返す時があるのは、どういうことなのか?」僕も気になったことがありますが、ほったらかしてました。この機会にWEBで調べてみると、
(質問)「落語家さんは全国を回るときもマイ座布団を持っていくのですか?」の質問に
(答え)「上方落語の独演会、一門会で全国を回ってる人は、鳴り物、見台など持って行くので座布団もついでに持っていきますね、しかし、最近の地方のホールでもこれら道具を常備している所も有るので、臨機応変に対応されてます。
 また、襲名などで作った、名前入りの座布団を使用する事もあります。しかし、普通の落語会に出演する時は、マイ座布団をいちいち持っては行きませんね。
 繁昌亭などは色変わりの座布団が常備されていて、噺家自身の好みの色がえらべ、お茶子さんが高座返しの時に取り替えたりします。これは見た目を重視する上方特有のものですがね。」
というやり取りがありました。ご紹介しておきます。

 「落語協会と落語芸術協会は、柳家小さんが牛耳る落語協会に反発する三遊亭円生が弟子を連れて独立したということだと思います。」については1978年の「落語協会」からの「落語三遊協会」分裂騒動の話のようですね。
 
 「落語芸術協会」の設立は1930年に柳家金語楼が当時東京に進出していた吉本興業の後押しで設立した団体です。「芸術家…」という文言については Wikipediaの「寄席は落語という芸術、講談芸術、漫才芸術、漫談芸術、ものまね芸術などさまざまな芸術を総合的に実演する」と解釈した金語楼と柳橋は「日本芸術協会」と命名した。」という記事によってます。(「日本芸術協会」の設立趣意書は確認できてません。見つかりません。1977年に「落語芸術協会」に名称変更。ちなみに現在の協会概要には芸術という文言はつかわれてません。)

 「『ご乱心』は面白かったです。円丈ファンになって、CDまで買ってしまいました」のおかげで、もう一度東京の落語に関心が出てきました。早速手に入れてみようかな。

*******************2024/11/14 12:28:47*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 北浦さま
1組でご一緒したはずなのに、鳴門が初対面のような気がしました。鳴門、楽しかったですね。

落語の色々、楽しく拝見しました。ライトな落語ファンです。東京の寄席には行ったことがありませんが、天満天神繁昌亭には時々行きます。去年は、西原いつ子さんと一緒に行きました。

繁昌亭で、噺家さんが引っ込むと、着物の女の人が、見台と膝隠しを持って出てきて、セットして、下手の名札をめくって袖に入ります。一連の動作が無駄がなくて流れるようで、見入ってしまいます。座布団は、持って出てきて変える時と、舞台上の座布団を裏返す時があるのは、どういうことなのかと疑問に思っています。
また、見台と膝隠しを持って袖に入る時もあり、上方落語だから、全員が見台と小拍子を使う訳でもないみたいです。

落語協会と落語芸術協会は、柳家小さんが牛耳る落語協会に反発する三遊亭円生が弟子を連れて独立したということだと思います。「芸術家云々」は単なる作文じゃないでしょうか?

円生の弟子の三遊亭円丈の『ご乱心』という本で読みました。
円丈可哀想、円楽嫌な奴だなあ、という感想しか、今となっては覚えてないですが、確か、真打を乱造する小さん師匠に円生師匠が反発したのがきっかけだったかな?真打にならないギャラが全然違うとか…探したんですが、見当たりません。

『ご乱心』は面白かったです。円丈ファンになって、CDまで買ってしまいました(1回聞いただけですが)。30年経って復刊されたのが、『師匠、ご乱心!』という後日譚と、三遊鼎談がついたものです。文庫本についているそうです。こっちは読んでない。

円丈師匠の創作落語を、生で聞いてみたかったです。面白いんですが、一般受けしない感じではあります。

繁昌亭、良いですよ。梅の時期には梅酒祭り(チケットを買ったら、各地の梅酒飲み放題)もあります。天三商店街には、天牛書店もあります。

*******************2024/10/29 16:52:49*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 「光る君へ」ファンの皆さんへ
 毎回、王朝貴族の権力争いや当時の暮らしぶりなどを面白く観ていますが、皆さんはいかがですか。
 さて、「光る君へ」の時代考証をされている歴史学者の倉本一宏さんが、学生時代に恩師の土田直鎮東大名誉教授から授かった遺言がネットに掲載されていましたので、ご紹介します。
 国史の方はご存知だと思いますが、土田直鎮は平安時代の貴族社会に関する専門家で、一般書は滅多に書かなかった人ですが、『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫)は、平安時代史研究の金字塔と言われています。(読まれた方も多いと思いますが、私はまだ読んでいません)
 倉本さんは、学生時代、土田教授から「古記録こそ正しい歴史。歴史物語は創作で、古記録を扱えるかが歴史研究におけるアマチュアとプロの『差』だ」と、歴史研究の心得を諭されたそうです。
 そんな土田教授が、研究室の進学生歓迎会の3次会で、酔いつぶれている学生を尻目に、倉本さんに「これから遺言を授ける。俺が死んだらこれを研究室に貼っておけ」と言って次の言葉を語ったそうです。
〈一。現代人の心で古代のことを考えてはいけない〉
〈二。古代人の心で考えないといけない〉
〈三。俺は長い間、そうしようと思ってやってきたが、結局駄目だった。お前らにできるわけがない。ざまぁみろ〉
 この遺言が、研究室に貼られているかは知りませんが、文学作品を読むときの心構えにも通じる気がします。
 なお、倉本さんは、「平安時代は、おおむね平和で、豊かでいい時代だった。もっと評価されていい」と言われています。

*******************2024/10/21 16:21:14*********************

投稿者:森俊彦

内容: 英文科の同窓生の皆さんへ
秋の気配が色濃くなり、肌寒くなってきました。皆さん、体調を崩したりしていませんか?
先日、澤井さん(英文)のメールで、今月26日に英文科の同窓会が大阪市内のホテルで開かれることを知りました。席上、「まちかね会のことを皆さんにお伝えします」とありました。
「まちかね会」を結成して1年8か月。矢熊君(美学科)の好意で、出窓社webサイトの一角に「まちかね会」サイトを併設。ブログや掲示板などのコーナーを立ち上げ、現在、40人ほどがネットなどでつながり、交流しています。
 英文科では、毎年同窓会を開き、10人ほどが集まっているとか。コロナの時には、Zoomで同窓会を開催したこともあると伺いました。そんな皆さんの交流ぶりをご紹介いただくと同時に、まちかね会活動を通して、他学科の皆さんとも交流をお楽しみいただけましたら幸いです。
 英文科では、6月に竹鼻さんがブログ「いとおかし 横浜正金銀行」を投稿してくれました。英文科の皆さんも、積極的に交流の輪に加わってください。よろしくお願いします。
 最後になりましたが、英文科の同窓会のご盛会をお祈りしています。

*******************2024/10/13 14:18:07*********************

投稿者:井元秀実

内容: 「スロッピー」について説明です。

高速鳴門のバス停の駐車場は平地にありますが、高速道路はずいぶん上(およそ30m)を走っていました。すぐそばに小高い山があったために、高速がそんな高いところを走っていると思われます。
高速バスの利用者のために設置されている乗り物「スロッピー」は、10人ほどが乗れる小型のモノレールでした。無人運転ながら人が歩くほどのゆっくりとしたスピードで、高速道路の間近まで行けました。
新倉さんとの別れがさみしいのはもちろんありますが、物珍しさも手伝って全員が「スロッピー」の乗り心地を楽しみました。
新倉さんを見送った後に「下までもう一度乗りたい」という意見もありましたが、なにせ時間がかかるので徒歩で下山しました。

*******************2024/10/13 00:17:36*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 教養の時の英語の授業に、私はよく遅刻していました。遅刻するのは、語学だけではなかったのですが、語学は出席簿順に席が決まっていましたね。 遅刻して、ドアをなるべく静かに開けても音は出ます。それから、席まで歩き、椅子を引いてガタッ、座ってドスッ、カバンを開けて、ノートやテキストを机の上に出し、それから、小さい声で「すみません。今どこをやってますか?」と聞いたんですが、周りに迷惑を掛けて嫌がられていたからか、遅刻許さないと思われたのか、みんな無言だったんですが、隣の列の井元くんが、いつも、「ここです」と教えてくださってました。その節は、ご親切にありがとうございました。


別に紅一点でも気にしてなかったです。そういうことを気にする歳でもないですしね。
鳴門は、先に帰ったんですが、高速鳴門のバス停に行く乗り物が、とても可愛いかったです。思わず笑顔になってしまう「すろっぴー」でした。

*******************2024/10/12 15:02:16*********************

投稿者:井元秀実

内容: 徳島旅行にご参加下さった皆様、本当にありがとうございました。
特に新倉さんは紅一点となってしまい、申し訳ない気持ちで一杯です。またほぼ半世紀ぶりの再会であったにもかかわらず、和気あいあいの楽しい雰囲気の旅行になったことは、主催者としては嬉しい限りです。
私事ですが「私は新倉さんと学生時代に話したことはない」と思っていましたが、何と彼女は私の事を覚えていてビックリしました。英語の時間に遅れて教室に入った彼女に、私は教科書を出して講義箇所を教えたとの事。英語の時間は席が決まっていて、私が「い」で彼女が「う」(旧姓宇都宮さん)だったので、ちょうど席が前後(隣)だったと思われる。昔の自分を誉めてあげたい気持ちになった。

*******************2024/10/09 23:09:49*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 幹事の皆様 旅行に参加した皆様

本当にありがとうございました。楽しかったです。
2日目のお城に行けなかったのが、残念でした。今年は、機会があって、お城に何回か行きました。6月に小峰城に行き、天守閣は工事中でしたが、立派な石垣に感動しました。7月には鵜飼さんと犬山城に行きました。最高のロケーションでした。お城は、どこかに旅行に行ってお城があれば観光するという感じで、お城目当てに出かけることはなかったんですが、お城好き、城沼にハマる皆さんの気持ちも少し分かってきました。

また、白河公演があれば、小峰城に行きたいです。犬山城は前の日に名古屋公演に行ったついでです。鵜飼さんが計画してくれました。

公演っていうのは、沢田研二のライブです。

*******************2024/10/09 22:54:39*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 西原さん
お久しぶりです。とても楽しい旅行でした。女性が私一人ということに気づいたのは2日前くらい。国史の皆さんは、着眼点も違い、歴史についても、よくご存知で、面白かったですよ。またの機会があれば、ぜひ、ご一緒しましょう。

入試の時に、すごい勢いで歩いていたというのは、きっと体重が重くて普通に歩いても、勢いが出たのでは?今も太っていますが、あの頃は、高校の頃の腎臓の薬のせいなのか、人生で1番太っていました。

*******************2024/10/09 14:24:57*********************

投稿者:西原(中尾)いつ子

内容: 6月末の十三の夜から、ずいぶん月日が経ちました。掲示板のほうにも、すっかりご無沙汰してしまいました。この夏の猛暑も何とか乗り越えて、ようやく日常の反復仕事にも活気の兆しが見えてきたという状況です。
9月の徳島ツアーには、森君や新倉さんの温かいお誘いがあったにもかかわらず、一身上の都合により参加が叶わず残念でした。でも今回、皆さんが本当に楽しく有意義な時間を過ごされたことをブログで拝見して、とても幸せな気持ちになりました。
それにしても大石君に会えなかったのは残念でした。大石君は同じ三国ヶ丘高校でしたが、学年が異なり、在学中は知りませんでした。入学後もクラスが異なり、あまりお話したことはありませんでしたが、阪大の入試の際、同じ教室で受験し、昼食の時間におにぎりのご飯粒を口の横につけながら、私のほうを何度も見ていたのを今でもはっきりと覚えています。私が三国ヶ丘の制服を着ていたからだったのでしょうね。新倉さんも同じ教室で、私と同じ列の後方の席だったのか、すごい勢いで私の座席の横を通っていきました。あのぐらいパワフルな人は合格するんだろうなとそのとき思ったことも覚えています。

矢熊さんのご質問、お返事が遅くなり申し訳ありません。三国ヶ丘の同級生に、久家さん?知らないなぁ…。ということで検索してみたら、その方は高26回の卒業で、私は高25回。1学年下の方でした。阪大医学部から作家になられたのですね。久坂部羊さん、読んだことがありませんでした。でもお名前は新書の広告か何かで知っていました。

余談ですが、私が“コスパ箕面”で日々打ち込んでいる(笑)水泳トレーニングのコーチを阪大医‣歯・薬学部の水泳部(阪大医歯薬水泳部)の若い学生がアルバイトでしています。さすがに優秀なる頭脳の持ち主ゆえ、内容の組み立てや説明の仕方、時間の配分がとても上手です。私も来年の大会に向けて、彼らの指導を仰ぎ、練習を頑張ろうと思っています。彼らに訊いたら、久坂部羊さんのことも知ってるかも。あるいは、勉強忙しそうだから、読む時間ないかも…。

*******************2024/09/19 17:20:43*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 高見くん、貴重な情報をありがとうございます。
辻本さんは、久坂部羊のファンだったのですか。ご指摘通り『破滅』は『破裂』の間違いです。失礼しました。

高見くんは、学士会の会員なのですね。恥ずかしながら私は、学士会館は時々利用する(ビールを飲みに行く程度)のですが、会員ではありません。そこで、会員の友人から会報を借りて、久坂部さんの講演録「後悔しない死に方」を読みました。延命治療がもたらす尊厳のない死や病院に行かない選択など、面白く読みました。なかでも、「ピンピンコロリと死ぬのは、好きな物だけ食べ、酒や煙草、夜遊びをやり放題で過ごして太った不摂生な人です。」の一文には笑ってしまいました。
久坂部さんは、三国ヶ丘高校の出身で本名久家義之さんですが、中尾さんは同級生ではないですか。
それにしても、辻本さんにかかれば、有名作家も「とても気さくなオッチャン」になってしまうのですね。こちらも笑ってしまいました。(なお、久坂部さんの講演録をお読みになりたい方は、ご連絡ください。PDFを送ります)

*******************2024/09/15 21:11:29*********************

投稿者:吉川(辻本)純香

内容: こんばんは。
久しぶりに掲示板を覗いたら、久坂部羊の名前が出てたので、嬉しくなって投稿しました。
 私は以前からずっと彼のファンで、特に初期の『無痛』『破裂』『第五番』が好きです。なので矢熊君がNHKドラマ『破滅』とあるのは『破裂』のことですよね?
 「老化した心臓が若返る夢の治療法、その結末は…」という奇想天外な小説でしたが。『無痛』もフジテレビ系列でドラマ化されたものが西島秀俊主演で今年再放送されました。先端医療で人間を「痛み」から解放しようとする医師と「痛み」をなくすことが本当に幸せに繋がるのか葛藤する医師をとりまく陰謀や犠牲のお話。
 彼のプロフィールに1955年生まれ。阪大医学部卒とあったので、「同い年やん!阪大キャンパスのどこかで出会っていたかも」ちょっとワクワクしてました。
 在宅医療医でもある彼は2015年、私の地元、大阪狭山市図書館で「医療小説の現実と矛盾」というテーマで講演会があり、聞きにいきました。とてもきさくなオッチャンでした。

 元医師でもある父親を自宅で看取った経験もあり、いかに老いるか?とか、いかに死ぬか?みたいな本をいろいろ出してますね。
 今、98才と97才の義父母の介護に向き合わざるを得ない毎日に、そんな本のことはすっかり忘れてしまってましたが。

 高見君と矢熊君の投稿に触発され、しばらくご無沙汰していた久坂部羊のこと思い出しました。
 
 『今夜、喫茶マチカネで』って面白いネーミングですね!『去年マリエンバートで』みたいな感じで。私も読んでみようかな。

*******************2024/09/15 11:26:11*********************

投稿者:高見寛信

内容: 「暑さ寒さも彼岸まで」とは言いますが、尋常でない残暑に些か音を上げてます。皆さんはいかがお過ごしでしょう?
先月、矢熊さんが掲示板で紹介してくれた阪大出身の作家に「久坂部 羊」の名前がありました。
たまたま拾い読みしていた学士会会報(2024V)の中に彼の「後悔しない死に方」と題する講演内容を纏めた一文があったので読んでみました。
親を看取り、古稀を迎えると俄に他人事でなくなってきた「死に方」の問題を医師としての現場感覚からユーモアも交えながらの語り口を面白く読みました。
ご紹介下さった矢熊さん、ありがとうございました。
仲秋の名月も近いので僕からはジブリの高畑勲監督作品映画「かぐや姫物語」をまだご覧になってない方にお薦めいたします。
ラストシーンで月からのお迎えに涙するかぐや姫の物語は、この地上に人間としてかけがえのない命を享けたにもかかわらずその生を輝かせることができず醜い争いを繰り返している私たち自身の物語でもあります・・・

*******************2024/08/19 23:18:44*********************

投稿者:森俊彦

内容: 自宅近くのTSUTAYA店内をブラブラしていて、正者君推薦の「今夜、喫茶マチカネで」を見つけ、速攻で購入、高見君同様に読みました。
阪急宝塚線「石橋駅」界隈(「石橋阪大前駅」に改称されてからは降りたことがない)。東口を出て、1Fがパチンコ店だった「石橋会館」の路地を入った先にバイト代を投じてテレビを買った安売りの電気屋があった。ガード下をくぐって東口の商店街に行くまでの路地を入った先に「喫茶マチカネ」のモデルと思われる喫茶「パル」(2013年12月3日閉店)があった。コーヒーを飲むと言えば、田舎ではネスカフェのインスタント。大阪に出てきて、初めて本格的なcoffeeの味を知った。一人暮らしを始めて、大人になった気分でしたね。
とにかく、僕らが過ごしていた時代とほぼ合致する石橋界隈を思い出しながら、懐かしさでいっぱいになりました。津村記久子さんが帯で書いているように「不意を突かれてやがて心温まる、大人のファンタジー」がぴったり来ますね。
皆さんも、ぜひ読まれることをお勧めします。
 ◆◆ ◇◇
フォークの神様、高石ともやが亡くなりました。82歳。訃報に接し、絶句してしまいました。「受験生ブルース」「想い出の赤いヤッケ」…。ラジオから流れてくる歌を聞いたものです。お世話になりました。安らかに。

*******************2024/08/19 18:19:15*********************

投稿者:高見寛信

内容: 今年のお盆も厳しい暑熱の中でしたがなんとか無事に棚経を回り終えました。

少し空き時間ができたので正者さんご推薦の『今夜、喫茶マチカネで』を読みました。
懐かしい石橋駅周辺を舞台に大阪弁で紡がれてゆく幾つかの物語の果てに待っていたシュールなエピローグ・・・

久しぶりに「石橋駅」で降りて商店街をブラブラしてみたくなりました。

*******************2024/08/09 13:59:29*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 正者くん 面白そうな本の紹介をありがとう。
たしかに惹かれる題名ですね。注文をしようとアマゾンを開いたら、待兼山大学を卒業した人のレビューが出ていました。作家の思う壺でしょうか(笑)
最近の小説は、あまり読んでいないので、増山実という作家は知りませんでした。また帯に推薦文を寄せている津村記久子さんも。不勉強で申し訳ない。
でも、お陰で、関西の文壇で力のある作家が活躍しているのを知って嬉しくなりました。阪大出身の作家もいますが、有名なのは久坂部羊でしょう。医学部出身らしく医療関係の作品が多いです。映像化された作品もあり、9年ほど前に放送されたNHK土曜ドラマ「破滅」は、長寿の可否を問う重いテーマでした。
小説家ではないけど、美学科の1年後輩の武部好伸君はケルト文化のエッセイストで活躍しているようです。倉敷アイビースクエアでの演劇学合宿の写真に写っているのが彼でしょう。

素数ゼミを紹介してくれた高見君へ
仲間内でやっている句会で、前回、こんな句が出ました。
  北米の大地よ兆の素数蝉   伊藤 周

*******************2024/08/06 18:34:05*********************

投稿者:正者充朗

内容: 正者です

最近発行されたばかりの『今夜、喫茶マチカネで』増山実(集英社)を読みました。題名に惹かれてすぐに購入して一気に読んでしまいました。既に読んだ方もおられるでしょうね。
 阪急宝塚線と箕面線が接続する駅のある街、と言えばすぐにどの街かお分かりですね。
 電車で宝塚に向かって走るとすぐ箕面川にさしかかって、そこには「青い橋」が架かっている。駅の名は「待兼山駅」。その「待兼山駅」東口を出て迷路のような路地の先に「喫茶マチカネ」はある。その喫茶店で毎月一度開かれる「待兼山奇談倶楽部」での「奇談」が語られるお話です。「待兼山商店街」には「平和温泉」があったりとか懐かしい名が登場したりで、「あの商店街」を頭に描きながら読みました。
 学生時代から50年近く経った今、あの頃のことが「夢」のように思われます。
 どんな「奇談」が語られるか。一度お読み下さい。最後まで読むとハッとしますよ。お薦めします。

 ちなみに、「喫茶マチカネ」は場所的には喫茶パルの辺りです。
 小説に登場する「ほんまのパン」はタローパンでしょうね。もちろん「架空」のお話ですが・・・

*******************2024/07/29 19:42:34*********************

投稿者:高見寛信

内容: 炎暑の夏がまたやってきましたね
皆さんお変わりありませんか
暑中お見舞い申し上げます

盂蘭盆の最繁忙期を迎えて私は準備にバタバタしてます
毎朝のクマ蝉のセミ時雨に目覚めながら久しぶりに「素数ゼミの謎」吉村仁(文藝春秋)を読み直しました
13年とか17年周期でアメリカの狭い地域に
大量発生する素数ゼミの生態の不思議・・・地球環境と進化の問題と絡めて面白いですよ

それにしても何年も土中で暮らし、地上に出た途端に美しく羽化してラブコールを交わし、1週間ほどで綺麗なままポトリと落ちて土にかえってゆく
 
儚くも潔いいのちですね

*******************2024/07/17 12:44:30*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 思い出のトランク
倉本聰は、母親のトランクから父が母に送った恋文を見つけ「前略おふくろ様」に、自身の想いを託した。
今の我々には、あのドラマと反転した想いがあります。
「前略まちかね会の皆様。私たちはあなたの青春を知っています。ピチピチと若く、かわいく、恋をしたり、悩んだり、笑ったりした、あなたのあの頃を知っています。…」

「思い出写真館」に、井元君が国史研究室の写真を送ってくれました。顔や名前を見ると、あの頃の光景が蘇ります。話したこともなければ、講義室や図書館、学食で、すれ違っただけの人までも。加藤さんの言葉を借りると、「あやしうこそ、ものぐるほしけれ」です(笑)

最後に高見君、ご指摘ありがとう。
あれは里芋ですね。

*******************2024/07/12 18:12:52*********************

投稿者:萩原真知恵

内容: 「富五郎」の夜から、もう2週間にもなろうとしているのですね。

 めちゃくちゃ楽しい時間をありがとうございました。矢熊君、森君始め、セッティングや連絡の労をとってくれた皆様、本当に感謝しています。

 皆さんと飲み、語っているうちに、遥かに過ぎ去った学生時代の自分、すっかり忘れてしまっていた過去の自分に再会したような気持ちになりました。帰りの電車の中では、お酒のせいじゃなく、何故か鼻の奥が甘酸っぱくなりポタッと落ちた涙。何とも言えない快さに浸るうちに、危うく乗り過ごしそうになり、古稀を迎える老婆が二十歳の娘に戻ってるやんと、ほとんど乗客のいないのをいいことに、一人笑ってしまいました。
 ああ、あの青春の真っ只中にいる時はわからなかった「今この時間の大切さ」に今頃気づくなんてね。

 でも、それに気づかせてくれたのは、あの数年間を同じ阪大の空気を呼吸した仲間たち。卒業後、幾多の星霜を経てそれぞれの人生を歩いてきた同窓の仲間たち。在学時代は接点がほとんどなかった人たちまで、こんなに懐かしく愛おしいのは、「あやしうこそ、ものぐるほしけれ」(笑)

『前略おふくろ様』談義の続編も楽しく読ませていただきました。素敵なロマンチストのおじさまたち、気の置けない盟友の女性軍のみなさま、また、次回お会いするのを楽しみにしています。

*******************2024/07/10 12:18:23*********************

投稿者:高見寛信

内容: 「前略・・」談議、懐かしく楽しく聞かせてもらってます。
昭和50年、51年に放映された日本テレビ系金曜ドラマ、「前略おふくろ様」。
当時僕らも大学三年四年といったところで卒業後の進路などに心悩ませてた時期に重なり、サブちゃん(萩原健一)の揺れ動く心に共鳴するところがあったんじゃないかと思います。
僕もDVD持ってますが、料亭の舞台が「分田上」から「川波」に移り大原麗子が女優・大原麗子の役柄で出てくるなど、粋でドラマティックな場面が多い51年の「Ⅱ」の方がどちらかというと好きです。
丁度プロ野球実況のない10月から4月、秋から早春にかけての放送でドラマの季節も同機して進みます。
秋が深まる時季にはコップの燗酒チビリチビリやりながらサブちゃんと秀次先輩(梅宮辰夫)の屋台でのシーンなどを一人でしみじみと観ることがあります。
一言蛇足を、「矢熊さん、あれはジャガイモじゃなく里芋だと思います」。

*******************2024/07/09 12:50:10*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: ありがとう。解決しました。
これですね! 記憶と多少ちがうのは、そんなもんでしょう。
”知りません”のリフレインはないんですね。さすが倉本聡は脚本家であり、詩人ではないです。あくまでサブの言葉にする必要があったのでしょう。ドラマを観た当時、両親をそのような眼で見たことがなく、以来、強く記憶に残りました。
それにしても、昭和のドラマや映画は味わい深いですね。板前見習いの若者が、ジャガイモの皮を剥きながら独り言を言っている、それだけでドラマになるのですから。
桂枝雀の持論ではないけど、緊張と緩和がうまく調和しています。たとえば、映画「砂の器」で好きな場面は、容疑者らしき情報を追って、二人の刑事(丹波哲郎と森田健作)が秋田まで行ったものの何の収穫もなく、帰路、日本海の浜辺で休息するシーンです。若い刑事が虚しく海に石を投げ、年配の刑事は砂浜に腰を下し、贅沢な旅をさせてもらったと呟きながら俳句を捻っている。映画は、ここから後半部へ一気に駆け上がっていくのですが、この間(ま)が絶妙に効いていると思うのです。
ちなみに、橋本忍の脚本を読んだ黒澤明は、この部分をカットするよう助言したそうですが、橋本は頑として聞き入れなかったそうです。

*******************2024/07/08 19:50:41*********************

投稿者:正者充朗

内容: 矢熊君、君の記憶は正しい。

最終回(25話)で、海ちゃんがサブに両親がかつて歩いた本郷を自分も歩いてみて、両親にも若い日があったということを話すシーンがあったことを思い出して、その辺りで件の内容があるのではないかと探してみました。
ありました。
前後の情景は省略して、肝心の部分だけを紹介します。

「前略おふくろ様。オレはあなたの青春を知りません。ピチピチと若く、かわいく、恋をした。そうしたあなたの青春をオレは知ろうとしなかったわけで・・・。オヤジと知り合い、愛し合い、そ、そして・・・それから・・・オ、オレの全部が始まったあなたの・・・昔のそういう日のことを・・・」

(この後にかすみちゃん(坂口良子)との別れのシーンがあってこのドラマ(第一シリーズ)は終わります。)

23話までをすべて見直したわけではありません。そういうシーンがあったことを記憶していて23話に見当をつけただけです。最終回についても同じです。

*******************2024/07/08 14:29:33*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 正者君、ありがとう!
わざわざ23話までDVDを見直してくれたのですか。さらに分かりやすい情景描写まで記してくれて、感謝感激です。
なるほど、岡野のオジさんの思い出話が発端だったんですね。倉本聡のインタビューとも符合します。
サブが泣きながら、心の中でおふくろさんに訴えている内容は、まさにその通りなのですが、その後で、冷静になったサブが、きちんとした文体で、「前略おふくろ様。オレはあなたが若かった頃を知りません。あなたが恋をしていた頃を知りません。あなたはオレが生まれた時からオレのおふくろで…」と続く台詞があったように思うのですが、記憶違いですかねぇ。
ところで、この23話ですが、どこかの奇特な人が、ユーチューブにアップしていました。森君は恐怖の海ちゃんのファンだそうですが、ユーチューブで見れますよ。

*******************2024/07/07 21:05:38*********************

投稿者:正者充朗

内容: 正者です。

私も倉本聰ファンなので「前略おふくろ様」のDVD持ってます。
ということで、矢熊君お捜しのシーンをDVDから拾ってみました。
実はそのシーンの前段階として恐怖の海ちゃん(桃井かおり)と岡野のオジさん(大滝秀治)とのシーンがあるのでそこから始めます。少し長くなります・・・
ちなみに( )内は私の説明部分です。

(サブの部屋に恐怖の海ちゃんが来ている所にその親父の岡野のオジさんがやって来る。気まずさをウイスキーで紛らわしながら岡野のオジさんは学生時代のことを話し出す。実は岡野のオバさんは癌で余命わずかな状態)

「本郷に住んでた学生下宿。そこの娘なんだよ、サエコオバさん(海ちゃんの母親)。シャンなメッチェンでね、当時はよ。白百合に行ってた。」(岡野のオジさんは東大なんですね)
「本郷、池之端のチェリーという喫茶店に入って・・、ラフマニノフやってた。」
「あれはまだつぼみでピチピチしていて極めて健康で・・・」

(「ねえ、聞いてよ」と親父にすがりつく海)

「言ってよ、お母ちゃんのこと。一緒に苦しむからさ、そうなんでしょ、ダメなんでしょ、わかってるんだから。お父さん、お母さんのことでもう事業なんてどうでもよくなっちゃって」

(二人を部屋に残して外へ出るサブ。廊下でうずくまって泣いている利夫(川谷拓三)。利夫と二人で歩きながらのサブの一人語り。ここからがお捜しのメインの部分ですね。)

「歩きながら、さっきの岡野のオジさんのあの話をいつまでも考えていました。サエコオバさんが若かった日のこと、オジさんと東京で恋をした日のこと。
前略おふくろ様。オレは今歩きながら泣いています。オジさんの話で思いました、あなたにも若い日があったということを。オヤジが惚れてあなたをくどいて、ウンと言わせて、嫁にして・・・。そして次々とオレ達を産んだこと。オヤジが死んで子どもが育って、そして蔵王に一人でいること。だけど、すべてはおふくろ様が若くてかわいかった頃、その時があったから始まったということを。
前略おふくろ様、オレは、オレは・・・」
(ということで第23回は「つづく」となります)

ちなみに、この続編とも言える「拝啓父上様」(二宮和也主演)の映像も持ってます。神楽坂が舞台です。

*******************2024/07/07 01:56:19*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: あの晩、「前略おふくろ様」が話題になったのは、正者君の奥さんが東京の深川の出身だと聞いた高見君が、すかさず「前略おふくろ様」の舞台だねと言ったのがきっかけです。それを受け、あのドラマでは忘れられない台詞があると僕が言い、うろ覚えのまま紹介したのが、以下の台詞です。
「前略おふくろ様、私は貴女の少女時代を知りません。貴女が若くて、恋をした頃があったことを知りません。‥」
ここから、加藤さんの親子論(母と娘、母と息子)などが出て面白かったです。

その後、正確な台詞を知りたくなって、あれこれ検索してみましたが、見つかりませんでした。ご存知の方がおられましたらお教えください。

ひとつだけ面白い記事を見つけましたので、下に貼っておきます。あの夜、高見君が、それは倉本聰の実感だろうねと言っていましたが、それを証明するものですね。

以下は、2021年10月に行われた倉本聰へのインタビュー記事の一部です。
「うちのおふくろが死んだときに、おふくろが大事にしていたトランクの底から、親父が戦前、結婚前に書いたであろう恋文が出てきたんですよ。それまで、おふくろっていうものは、元々おふくろっていうものであって、人に恋文をもらうような若くてピチピチした時代があったなんて想像もしてなかったんですよね。かなり衝撃を受けて、このことは「前略おふくろ様」に書きましたけどね。手紙の中身は結婚を決めた相手に送る、本当になんでもないものなんですけどね、親父の遺言があるとすれば、あの恋文。これですねえ。」(「好書好日」文:清繭子)

*******************2024/07/05 23:36:08*********************

投稿者:森俊彦

内容: 富五郎の懇親会から1週間。昨夜ようやく高知に戻りました。帰りに香川の実家に寄って、家の片付けや庭や住宅の周囲に草枯らしを散布するなど、熱中症の不安と闘いながら、汗まみれになり雑草と格闘しました。
ところで、この掲示板で、高見君、矢熊君、正者君、萩原さんがTVドラマ「前略おふくろ様」の話で盛り上がったことを知り、話の仲間に入れてほしかったと思ったことでした。
後の「北の国から」を含めて、倉本聰作品の中でよく見ていたドラマでした。登場人物では、“恐怖の海ちゃん”を演じた桃井かおり(映画「幸せの黄色いハンカチ」のアケミ役も好演でしたね)が好きでした。
また、就職後、北海道へ家族旅行に出かけ「北の国から」の舞台・富良野や麓郷(の森)に立ち寄り、五郎や純、蛍を想像して、その雰囲気に浸っていて家族から失笑を買ったのも懐かしい思い出です。
次回はぜひ話の輪に加えてください。

*******************2024/07/04 13:01:30*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 人間、姿かたちは多少変われど、声や話し方は変わらないものですね。
一瞬?と思った人も、一声聞いてすぐに分かりました。
更に話すと、それぞれ様々な人生を送られて来られたでしょうけど、人間の本質と言うものは変わらないものだとという事が判りました。
50年近く会っていなかった人も、あの頃と全く変わっていない。
また学生の頃の付き合いに戻るのも悪くないと思いますよ。
私は幼稚園から高校まで同じ学校だったので、その頃の友達はみんな幼馴染、特に何もなくてもしょっちゅう電話してきて飲みに行ったりしてます。
今回を機会に、また気軽に集まりましょう。
お誘いは断らないのが私のポリシーですので。

*******************2024/07/04 10:50:06*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 矢熊さん、皆さま、

今回、富五郎に参加させていただき、本当に楽しいひと時を過ごすことができました。お誘いくださって有難うございました。実はこのところ、掲示板のほうもご無沙汰となっていましたが、連休直前あたりから親族それぞれに同時多発心配事が勃発し、多忙とならざるを得ず心身ともに疲弊しておりました。そんな状態で、楽しい集まりに暗い顔で出かけて行っていいのであろうかと直前まで躊躇っておりました。

ところが十三駅西出口に降り立つや否や、あの独特なる雑踏にそんな不安も一瞬にして雲散霧消。さらに富五郎で、1年ぶり、数カ月ぶり、さらには何十年ぶりの懐かしいお顔を拝すると、不思議なことに一挙に元気な笑い顔が私に戻ってきたのでした。
ずいぶん以前、90年代初めの頃に読んだ「治療塔」という大江健三郎の近未来SFが心に浮かびました。富五郎に行く前に時間待ちで新倉さんと大江健三郎の話をしていたからでしょうか。その時にはこの作品のことなど頭に浮かばなかったのですけどね。

『治療塔』(1990年岩波書店刊)というのは、核戦争、原発事故、パンデミック等で荒れ果てた地球を脱出し、太陽系外に居住地を求めた新天地で「治療塔」なる建造物を発見する、そこに入ると治癒され若返る、しかしそれに抗う人々もいて対立するグループができるなどの、人々の選択や抗争、人生観、世界観のお話であったように記憶しています。

それにしても今回、富五郎は私の「治療塔」でした。
富五郎での一夜でビフォー・アフターの私を見ることができました。翌日はなぜか二日酔いでしたが…。
それだけのことを言うのに、こんなに長々と書いて申し訳ないです。

何はともあれ、これからも楽しく集まって、若返って、あと何十年も人生を元気に愉快に楽しみたいですね。よろしくお願いします。

*******************2024/07/03 13:30:19*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 高見くん、こちらこそです。
学生時代、話らしい話もしませんでしたが、倉本聡が好きそうだし、あの頃もっと親しくなっていればと思いました。正者くんと加藤さんを交えてのドラマ「前略おふくろ様」の話も楽しかったです。今後とも、よろしく。

皆さん、先夜はありがとうございました。「旧友交歓会」に写真をアップしましたので、ぜひご覧ください。
今回、ご都合がつかず参加できなかった方々、また次回お会いできる日を楽しみにしています。

*******************2024/07/02 18:12:34*********************

投稿者:高見寛信

内容: 矢熊さん、富五郎での写真ありがとう
懐旧の思い出話しと夫々の今を語る歓談とに耳を傾けながら時の経つのを忘れて楽しかったです
ご遠方からも繰り合わせてお集まりくださってたのに近くの僕が早めに失礼して申し訳なかったです
翌朝9時に檀家の葬儀勤めがあったものですから・・・

*******************2024/06/30 17:26:44*********************

投稿者:竹鼻圭子

内容: 萩原さん、Facebookは澤井晶子さんつながりです。実は、まちかね会の原稿も、澤井さんが忙しいとかで、身代わり(?)でした。結果、結構ハードでビックリでした。どうぞよろしく!

*******************2024/06/29 11:49:11*********************

投稿者:萩原真知恵

内容:  竹鼻さん、Keiko Takehanaで検索したら、3人上がってきて、どの方か迷っています。「共通の友達」に澤井晶子さんがいらっしゃる方なら特定できて、お人違なく申請できますが。あと、埼玉県、長野県の方がいらっしゃいますが、お人違いかもしれません。
 また、お時間のある時に教えてくださいね。

*******************2024/06/29 11:39:00*********************

投稿者:萩原真知恵

内容:  竹鼻さん、ありがとうございます。友達申請させてくださいね。
また、横浜に行く時は連絡させていただきますね。矢熊くん主催で神田周辺散策があればそれと抱き合わせで、などとワクワクし始めています(笑)

 私は家族との連絡はLINEで、facebookは高校時代の同期の友人たちとの情報のやり取りなどを中心にやっています。LINEヤフーの個人情報の漏洩など問題はないとは言えませんが、どちらもセキュリティ管理をしっかりやっていて、今のところ、アカウントの乗っ取りなどには遭遇していません。自分の視野を広げてくれるという意味では、衰えゆく脳のトレーニングにもなっているかな?と思っています(笑)

*******************2024/06/27 10:52:23*********************

投稿者:竹鼻圭子

内容: 萩原さん、「光る君へ」つながり、うれしいです!Facebookは一応Keiko Takehanaのアカウントは持っていますが、もっぱら家族や友人の近況チェックに使っています(笑´∀`)。SNSではLinkedInで「竹鼻圭子On TIME」で雑誌TIMEの記事の紹介をしています。一昨年まで和歌山大学のネットの授業でTIMEの記事も使っていたので、購読していない人にも情報共有ですね。
両国界隈ですが、昨年が関東大震災100周年ということで、県立歴史博物館でも特別展があり、そのお勉強もかねてボランティア仲間と東京都復興記念館に行きました。とても丁寧に解説していただきました。次回は神田周辺とか伺っていますが、昔とはずいぶん変わったのだろうなと思っています。
県立歴史博物館のお近くにおいでだったとか、館内は雨の日も暑い日も快適です、ぜひご利用くださいね!65才以上は100円ですし、ボランティアにはお披露目用の招待券が配布されますので、お越しの時は、ぜひお声がけください。

*******************2024/06/25 22:31:55*********************

投稿者:萩原真知恵

内容:  しばらく掲示板からご無沙汰していた間に、皆さんそれぞれの青春を髣髴させるような記事がたくさんあり、胸が甘酸っぱくなりました(笑)
 竹鼻さん、ご投稿、「いとをかしく」拝読させていただきました。美学科の旧姓加藤真知恵と申します。教養の授業の時にご一緒したような気がします。私は文学少女であるとは言えませんでしたが、高校の国語の教師をしていたので、現役時代は『源氏物語』はよく教えていました。戦国時代と戦闘シーンの○番煎じの大河ドラマに辟易していたので、今年はとても面白く視聴しています。Facebookにも「『光る君へ』あれこれ」というタイトルで、30数本記事をアップしています。もし、Facebookをされておられましたら、「友達申請」お願いします(^-^)「萩原真知恵」で検索していただけましたら、ヒットするかと思います。
 私の長男も横浜に住んでいますので、よく孫の顔を見に行ったり、東京方面へ行く時の宿代わりにしたりしています。3月の矢熊くん主催の「両国めぐり」の時もちゃっかり泊まりました。当日の午前中、正田くんと馬車道や赤煉瓦倉庫界隈を散歩しましたが、雨に降られて散々だったので(笑)、またリベンジしたいと思っています。神奈川県立歴史博物館等もゆっくり見たいです。もし、お時間に余裕がおありの時は、ご一緒くださいね。よろしくお願いします(^-^)

*******************2024/06/24 13:40:50*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: なるほど、紀州のGodfatherの肝煎りでしたか。
先夜、たまたまNHKスペシャル「ニッポン観光新時代〜地域に眠る“逆転のカギ”とは〜」を観ました。インバウンドで、観光産業が自動車産業に継ぐポテンシャルをもっていると知り驚きました。竹鼻さんが2008年に観光学部を立ち上げられた頃は、こんな未来は予想されていなかったのではないですか。まして昨今話題の「オーバーツーリズム」など、隔世の感がありますね。

*******************2024/06/22 08:53:52*********************

投稿者:竹鼻圭子

内容: 「冬の華」と「光る君へ」は、どちらも映画The Godfatherをオマージュしているところが良いですよね!とってつけたようですが、2008年開設された和歌山大学観光学部も、人の世加減は負けていなくて、自民党の実力者、二階俊博議員の肝いりでできました。私の担当科目はJapanese Studies, Japanese Culture(英語で茶道実技), Cross Cultural Studies 等でした。大学院も作ったので、英語の博士論文指導など、現場は大変でした。学長補佐として「男女共同参画」のプロジェクトも担当しました。女性では数少ない名誉教授拝命はこの功績(?)です。

*******************2024/06/21 09:06:46*********************

投稿者:高見寛信

内容: 森さんへ
僕も最初「卒業写真のあの人」を学生時代にすこしあった人とイメージしてました。何かで読み、後付けで作詞の経緯を知ったのです。
スルーするのもどうかと思い指摘しただけです。
本来「詩」は発せられた後は作者の手を離れるもので、自由に受けとめていいものだと思います。
森さんの心に残るあの人に「乾杯」!

*******************2024/06/20 17:32:16*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 「冬の華」、懐かしいですね。記憶の底に埋もれていました。
そういえば、高倉健が居心地悪そうに座る名曲喫茶は、馬車道にある店だったのですね。高見君が大桟橋から貨客船でニューギニア・南太平洋に船出したことも初めて知りました。
高倉健と降旗康男、倉本總が組んだ映画では、「駅STATION」の方が記憶が鮮やかです。厳冬の北海道、増毛の居酒屋で、女将の倍賞千恵子と行きずりの高倉健が、紅白歌合戦を見ながら酒をくみかわす。八代亜紀の「舟歌」が切なく流れる。寒さと人恋しさが募る場面が印象的でした。
すいません。また本題から離れてしまいました。

とってつけたようで申し訳ありませんが、竹鼻さんに質問です。和歌山大学で観光学部を立ち上げられたそうですが、観光学部では、どのような講義をされていたのですか? 新しい学部だと思い調べたら、現在では、ほとんどの大学にあるので、驚いた次第です。

*******************2024/06/20 14:11:34*********************

投稿者:高見寛信

内容: 「冬の華」で一言言い忘れました。
全篇を通して流れる音楽はクロード・チアリの爪弾くギター一本。
これが哀愁を帯びてまたいい!

*******************2024/06/20 12:11:08*********************

投稿者:高見寛信

内容: 横浜とは明治の開港以来発展してきた近代都市の歴史を共有する神戸の住人として興味を持って読ませていただきました。
神戸にも旧居留地や中華街、外国人墓地やメリケン波止場など似たような名所がございます。
慶応に行った高校時代の親友がいたので学生時代に横浜にはちょこちょこ遊びにも行きました。
「桜木町」は、大学2年の時、大さん橋から貨客船でニューギニア・南太平洋に船旅をした時の思い出の駅です。
しかし、馬車道、山下公園などの名前で僕が何より懐かしく思い出すのは1978(昭和53年)の映画「冬の華」の各シーンです。
降旗康男監督、倉本聰脚本。主演の高倉健以下、今は亡き名優たちが夫々いい芝居をしています。
いろんな意味で日本が充実していた良い時代だったように思います。
高尚なブログの内容にcatch upできず、下世話なオチになりました。お許しください。

*******************2024/06/20 17:58:42*********************

投稿者:森俊彦

内容: 久しぶりに掲示板を読みました。
高見くん、荒井由実の「卒業写真」の「あの人が、学生時代の恩師だった」とは、全く知りませんでした。思いも寄りませんでした。ご指摘ありがとう。
歌詞の理解度が足りないのかもしれないけど、自分の中では、やはり、今も「あの人」は、当時の心に残る「あの人」でもいいんじゃないかって、思ってます。
そう思いながら、ユーミンを聴きました。

*******************2024/06/08 01:16:00*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 私も、卒業写真のあの人は、憧れの男子学生だとずっと思っていましたが、通っていたミッションスクールのシスターだそうですね。「あなたは時々遠くで叱って」っていうフレーズで、うんと先輩なんだろうか?とかいろいろ想像していたんですが、先生と聞いて、納得しました。

*******************2024/06/06 13:55:02*********************

投稿者:高見寛信

内容: 森さんの甘酸っぱい思い出に水を差すようで申し訳ないけど、荒井由実の「私の青春そのもの」は学校時代の恩師を懐かしんでの歌詞らしいよ。(笑)

*******************2024/06/06 10:35:54*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 卒業写真

正田君、卒業式の懐かしい写真をありがとう。美学科の面々のまばゆいばかりの笑顔がはじけてますね。
式を終えて、誰と、どう過ごしたのか? まったく記憶にない。自分がまともに写っている記念写真は手元にない。在学時につるんでいた友人の多くが、一緒に卒業しなかったことも一因だ。なにより、自分自身、卒業後の進路が決まってなかったこともあって、浮かれる気分ではなかったからかも…。苦い記憶だ。

「卒業写真」で思い浮かぶのは、ユーミンが荒井由実時代の昭和50年に歌っていた曲だ。
 ♪悲しいことがあると開く皮の表紙 卒業写真のあの人はやさしい目をしてる(中略)
 人ごみに流されて変わってゆく私を あなたはときどき遠くでしかって あなたは私の青春そのもの

リアルな写真は残ってないが、「私の青春そのもの」のあの人は、今はどうしているのだろう?「卒業写真」と聞いて甘酸っぱい気分になった。
美学科以外の方も思い出の写真、投稿してください。

*******************2024/05/29 00:39:36*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 加藤さん
山崎先生の埴谷雄高論、聞いてみたかったですね。
演劇学の講義は取らなかったので身近に接する機会はなかったですが、ダンディで声がよく、かっこいい先生でした。唯一の思い出は、美学科の合同コンパで、すき焼きを囲んだ時、鍋奉行の山崎先生が鍋にビールを注ぎながら、こうすると旨いんだと言われていたことです。話がはずむうちに政治の話になり、僕は最年少の共産党員だったが、失望してやめたなどと若い頃の話をされていました。今さらながら、面白い、いい先生たちに囲まれていたと思います。特に美学科は新設で、リーダー格の木村重信先生のキャラクターそのままで、明るくて自由な雰囲気に満ちていました。
埴谷雄高の名前が出たので、余談をひとつ。埴谷さんは、出版界では命名の達人として有名でした。新しい出版社をつくったり、新雑誌を出すとき、埴谷さんに社名や雑誌名を決めてもらうと成功すると信じられていました。文芸誌海燕や洋泉社などがそうですが、調べればかなりの数があるはずです。

*******************2024/05/26 10:24:21*********************

投稿者:加藤(萩原)真知恵

内容: 矢熊くん
 写真、遅くなりました。夏の野尻湖、詳しい説明ありがとうございました。涼しい信州で勉学に勤しむという夏合宿の主旨から大いに外れた遊びまくりの合宿の思い出しかありません。もともと、遊びに行く気満々でしたし(笑)
 帰る日の早朝、朝霧の立ちこめる中、当津先生のロッジをお訪ねし、ドアを叩くと、しばらくして先生が眠そうな目を擦り擦り出てこられたのを覚えています。きっと、夜更けまで勉強しておられたんでしょうね。不肖の弟子たちでした(笑)

 アイビースクエアの写真で、中段一番右端は、私です。裾の広がったブリーチアウトのジーンズをはいています。当時、こんなのが流行っていましたね。パンタロンとか言いましたね。
 その前夜、山﨑先生のお部屋に行かせていただいて、夜が更けるまで先生がウィスキーのグラスを傾けて埴谷雄高論などを論じられるのを聞いたのを覚えています。

*******************2024/05/25 12:01:26*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 豊嶋君へ
演劇学ゼミ旅行の名簿修正、ありがとう。助かりました。
かすかな記憶をたどりながら当てはめてみましたが、ダメですね。
山口さんは、写真提供者の加藤さんでした。(申し訳ない)
恭子ちゃんというのは、羽嶋さんという名前ではなかったですか?
3回生の人たちは、顔に見覚えがあっても、名前がわからないですね。他の写真にも間違いがあるかもしれませんので、またご指摘ください。

*******************2024/05/25 01:42:09*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 演劇学の写真、名前がちょいと違っていますので訂正しますね。

森君  山岸君(たぶん)  武部君  山崎先生
恭子ちゃん(苗字忘れた) 徳永さん 佐治さん 山口さん?
   辻本さん   中塚さん

(山口さん、こんな顔でしたっけ)

因みに私も参加しておりました。多分撮影者。

*******************2024/05/24 17:23:48*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 「思い出写真館」を更新しました。
高見君と加藤さんが、懐かしい写真を送ってくれました。ありがとうございます。
私ごとですが、野尻湖のセミナーハウスは3回も行きました。卒業せず就職のため1年残ったからです(笑)。ある年は、帰路、池田、中塚、前田、辻本さんたちと妙高山へ登り、別の年には、森君たちと小諸で一泊し、小海線で清里を経て小淵沢でもう一泊、諏訪湖を回って帰阪した思い出があります。
王選手がハンクアーロンのメジャー記録を抜く通算756号ホームランを打った瞬間は、小淵沢の改札口のTVで森君と見ました。1977年9月3日の対ヤクルト戦でした。

それぞれの学科でも、夏休みにいろんな活動をされていたと思いますが、美学科以外はよく分かりません。他の学科の方々も、ぜひご紹介ください。
また「思い出写真館」や「旧友交歓会」へのご意見・ご感想なども、ぜひお寄せください。、

*******************2024/05/20 16:51:09*********************

投稿者:高見寛信

内容: 詳しいいきさつは憶えていませんが僕も入学間もない頃に何人かの学生と一緒に適塾の建物を見学したことがあります。
保存に尽力した方々のことなど思いも及ばぬ新入生の分際でしたので「よくこんな華奢な建物が遺ったなぁ!」なんて思いながらドカドカと2階への階段を上がりかけ誰か(多分先生)に叱られたのを憶えています。
長崎の出島でポルトガル・イスパニアの後釜に座ったオランダ人から最新の蘭学を仕入れた緒方洪庵のような先覚者がいて、適塾で福沢諭吉らを指導したからこそ明治日本の黎明は迎えられたんだと思います。

一方、懐徳堂の方は中哲の研究室が関わっていることもあるので僕の思い入れは強いです。
今も一般人向けに古典講座などが開かれていて、興味をひかれるものを見つけては十数年前から月に二三回大阪まで聴講に通っています。
文学部の皆さんも大阪近辺の方は懐徳堂のホームページをご覧になってはいかがでしょうか。

*******************2024/05/16 22:40:25*********************

投稿者:舟引智子

内容: 村田君へ
ブログ、一気に読ませていただきました。私は、父が阪大医学部卒でー2年下に手塚治虫がいたらしいー入学前から適塾の事は知っており、通りすがりに眺めたりしてましたが、中に入った事は無く、保存活動の事も知りませんでした。
考えてみれば、あんな一等地に150年前の建物を残す事ができた、というのは、大変な事ですよね。又色々教えて下さい。

高見君へ
すぐコメントできず、ごめんなさい。大変な経験をされたんですね。能登半島地震のニュースに、阪神大震災の事を思いだしていた矢先でした。
そう言えば高見君は大学時代、探検部に入ってたと聞いた覚えがあります。そうでなければ、崩壊寸前の本堂に入って行く度胸もスキルもなかったのでは?
ヘルメットやフル装備に身を固めた高見君が、本堂に向かうシーンを想像し、やはり「地上の星」が流れました…

*******************2024/05/13 13:43:14*********************

投稿者:吉川(辻本)純香

内容: 村田君へ

 私の浅い知的レベルでは、適塾と言えば福沢諭吉が思い浮かぶ程度で、あまり興味を持っていませんでした。すいません。
 でも村田君の投稿を読み、適塾とは『現存する江戸時代の蘭学塾』としては唯一のものというだけではなく『同時代の大坂人が住んでいた家』『大坂町家の遺構』としても唯一のものという見方を教えられ、すごく親近感が持てました。

 淀屋橋を降りると東洋陶磁美術館やバラ園のある中ノ島方面にはよく行くのですが、次はぜひ適塾跡地見学に行きたいと思ってます。
 
 展望のない万博や、IRやカジノの誘致に大騒ぎしている非文化的エリア大阪の地で、地道に文化財保存に取り組んでいる村田君にエール送ります!

*******************2024/05/13 12:20:08*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 懐徳堂と適塾を混同していました。矢熊くんに教えて貰いました。
懐徳堂も数回行ったことがあります。「碩学の話を聞く会」みたいなちょっと恥ずかしいタイトルの講座があったのです。
昔の記憶はアテにならないものだなぁと思いました。

*******************2024/05/12 21:49:01*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 懐徳堂は数回見学に行きました。そんな大掛かりな工事をしたのは全然知らなかったです。
大昔、見学に行った時は、2階の塾生の大部屋の布団を敷く場所が、成績順に決められていて、成績が振るわないと出入り口の側で、夜、真っ暗な中、トイレに行く塾生に踏まれていたとか、緒方洪庵が子沢山だったとか、そんなことしか覚えてないです。

そんなに大補修をしていたことも知りませんでした。大変なご苦労だったと思います。その節には、寄付もせずに、申し訳ありませんでした。

*******************2024/04/23 13:07:38*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 「旧友交歓会」を更新しました。
先日、新大阪で開催された古楽の演奏会に行った萩原(加藤)さんから、舟引(吉村)さんと新倉(宇都宮)さんとの交流の写真が送られてきました。ありがとうございました。
皆さん、「思い出写真館」ともども、ふるってご投稿ください。高見さんと小林さんの思い出のツーショットも、ぜひ拝見したいと思っています(笑)。

*******************2024/04/13 11:44:50*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 高見さん、
中田さんについての須磨区の情報有難うございました。
須磨区妙法寺方面は激震地ではなかったと知り、少しホッとしました。三宮より西は殆ど行ったことがないのでGoogleマップで見てみたら、須磨区妙法寺は山の手のほうで激震地震度7は長田区から続く海沿いのほうだったのですね。さらに地図で、震度7の激震地は本当に阪神間の冠動脈にあたる地域であったことを再確認して、その打撃と復興にあらためて鳥肌が立ってしまいました。
ネットでは今も阪神淡路大震災の災害記録をはじめ詳細な関連情報にアクセスできます。神戸市のHPにある「震災資料室」も非常に有意義な記録として、続く世代にとっても今後の自然災害に備える助けとなります。
中田さんがあの美しい声で話しながら、元気に暮らしていることを切に願っています。

*******************2024/04/12 18:17:43*********************

投稿者:高見寛信

内容: 中尾さん
中田久子さんのことお聞きしました。
僕も予備校は大道だったので、、、多分同じ教室で勉強してたのかも。そのせいかな、入学してから「あの子どっかで見たことあるなぁ」って思ってました。
でも、名簿には住所不明になってるし、今の彼女の消息については手がかりを持ち合わせてません。
ただ須磨区妙法寺竹向辺りはそれほど激震地ではないので・・・

*******************2024/04/12 18:00:19*********************

投稿者:高見寛信

内容: 新倉さんとは数年前、中哲の日原先生の33回忌の
際に「偲ぶ会」でお会いして記念写真もメールで頂きましたね。
小林尚代さんは留年して一年遅れて中哲研究室に入った僕に優しくお声かけ下さった方で、年賀状の遣り取りは続いています。
二級下の上嶋君と三人で昭和53年2月に行った雪の六甲山系縦走のスナップがアルバムにあります。
雪景色背景の良い写真ですが、小林さんとツーショットなんで、デートしてるみたいな誤解を招いてもいけないので写真館には投稿しません(笑)。


*******************2024/04/12 14:40:40*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 高見さんのブログの読後感を読ませていただいて、やはり過去の出来事と片付けてはならない災厄が今もなおそれぞれの心に波紋を投げかけているのが分かります。

私ももう一つ、ずっと心に刺さったままのトゲがありますので、ここで皆様の助けを求めたいと思います。
あの日、神戸の惨状をニュースで見てすぐに私は中田久子さんの実家に電話をしました。中田さんは2組の出席順が中尾、中田で私のすぐ後ろでした。(小学校の1年生のように順に席についていたのでしょうか?)それ以来、ずっと仲良くして二人であちこち旅行もしましたが、卒業後は数回の電話や年賀状交換の程度となりました。
あの日、神戸市須磨区妙法寺竹向のおうちの電話は呼び出し音が聞こえていたと記憶しているのですが、はっきりと思い出せません。とにかく連絡が取れないまま、新聞でひとつひとつ名前を探したのですが、名前も見つけられませんでした。見落としたのかしれません。それまでに身辺の移動の連絡はありませんでした。高校は長田高校、1年浪人されて予備校は大道だったと話されていました。どなたか心当たりがありましたらお知らせください。

南谷さん、中田さんのこと覚えておいでだと思います。在学中に、比叡山の麓、坂本にある立派なお寺に南谷さん、中田さん、私の3人で行きましたね。その日の午後に中田さんの気が変わって突然帰ってしまい、宿泊予定だったので残された二人で困ってしまいました。
なお、英語の授業後の言動については、あとで仲良くなってから私が文句を言って、南谷君がいろいろ弁明して和解しましたのでご安心ください。

*******************2024/04/10 21:51:46*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 高見さん
阪神淡路大震災の時は、私の住んでいる辺りは大した被害も無かったですが、ちょっと歩くと屋根にブルーシートを掛けてある家が沢山あり、テレビで流れる今まで見たことの無いような惨状から、目が離せませんでした。テレビで、亡くなった方のお名前っていうのを流していて、友達の珍しい苗字があったので、友達のお母さんだと思って思わず涙を流しました。数年後に会った時にお悔やみを言ったら、全く縁もゆかりもない人だったそうで、友達は無事を知らせたかったそうですが、家が半壊で手帳も名簿も無くて誰にも知らせられなかったと言っていました。
私は1組だったので、その頃、高見さんを存じ上げていなかったのですが、鵜飼(旧姓 小林)尚代さんが、高見さんのお寺は大丈夫だったんだろうか?と、とても心配していて、なんか、私も一緒に心配していました。大丈夫じゃなかったんですね。
立派に復興なさって、感動しました。

*******************2024/04/09 14:54:45*********************

投稿者:南谷恵敬

内容: 皆さん、ご無沙汰です。
お彼岸、年度末、年度初め、入学式のラッシュでバタバタしてました。

荒川君と高見君のブログ読ませていただきました。
荒川君には一度梅田で飲んで無理やりお呼びして飲み代を支払ってもらったことがありました。いや恥ずかしい限りですが、その時は、僕が言うのも変ですが、地獄に仏、大変ありがたく今でも感謝しております。覚えてらっしゃいますか?そんな荒川君がバーのマスターになられたということは風の便りで聞いていましたが、いや、素敵なバーですね!僕は昔の不摂生が祟って今はお酒は飲めなくなりましたが、飲めない者でもお伺いしてよろしければ伺わせていただきたいですね。ジャズもわからないけど好きで、一時1950年代のアナログレコード集めてました。

高見君の阪神大震災での被災と復興のお話、特に倒壊の折の奇跡的なお話をお聞きして、仏様の加護、それも高見君のご精進の賜物だと思いますが、深く感じ入りました。その後、ご法要にお招きいただいて拙い話をさせていただいたことがありましたが、ご信者の方々に慕われているお姿を拝見して納得した次第です。

舟引さん、お彼岸の日想観、来られてたのですか!いや、恥ずかしい!全然気が付きませんでした。あの時は確かに、朝から雨で、今日はだめかなあ、と思っていたのですが日想観の時だけ太陽が出ましたね。皆さんのご精進の賜物です。

西原さん、そんな失礼なこと言いましたか!!覚えてないなあ?

*******************2024/04/09 12:16:45*********************

投稿者:高見寛信

内容: 中尾さま
貴女の事はよく覚えております。
授業を終えて石橋駅までの道すがら何度か友岡さんと三人でご一緒になりお喋りしながら帰ったかと。
ジーンズ姿が一般的だったあの頃の中で、いつもドレッシーでオトナだったような印象があります。

*******************2024/04/09 11:56:59*********************

投稿者:高見寛信

内容: 加藤さま
学生時代はクラスや学科も違ったので接点はなかったですが、
貴女のブログ「新米教師、昭和な物語」を読ませて頂いてから勝手にこちらは存じ上げているつもりでおります。
西行の「願わくは花の下にて春死なん~」はとてもおそれおおくて、到底私にはソフトランディングなど無理ですが、残りの人生、いつクラッシュしても悔いがないように過ごそうとは思っています。

*******************2024/04/08 13:45:08*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 高見さん、
ご記憶にあるかどうかは分かりませんが、2組でご一緒した中尾いつ子です。2組の英語の授業で私が当てられて変な回答をし、授業の後で南谷君が「さっきの女子、めちゃくちゃな和訳でびっくりしたわ!」と高見君に話しかけていました。そういうわけでそれ以降、恥ずかしくて直接お話することができませんでした。

それにしても、阪神淡路大震災から今年1月で29年が経ったのですね。高見さんのお話であの日のことがまたくっきりと蘇りました。1月17日、その日は長女の13回目の誕生日でした。資格試験の勉強か何かで前日から徹夜した私は、今日はケーキを焼いて夜に誕生日をお祝いしようと考えながら午前5時に布団に潜り込みました。まどろんだところへ地響きと共に、まずはドーンと下からの突き上げ、それから左右にゆっさゆっさと横揺れが来て、古い中古住宅の我が家はあらゆる柱が音を立てているようでした。早朝から国道171号線は長い渋滞。交通機関が止まっていると言って戻ってきた夫は箕面からママチャリをこいで東灘区岡本の勤務先へ。部屋は物が倒れて散乱。箕面でこんな状態ですから、神戸のほうはいかばかりかと朝のニュースを見て、惨状とはこのようなものかと初めて目にした光景に涙を流すしかありませんでした。

高見さんのご心情、あらためてお察しいたします。
今は立派に再建されて、高見さんもご法務以外にも活躍されて充実した日々を送られているご様子に、私までもが勇気を頂きました。金剛福寺のブログはとても分かりやすく興味深く、十一面観音菩薩さまのお姿が写真であってもまぶしかったです。

*******************2024/04/07 15:03:52*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 加藤さん
怒涛の連続投稿、楽しく拝見しました。
3月の両国散策のルポ、ありがとうございました。
当日の写真を「旧友交歓会」にアップしましたので、皆さんご覧ください。

*******************2024/04/06 15:40:24*********************

投稿者:高見寛信

内容: 真知恵さま
ブログをお読みくださったみたいでありがとうございます

*******************2024/04/06 15:30:38*********************

投稿者:萩原(加藤)真知恵

内容: 高見寛信さん

たぶんご存知ないだろうと思いますが、美学科加藤です。よろしくお願いします。

1月の能登半島地震を始め、2011年の東日本大震災の記憶も私たちの脳裡に焼き付いているとは言え、関西に住む自分にとって、阪神淡路大震災は今までの人生を一番大きく揺さぶるものでした。
たまたまその1ヶ月前に宝塚市に引っ越しをして被害を受けた生徒の家にいろんなものを持って行きました。阪急電車の車窓から見えるたくさんの屋根のブルーシート、生徒の家のリビングのほぼ真ん中まで動いて止まっていたピアノ…今でもまだ鮮明に覚えています。

イケイケドンドンの昭和が終わって7年目、1995年はオウム真理教や地下鉄サリン事件など、バブルが弾けて冬の時代真っ只中の日本の社会を揺るがす事件も起こりました。

日本の経済成長の象徴のような高速道路が横倒しになったあの光景、サティアンと呼ばれた施設の捜索の映像…私たちの精神も揺さぶられ、行き先を失った浮草のような感覚に陥っていたような気がします。

お寺の再建とともに、人々の精神の拠り所しての仏様のお話に尽力される月日。本当にお疲れ様でした。それに一定の区切りをつけ、西行法師の心境に倣いつつ、ソフトランディングに入ろうとされておられるのかなと拝察しています。法話の会、私も機会があれば、そっと聞きに行きたい気持ちです😊

*******************2024/04/06 15:27:49*********************

投稿者:萩原(加藤)真知恵

内容: 荒川英二さん

美学科に所属しておりました加藤と申します。たぶんご存知ないだろうと思いますが、改めてよろしくお願いします。

我が家ではずっと朝日新聞を購読していますので、荒川さんの書かれた(or編集された)記事を知らずに読み続けていたんだなと思うと、なんだか感慨深いです。激動の昭和・平成を情報の収集発信の大きな担い手だったんですね!
そんな荒川さんのオーセンティックバー、もう、本当に行ってみたいです。荒川さんのウイスキーの蘊蓄を聞きながら、ジャズの流れる空間でいい時間を過ごしたいなあ!
私、コロナ前の2019年にイギリスに旅行し、エディンバラ城のすぐ前の“The whiskey experience”というスコッチウィスキーの体験型博物館に入ったことがあるんです。ウィスキーの産地や醸造や熟成などの見学や試飲をして、すっかりファンになってしまったんですが、こちらに帰ってからは、そういう機会もなくなっていました(泣)

私はfacebookを脳トレついでにやっています。もしよろしければ「友達リクエスト」させてくださいね。また、機会を作ってBarUKにも行かせていただきますね!
よろしくお願いします🙇‍♀️

*******************2024/04/06 15:23:51*********************

投稿者:萩原(加藤)真知恵

内容: こんにちは。舟引さんのご投稿を読んで以来、この掲示板にもすっかりご無沙汰してしまいました。
荒川英二さん、高見寛信さんの素敵なご投稿や、えらいボリュームの掲示板に、やっと追いついたところです(汗)

舟引さんの邦楽の魅力満載の記事を読み、早速演奏会に行かせていただいたのが、3月9日。東日本大震災復興支援チャリティーコンサート、もう14回目を数えておられたんですね。初めて生で聞く琴、三味線、尺八の奏でる和の心に痺れました。「春風」という題の舟引さんの演奏は新曲で、お衣装も紺のドレス。古典芸能に新鮮な風を吹き込む春のイメージでした。演奏後、ほんの数分舟引さんとお話ししただけで、1週間伸びていた孫の桃の節句のお祝いのためトンボ帰りしたのが残念でした。また、次を楽しみにしています😊

翌週3月12日は、矢熊くんプロデュースの「両国巡り」に参加させていただきました。その前日と翌日は快晴で新幹線からきれいな富士山が見られたのに、当日はえらい大雨でした(泣)
初めて歩く両国の町は、下町の情緒たっぷりで、回向院、吉良上野介の住居跡、芥川龍之介の生育地界隈も良かったですが、折からの大雨で、肘と膝から先がびしょ濡れ。それでも所定の(?)コースを最後まで案内してくれた矢熊くんの人柄に冷たくなった体も温まり、めちゃくちゃ昭和な喫茶店でコーヒーを飲んで一息つき、少し早めにちゃんこ鍋の店に入りました。初めて食べるちゃんこ鍋はとても美味しく、焼酎のお湯割りを何杯もお代わりして、心も体もポカポカ。正田くん、新倉さん、西原さんの大阪組もすっかり両国気分を満喫して帰りました。(女性軍は3人ともちゃっかり在京の子供宅です。)帰阪して、地元の公民館で「春日野部屋」の幟が旗めいているのを見て、大阪場所の期間に、わざわざお留守の両国国技館の見学に行った自分を振り返り、笑いを噛み殺す私でした😆

今回は、たまたま急な話だったそうですが、また、京都や大阪でも会いたいですね。その時は、ご都合のつく方、たくさんいらっしゃればいいなあ。

*******************2024/04/02 18:11:17*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 舟引さん、こんにちは。
春は桜が音曲を引き寄せるのか、人は美しい旋律を知らぬ間に欲してしまうようで、特に邦楽にはぴったりの季節ですね!

掲示板に素敵な投稿をありがとうございました。四天王寺の日想観、うまく夕陽を拝し、お浄土を観想できてよかったですね!なんと、御導師が南谷君とは!日没にうまく晴れるなんて、これは導師様のお力でしょうか?そのように心に留めておきます。

確かに「まちかね会」には不思議な力が秘められているのかもしれません。昨年の再会の宴以来、私の単調な日常に少しずつ変化が生じてきました。
学生時代のお友達は時が経っても気持ちは“あの頃”のままでとてもリラックスできます。そしてこれまでの時の流れをなぜか愛おしく感じてしまいます。不思議な感覚です。

この春からもまた、楽しいまちかね会がさらに発展していくのを願ってやみません。

*******************2024/04/01 19:37:04*********************

投稿者:舟引智子

内容: 演奏会シーズンでバタバタしてて、掲示板にご無沙汰していました。中尾さん、コメントをありがとう。垂井さんや友岡君と、よく学食でだべってたのを思い出しました。友岡君、もういないんですねー
荒川君のブログ、豊嶋君のコメント、面白く拝見しました。U K、是非行ってみたいです。高槻ジャズフェスも。高槻に住んでいながら、いつも何かと重なり、横目で眺めてるだけでした。今年は比較的時間があるので、行ってみますね。
ご報告です。
彼岸の中日に、お墓参りがてら四天王寺の日想観(文学部諸君ならご存知でしょう)を体験して来ました。当日は、冷たい雨の降る最悪の天気でしたが、日没の頃には奇跡的に晴れ、読経の流れる中、夕陽が石の鳥居の真ん中に沈むのを観る事ができました。私は信心深くはありませんが、古人のように、自然と拝む気持ちになりました。
で、この儀式で導師を勤められたのが、なんと南谷君でした。知ってて行ったわけではなく、これもまちかね会のご縁かな、とビックリ。一粒で二度も三度も美味しい一日でした。       高僧に面影ありて春彼岸

*******************2024/03/24 17:13:00*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 開店10年目にして、漸く荒川君のBAR UKにたどり着きました。
梅田から、丸ビル(工事中)を右に見て大阪第一ビルと第二ビルの間の横断歩道を新地に渡ったところ 正面にある大川ビルの地下1階、判りやすい所です。
こじんまりとした店内に、所狭しと並ぶボトル。
1年に一度ぐらいしか飲まれない珍しいお酒もあるそうです。
適度な音量でジャズが流れ、一人二人で静か飲むのに最適です。
ふらっと立ち寄って見られては如何でしょうか。

*******************2024/03/20 23:10:28*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 荒川君
土曜日、午前中茨木の歯医者さんまで出かけますので その後、マヅラに寄った後寄せていただきます。

*******************2024/03/19 23:50:50*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 荒川さん
実は存じ上げていないと思います。初めまして。
「オーセンティック」という言葉に反応してしまいました。私は沢田研二ファンであり、古楽愛好家でもありますが、古楽の世界で「オーセンティック」な演奏というと、決して褒め言葉ではなくて、「形式に囚われた生気のない死んだ演奏」みたいな意味に取られてしまうので、あまり使わないのです。本来の意味で使う人を初めて知って、ちょっと、いやかなり驚きました。自分の心が濁っているのがよくわかります。新鮮です。

古楽とジャズは親和性が強いように思います。どちらも、improvisationが大切ですし。ジャズ系の方は、バッハを演奏したりしますよね。

*******************2024/03/17 17:16:36*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: ちょっと宣伝。
5月3日、4日は街中がJAZZ一色となります。
市民ホール、芸術劇場をはじめ駅前、駅中、校庭から小さな喫茶店、BARに到るまで、様々な場所、様々な状況でJAZZを楽しめます。
国内外のトッププレーヤーから中高生バンドまで、正に一堂に会すると言った感じです。
私は日野皓正氏ぐらいしか知らなかったのですが、コロナ前、富田の公民館前 ま近で生演奏を聴き、その迫力に圧倒されました。
グラスを傾けながら、一人静かに聴くのもいいでしょうけど、多くの人と楽しむのもいいですよ。
お好きな方は勿論、これまであまり興味の無かった方も、是非一度体験してみてください。

検:高槻ジャズストリート

*******************2024/03/17 10:25:27*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 豊嶋君、
おはようございます。豊嶋君は今も高槻にお住まいなんですか?それならホームですよね、高槻JAZZストリートも。はい、イベントはずいぶん前から知っています。171を走っていけばすぐなのに、実際にはまだ行ったことがありません。
私の場合、ライブで聴いたのはかなり数少なく、もっぱらCDですが、生音、とくにジャズのような緊密なやりとりの音楽は、まずはライブかもしれません。楽器以上に演奏者の存在感がまともに感じられますものね。
昨年のまちかね会参加以来、外歩きが楽しくなってきたので、高槻にも出かけてみますね。お知らせ有難うございました。

*******************2024/03/17 02:54:25*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 西原さん
JAZZがお好きならご存じかと思いますが、高槻JAZZストリートも今年で26回目を迎えます。
コロナで中止もありましたが、高校時代のJAZZ好きが集まります。町中いたるところで演奏されており、私も毎年楽しんでおります。
それと、高槻には文字通り「アイラ」と言うBARもありますよ。
荒川君の店と共に、一度訪れられては。

*******************2024/03/16 15:43:53*********************

投稿者:西原いつ子

内容: こんにちは。2月下旬から3月上旬にかけて怒涛の日々を送っており、しばらく掲示板にご無沙汰をしておりました。
舟引さんのブログ投稿、大変興味深く読ませていただきながらすぐに感想を述べることもできず、仕事が一段落したらそのまま上京してしまい、このように遅くなってしまいました。

舟引さん、
学生の頃から音楽をいつも身近に生活してきましたが、邦楽は全く知らない世界。舟引さんの噛んで含める丁寧な解説で、日本の伝統芸能の一端にようやくたどり着いた気持ちになりました。素人の目から見ると、弦楽器はピアノと異なり音程を自分で聴きながら弦を抑えなければなりませんし、バチの扱い方で音色も変わるのであろうと、その難しさはいかばかりかと思われます。このように楽器の歴史から紐解いてくださり、体系的な分類も分かりやすく、きれい処のおねえさんがたの世界が少し近く感じられました。(すみません、少し方向が違いますよね…)これからはNHKで伝統古典芸能の番組をもう少しだけ深くみられるのではないかと楽しみにしています。有難うございました。

荒川さん、
上記の音楽つながりでお話をさせていただきますと、大学入学直後に今は亡き友岡君の助言のもとに日本橋でんでんタウンで、手の届く価格帯でのオーディオシステムを揃えて以来、洋楽は肌身離さず、といったところで50年が経過して現在に至っております。まだ心身ともに未熟だったにもかかわらず、当時からいっちょまえにJAZZなるものに多大なる憧れを持っておりました。
今、荒川さんが展開されていらっしゃるJAZZとウィスキーのお店、大人になった私たちの究極のパラダイス、いわば洋楽好きの到達点といえるかもしれません。700本以上のボトルが並ぶ棚を見て、スコッチ好きの私は思わず喉がグゥ〜と鳴り、オフィシャルブログでドリンクメニューまで見てしまいました。私もアイラ島が大好きです。日本酒は辛口、スコッチはアイラと決めています。ラベルを一つ一つ見るだけでも夢中になってしまいます。香りの違い、検証させてください。楽しみにしています。

*******************2024/03/16 09:01:19*********************

投稿者:荒川 英二

内容: 追伸:ブログでも紹介した店(Bar UK)のHP&Blogのほか、荒川個人のFacebookページもやっております。
個人(荒川英二)のfacebookへの「友達申請」も大歓迎ですので、お待ちしております(友達申請の際、必ず、「阪大文学部の同級生だった**です」というメッセージをくださるようお願いいたします)。

他にも、誰でも読めるBar UKのfacebookページや X(旧ツイッター)=主にBarの営業時間や臨時休業などを告知=、さらにInstagram(「eiji_arakawa」で検索を)もありますので、お時間があれば覗いてみてください。

*******************2024/03/16 08:17:44*********************

投稿者:荒川 英二

内容: 拙ブログへの温かいコメントの数々、有難うございます。皆さんのご来店は大歓迎です。ただし、一人で営んでいる広さ6坪の、カウンター&テーブル席合わせて約10席という狭い、小さな店なので、一度に受け入れられるにしても10人が限界です。人数が多いと正直、十分な接客・サービスが出来ません。もしお越し頂けるなら、平日でも、あるいは、もし店休日に臨時営業するにしても、貸切で営業いたします。ただし、いつも翌月1カ月間の店休日を、前月の20~25日にSNSと店内で告知している関係上、日程は早めにお知らせ頂けたら有難いです(できればご来店される月の前月の15日までに知らせてもらえたら幸いです)。

*******************2024/03/15 20:18:57*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 今回、荒川君のブログアップの告知に対して、僕の所に数多くの「行ってみたい」というメールが届きました。幾つかを紹介します。
★「荒川君は全く分からない。オーセンティックバーは行ってみたいが、心斎橋のアーケード街ですら道に迷うので、きっと行き着けないかと…」
★「どなたか、荒川君のバーに行かれる時にはお声を掛けてください」
★「荒川君のスコッチ・バーには開店時から行きたいと思ってきたが、未だに願いは叶っていません。春から暇ができるので訪ねます。『まちかね会』にも行きたい人がいるそうですので、タイミングを見て同行者を呼びかけてみますか」
★「HPで見ると、4人以上の予約は受け付けないとのこと。大勢で行くのは遠慮すべきですね。少人数2、3人で行くバーですね」
★「事前に話して(店の休みの日にでも)特別に貸し切りにしてもらえれば…。でも荒川君は店に相当な思い入れや信念があるようなので、嫌がられるのでは。そうだとしても、その日だけ大目に見てもらえるように頼んでみようよ」
★「すっごくたくさんのボトルをみただけで、のどや食道がグゥーと締め付けられる感覚があります」
★「声掛けが待ちきれないです~。早くいきたい」

まだまだ、来ています。荒川君、10人くらいで押しかけてワイワイ、ガヤガヤ…。そんな過ごし方をさせてもらってもいいかな?

*******************2024/03/15 20:15:45*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 「Bar UK」マスター、荒川君。貴君から「Barを始めました」の案内(年賀状の添え書きでしたか?)をもらってから、早や10年がたつのですね。
貴君のベスト、蝶ネクタイ、マスターシュ。とても似合っています。写真の姿に50年前に阪大の入試会場に向かう阪急電車内で会った(見た)長いマフラーを巻いた貴君の姿が重なりました(なぜか鮮明に覚えている)。
下戸の僕にとって、酒場は一人では絶対に行けない場所の一つです。世界中のいい酒には正直、興味はありません。ただ、貴君の店を飾る故・成田一徹氏の切り絵に、どこか惹かれるものを感じました。
酒は飲まずとも一度は店を訪れたい。その思いを近く実現させたいと思ってます。

*******************2024/03/15 12:23:52*********************

投稿者:高見寛信

内容: 荒川さん、暫くです
あれは、まだ開店間もないころでしたね
北新地に懐徳堂講座を聴きに行ったついでにUKに寄らせて貰ったことがありました
芳醇なウィスキーの香りは好きですが
該博なマスターの知識には感心するばかりでした
僕等が学生時代に呑んでいたオールドパーと今のそれとの違いを試飲させてくれたりしたっけ
趣味の延長でなさっておられるんだろうなと思ってましたがコロナ禍の嵐も乗り越えて10年も続けていらっしゃるとは立派なプロフェッショナルですね
また今度機会が有ればあのカウンターに

*******************2024/03/14 15:37:04*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 名簿の最新版です。
荒川くんが西洋史科の名簿チェックをしてくれました。国文科で桃田陽子さんの名前が抜けていました。宇都宮さんからのご指摘です。また加戸さんが仏文科のチェックをしてくれました。結果、仏文科が一人減り、国文科が一人増えました。皆さん、ありがとうございました。

『昭和48年文学部入学者・名簿復元プロジェクト』(名字は旧姓・敬称略、*物故者)

【哲学科】(11人)<*現時点以下同>
乾康代、岩尾顕治、岩谷勝、大形徹、小林尚代、諏訪原研、高見寛信、友岡雅弥*、藤井正人、増永雅嗣、森泰一
【国文科】(16人)
石田法子*、宇都宮敦子、剣持雄二*、熊見めぐみ、斎藤玲子、正者充朗、田中君佳、高島郁代、垂井滋子、林恵子、松井恵子、桃田陽子、矢野美奈子、山本美鈴、吉川美奈子、吉村智子
【国史科】(12人)
井元秀実、大石雅章、北浦康司、諏訪智子、玉井令子、玉越和博、土井麻子、前田優美子、松岡信子、三好順子、村田路人、森本光展
【東洋史科】(3人)
河盛尚哉、澤田稔、山崎謙次
【西洋史科】(5人)
荒川英二、浦崎なぎさ、大西修、堀部恵司、山口多江子
【英文科】(19人)
青山喜洋子、浅野智子、伊勢恵子、岩佐美世子、植田喜代子*、角田圭子、木村和代、小島幸子、笹倉由美子、澤井晶子、白井洋子、田代園子、大門由美子、中後信美、中重恵子、日高美佐子、福岡洋一、松本英子、安田昌子
【仏文科】(14人)
荒木佳代、新部典子、石木陽子、伊東美香子、大西比佐代、大庭典子、加戸彰子、小林左知子、小林宣之、佐藤英子、斉藤典子、中川富雄、安井有美子、吉岡明賢
【独文科】(5人)
阿部恭子、池内直美、植松洋子、太田恵子、原田裕司
【美学科】(23人)
池田邦彦*、大森淳史、加藤真知恵、木村康夫、黒坂俊昭、正田隆司、瀧尾貴美子、多田和子、田中豊稲、玉田純子、丹司正子、辻本純香、豊嶋成和、中尾いつ子、中田久子、松原恵子、南谷恵敬、望月和彦、森俊彦、矢熊晃、山川多永子、山田百合子、吉田恭子
【中途退学】(2人)
波多野、奥村?
《合計》110人

*******************2024/03/5 11:13:14*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 『源氏物語』の話題で盛り上がっているところ失礼します。
先日、吉村さんにご紹介いただいた英文科の澤井晶子さんに英文科のチェックをお願いしました。英文科は、卒業後も毎年のように同期会を開催されていて、今も親密な交流が続いているそうです。澤井さん、お忙しいところありがとうございました。
その結果、17人だと思っていた英文科が19人だと判明し、いちおう文学部110人の名簿が揃いました。但し、仏文、独文、西洋史、東洋史のチェックは未達です。
今回、名簿の作成をしていて、残念なことに、亡くなった方が5名おられることがわかりました。
(哲学科)友岡雅弥君(国文科)石田法子さん、剣持雄二君(英文科)植田喜代子さん(美学科)池田邦彦君です。改めてご冥福をお祈りいたします。

さて、「まちかね会」のきっかけになった昨年3月4日のミニ同窓会から、ちょうど1年が経ちました。お陰さまでブログも多種多様なテーマで充実し、掲示板も賑わっています。今後とも、ご寄稿、ご投稿、どうぞよろしくお願いします。

*******************2024/03/05 12:44:52*********************

投稿者:加藤真知恵

内容: 新倉さん
明石の君(明石の入道の娘、明石の女御の母)は自分の身分の低さゆえに、母親の座も捨てます。子供のいない紫の上に養母となってもらい、姫君の栄達、貴族の女性としての最高の地位だけを祈って日陰で生きていきます。その姫君が明石の女御として今上帝に入内する時、養母紫の上は、明石の君を女御の後見人として宮中に出させるのですね。養母と実の母の初めての対面シーンには本当に感動します。

*******************2024/03/03 13:29:28*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 加藤さん
ありがとうございます。その場面だったような気がします。わざわざ調べていただき、感謝感謝です。
明石の君は、結局、なんだかんだで、社会的には、一番成功?してますよね。明石の入道の夢のお告げの結果みたいな感じで、ちょっと面白さに欠けるかなぁと思います。お母さんはドラマティックですが。 

*******************2024/03/03 09:48:49*********************

投稿者:加藤真知恵

内容: 追記
この場面の女性のうちで一番身分が低いのは明石の君ですが、彼女の琵琶がもっとも素晴らしい出来であったとも書かれています。

*******************2024/03/03 09:41:25*********************

投稿者:加藤真知恵

内容:  おはようございます。昨夜は酔っ払いの妄言を恥ずかしげもなく書いたものです。今読んでみて、赤面しているところです。
 新倉さんが書かれていたのは、やはり「若菜下」の一場面かと思います。光源氏の兄朱雀院の五十の賀を前に女性たちによる合奏「女楽」を計画し、女三の宮に琴(きん)の琴を教える場面で源氏が女三の宮にこんなことを言いました。
「対の女王(紫の上)がいつもお聞きしたがっているあなたの琴と、その人たちの十三弦や琵琶を一度合奏する女ばかりの催しをしたい。現代の大家といっても私の家族たちの音楽に対する態度より純真なものを持っていませんよ。私は、すべての芸において、少年の時から世間の専門家を師にしてつきもしたし、また貴族の中の音楽の大家たちに教えも乞うたものですが、特に尊敬すべき芸を持った人と思われるものではなかった。その時代よりもまた現代では音楽をやる人の素質が悪くなって、芸が浅薄になっていると思う。琴などはまして稽古をするものがなくなったということですから、あなたくらい弾ける人はあまりないでしょう」宮は無邪気に微笑んで…(以下略。与謝野晶子訳に手を加えてみました)
新倉さん、間違っているかもしれません。これくらいしか思い浮かびません。私美学専攻で学生時代は古典は全然読んでなくて、教師になってからも高校レベルのことしか勉強していないです😅
ところで、六条院での「女楽」で、琵琶を弾いたのは明石の君でした。箏の琴は明石の女御、和琴は紫の上でした。そこに、夕霧の長男の横笛、玉鬘の長男が笙も加わり、雅な音楽会となったわけですが、その夜、紫の上が突然発病し、二条院に移して静養させます。源氏が留守にしている間に、女三の宮を諦めきれない柏木が、侍女の手引きで彼女に近づき思いを遂げ、後に、不義の子薫が誕生するのです。若い頃藤壺と道ならぬ恋に陥り、皇子を産ませて、その我が子冷泉帝に臣下として仕えた源氏は、自分の罪の深さ、人の運命というか輪廻の恐ろしさを知る、ということになります。

長くなりました。違っているかもしれないので、また皆さん、色々教えてくださいね。

矢熊くんの琵琶の音については、時間がある時に書けたら書きますね。

*******************2024/03/03 00:48:32*********************

投稿者:加藤真知恵

内容:  今日、高校時代の友人たちと城南宮に梅見に行き、帰りに祇園の花見小路のBarで飲んで、帰りの電車の中で新倉さんからのライン(→「掲示板に質問書きました」)に気づきました。11時過ぎに帰宅したので、こんな時間になり、もう寝ようと思います。

新倉さんのラインへのお返事をこっちにコピペさせていただきますね。

お風呂、洗濯終わって、今から寝るところです。
掲示板読みました。
『源氏物語』で琵琶、身分が低い、みたいなことでは「若菜下」の六条院での女楽で明石の君が琵琶を弾いた場面がありますが、それかな?
新倉さんのヒントが、雲を掴むようで😅わからずです。
また、明日考えますね。

すみません。おやすみなさい😴

*******************2024/03/02 21:32:06*********************

投稿者:舟引智子

内容: 南谷さん、ありがとうございました。
明治になって、雅楽の楽人さん達は、殆どが宮内庁のお抱えになり、東京にいってしまいました。関西で残っているのは、奈良(興福寺と思う)と四天王寺だけと聞いた事があります。伝えられているお箏の話といい、ホントに貴重ですね。

菊津木先生、ウチの先代家元(人間国宝)の右腕だった方です。本当のプロです。
「菊」以外にも「富」や「中」もありますが、芸名っぽくないのと、「菊」が一番隆盛なので目立つのだと思います。宮城道雄以降は、本名で通す派も多いです。

*******************2024/02/29 21:07:36*********************

投稿者:南谷恵敬

内容: 舟引さんのブログ拝見いたしました。
いやすごいですね。古典芸能伝承者っていう言い方が適切かどうかわかりませんが尊敬いたします。三絃や筝の演奏家の方はお名前に「菊」が付くのですよね。家内も一時期習っていましたが確かお師匠さんは菊月先生とおっしゃったんじゃなかったかな。
四天王寺にも古典芸能である雅楽・舞楽の伝統はありますが僕を含め寺の者が演奏できるわけではなくて、もっぱら雅亮会さんという団体にまかせております。雅楽にももちろん筝を用いますがお寺の法要での雅楽・舞楽では用いないんですよね。雅亮会さんの公演会では筝の入った曲を演奏されますが、舟引さんの弾かれるような華麗な演奏ではないですね。因みに四天王寺にも古い筝が二棹遺されています。一つは「松風」という名前がついていたかな、それともう一棹ありましたが名前は今思い出せません。弾いてみたことはありませんのでどんな音色なのかわかりません。
それから、舟引さんとノートの貸し借りで心斎橋で待ち合わせしたこと、すみません覚えていません(^^;)多分僕がお借りする方だとはおもいますが。。。

*******************2024/02/29 09:25:27*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 「プロの演奏は技術的には上手いけど、それだけ。貴族の演奏はテクは無くても、やはり趣深くて、身分卑しい専門家の演奏より上だ」みたいなことを源氏物語に書いてあったと思います。どこだったか、思い出せません。加藤さんなら、分かるかと思います。よろしくお願いします。源氏物語には、音楽の場面が沢山あって、山田孝雄も源氏物語に現れた音楽について論文を書いてたはずです。

紫式部も、一応、貴族のお姫様なので、おおどかに琵琶を弾いたで正解なのではないでしょうか? 大河は見てないので、この掲示板のやり取りだけで推測しました。

*******************2024/02/28 20:03:30*********************

投稿者:舟引智子

内容: ごめん、琵琶だった❗️ でも、琵琶の手も、雅楽では上から下にボロロンと弾くだけです。💦

*******************2024/02/28 19:59:09*********************

投稿者:舟引智子

内容: 加藤さん、矢熊さん、ありがとうございます。
HPは長い事更新してないので、ちょっとお恥ずかしいです。
加藤さん、又メール送らせてもらいます。

光る君へ、の件ですが、先週見られなかったので(2歳上の薬学部の先輩のお通夜でした。皆さんも、身体だけは大事に❗️) はっきりしませんが、平安時代の箏なら、しょぼいのではないかと思います。八橋検校までは、雅楽の手のようなゆっくりしたフレーズの繰り返しばかりのようです。

NHKの時代考証はかなりしっかりしてて、以前朝ドラ「あさが来た」の時、三井のお嬢さんの話だったので、すごく上等の箏が使われてました。しかも、出来のいい長女の箏は、お転婆な次女のより更に良い箏だったそうです。楽器屋さんの話なので間違いないです。
再放送かNHKプラスで観てみますね。

*******************2024/02/28 17:03:56*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 舟引さん 古典芸能の世界を紹介していただき、ありがとうございました。
「コンドルは飛んでいく」は和楽器に合いそうですね。ケーナの音色も尺八に近い感じがします。
 かつて「グレートジャーニー」と称して、ユーラシア大陸からアラスカを経由して南米まで、アジア人の祖先が渡っていったルートを辿る実証番組が人気を博していましたが、インディオの民族音楽には、ルーツが近いせいか、なんとも言えない魅力を感じます。

 話は変わりますが、先週の大河ドラマ「光る君」で、主人公のまひろが琵琶を弾いて客をもてなす場面がありました。あの演奏がなんともしょぼい感じがしたのですが、あんなものなのでしょうか? 気になっています。

*******************2024/02/28 11:43:13*********************

投稿者:加藤(萩原)真知恵

内容: 舟引さん
 舟引さんのホームページを拝見しました。
 ローマ大学やホーチミン師範大学、京都の泉涌寺でも演奏・講演をされておられるのですね! 私、facebookをやっているのですが、そこにも「筝三弦なかにし」さんの筝や三絃の演奏会の投稿があり、菊冨美巴さんの演目が出ていました。
 昨年のペルーでの演奏、3世・4世のお年寄りたちが自分のルーツの音楽に触れてノリノリだったお話、胸にジンと来ました。その続きも聞かせてくださいね❣️

*******************2024/02/28 11:21:13*********************

投稿者:加藤(萩原)真知恵

内容: 舟引さん
 今、ブログを読ませていただきました。
 高校で古典を教えながら、古典芸能には全く不案内で、時々、『源氏物語』などで、紫の上や明石の君などが筝(そう)の琴や琴(きん)の琴を弾く場面で、「琴にもいろいろ種類があるんですよ。」などと知ったかぶりで教えたことを、冷や汗をかきながら思い出しています💦
 八橋検校の名前は、音楽の時間に習ったかなという危なっかしい記憶しかありませんが、あの桂皮の香りのする「八つ橋煎餅」が八橋検校の名前から来ているということにびっくりです。あの形にもナットクです。
 宮城道雄の功績も大きかったんですね。「春の海」のフレーズなら、曲名は知らなくても大抵の人は知っていますもんね。
 勉強になり、かつ楽しいブログ、ありがとうございました。
 世界を飛び回り、後進を引っ張りつつ、「60代はひよっこ」と呼ばれる世界でまだまだ成長途上という舟引さんが素晴らしく羨ましい限りです💖
 これからもご活躍ください。また、演奏会などの予定があれば、お知らせくださいね。
 メールアドレスは mhagi@a1.rimnet.ne.jp です。よろしくお願いします🙇‍♀️

*******************2024/02/28 10:26:11*********************

投稿者:舟引智子

内容: 追伸です。
初めの頃のを読み返したら、高見さん、やはりご住職なんですね。見落としてました。
高校の時は、村田さんのお父さんに倫社を習いました。なかなかの名物教師で、咳払いをなさるのが癖で、一度、悪友が授業そっちのけで咳払いの数を数えてた事があります、正確には忘れましたが、かなりの数だったような…
南谷さんとは、学生時代、ノートの貸し借りの事で心斎橋駅で待ち合わせして、終に会えなかった思い出があります。今ならケータイがあるからどうって事ないのに、昭和あるあるですよね〜今高槻市の安岡寺近くに住み、実家のお墓は四天王寺の中です。ご縁があるような、ないような、ですね。

*******************2024/02/28 09:56:31*********************

投稿者:

内容: 舟引智子
森さん、矢熊さん、超PCオンチの私を見捨てる事なくご指導?下さり、ありがとうございました。おかげ様で、人生初のブログを上げる事ができました。
特に、矢熊さん、初めは芸能史解説みたいだった原稿を、的確に添削して下さってありがとう。プロの編集者の仕事ぶりも見せてもらって感慨深いです。

高見さん、コメントをありがとうございます♪高見さんの事は覚えています。探検部に入ってらして、洞窟探検の話を聞いた事があります。ご実家はお寺でしたよね?

新倉さん、毎度ありがとう。又、石田さんの事を思い出させてくれてありがとう。病気の事を誰にも言わず、一人で耐えて、一人で逝かれた、芯の強い方でしたね。
色々思い出して、他の方にも久々にメールしました。

澤井さんには、名簿の話が出た時にお名前を出そうかな、と思ったけど、彼女も今声楽にハマってて、めちくちゃ忙しそうなので、ちょっと控えてました。でも、適材適所、バイタリティ、人脈のある方なので、英文科引っ張ってくれると思います

*******************2024/02/27 14:22:03*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 舟引さん
昔々、叔母さまかつお師匠さま主催の菊秀会の発表会に行ったら、いろいろな生徒さんの合奏に、ある時は第二筝、ある時は三味線、ある時は十七弦(ベース琴)で出演して、演奏しつつも、生徒の演奏に目を配っていました。隣の席の石田法子さんは、大受けで、「あの、目で合図する感じ、目で威嚇する感じがサイコー! 気持ちは分かるよ」とよく言ってました。石田法子さんも、2011年に亡くなられましたが、舟引さんの文章を読んで、いろいろ思い出しました。
娘も、何を思ったか、お琴を習い始めて、時々、アドバイスをもらっています。東京にお琴を運ぶ方法とか、音痴なのにうっかりお琴を始めてしまったんだが、歌の無い曲だけでずっといけるか?とか、碌でもない質問に答えていただきありがとうございます。

*******************2024/02/27 13:09:33*********************

投稿者:高見寛信

内容: 今、舟引さんのブログ読ませていただきました
和楽器に興味はありましたが縁遠い世界と思ってました
30過ぎてからチャレンジされ、今も益々研鑽を積まれていらっしゃるご様子、きっと後進の育成にも貢献なさっているものと・・・
古希を迎え半分ご隠居さんみたいな気分になってる我が身を恥じました
気合いを入れ直します

*******************2024/02/27 11:44:01*********************

投稿者:高見寛信

内容: こんにちは
暫く掲示板がシ-ンとしてるので
景気付けに近況報告を

2/25に旧居留地のオリエンタルホテルで開かれた神戸高校24回生の同窓会に行ってきました
男たちのジジイぶりに比べ女性陣の小奇麗さや「今」を語る元気さに啓発されました
因みに阪大文学部にはS48神戸から4人入学してますが私だけ一浪でしたので後の三人は25回生です
昼下がりの2時間ほどの時間でしたが懐かしいお喋りに花が咲き愉しくてあっという間でした

我ら3年2組の担任の國嶋先生(御年93才)が恩師の中で唯一お元気でご出席下さり
しっかりと壇上でご挨拶下さり古希の我々に激励のメッセージを送って下さいました
我ら2組の者たちにとって何よりの誇りです

*******************2024/02/15 13:43:50*********************

投稿者:加藤真知恵

内容: 舟引さん、
 ほとんどが女子の学校って、独特の雰囲気があったでしょうね。大阪のディープな世界に慣れている舟引さんは、きっと頼りにされる姉御のように慕われていたんだろうと思います。
 古文なんかでも光源氏の女性遍歴とか文法とかそっちのけでやったら、めちゃくちゃ楽しくやれそうですね😆うちのA校なんかでやっていたら、収拾がつかなくなったかも(笑)
 今、母校の講座に向かう途中です。『紫式部日記』講読会。昨年は『源氏物語』でした。そういう話が出来て、面白かったです。この年になって勉強しなおしです。雨の中、大阪城が目の前に見えています。では👋

*******************2024/02/15 13:19:10*********************

投稿者:加藤真知恵

内容: 新倉さん(いや、私にはやっぱり宇都宮さん!)
 えらいだなんて言われたら、穴があったら入りたい気持ちです。5月頃だったか、大阪府庁の別館で新任研修があったとき、お会いしましたよね。H高校に赴任されたと聞いて、羨ましい限りでした。でも、そんなしんどい職場だったとはつゆ知らず。生徒はしんどくても、しんどいからこそ皆が助け合いながら頑張らざるを得ない私の学校の方がある意味楽だったかも知れませんね。
 最後の進学校は心が病みそうになった時もありました。生徒はよく勉強したけれど、親や自分自身のプレッシャーに疲れて、受験の時はピリピリ。センター試験前、私が風邪気味を押して教壇に立っていると「先生、風邪うつさんといてください」という子もいて…彼らもしんどかったんでしょうね。
 部活は盛んで、女子硬式テニス部の主顧問を定年までずっとやりました。土日もなく、練習の日々でした。テニスは30歳の時に始めて面白くなり、生徒に負けながら一緒にやっていました😆
 無理が祟ったのか、腰椎が悪くなり去年手術しました。もうポンコツです😅

*******************2024/02/14 20:24:10*********************

投稿者:

内容: 舟引智子
加藤さん、感慨深く読ませていただきました。
私も商業科で教師をしてたので、身につまされました。在日の子達のリストをもらったり、不純異性交友という言葉も初めて聞いたし。
ただ、女子が9割を占めてたので、身の危険は感じなかったのと、私自身が、通天閣の麓辺りで育ったので、ディープな世界には免疫があったので少しはましでした。
でも、結婚式に生徒達が来てくれるなんて、ホント涙出そう。よく頑張ったね〜

*******************2024/02/14 16:11:52*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 加藤さん
楽しく読ませていただきました。人の苦労を「楽しく」なんて言ったらだめですね。
そんなに偉い人だったんだ! と尊敬してしまいました。
もっとずっと楽な高校に勤めたのに、2年で逃げ出した私とは大違いです。
学区で3番目のランクの学校で、古文も漢文も授業は成立しましたが、日教組vs非組vs右翼みたいな感じで職員同士が仲が悪くて、職員会議なんかは、揉めに揉めて毎回10時、11時までかかってました。違う派閥の先生の発言中に、会議室の長テーブルにお尻を乗せて後ろを向いたりする先生もいました。今なら、そういうことも平気なんですが。

京阪電車に乗って帰っていた時に、たまたま、文学部の人(誰だったか忘れました)に出会って、「古文の教科書に『古事記』が出てくるから、この機会に『古事記伝』を読んでるんだ」と言ったら、「古文の授業が成立するんだ。すごいね。別世界!」と言われて、驚いたんですが、いろいろ分かってなかったです。

*******************2024/02/14 15:59:32*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 真知恵さん、妄想ばあさんのたわごとを真面目に受け止めてくださり、ありがとうございます。
パソコンのキーボードはまだしも、スマホの指スライド方式(フリック入力というらしい)は誤字変換、トンデモ変換が多すぎて恐ろしいです。はやる気持ちでしゃべるように入力するものだから、送信した後で真っ青になります。いわゆる「おかんのメール」というものですね。送信する前に、再度確認すればいいものを…、なんですけどね。SNSは要注意、要確認。
また対面で会っておしゃべりしましょう! まちかね会の皆さんともまた一献傾けたいですね、一周年を記念して!

*******************2024/02/14 13:38:56*********************

投稿者:加藤真知恵

内容: いつ子さん、感想ありがとうございます。さっきLINEでやり取りした時の普段着の私たちらしい話も楽しかったです。その中でいつ子さんが言った「芸術は時間というものが組み込まれて作用する」という言葉、めちゃ素敵でした。SNSはまどろこしいです。また飲みに行っていろいろ話したいですね。

*******************2024/02/14 12:59:39*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 昨日、真知恵さんのブログを拝見して、そのドラマに感動しました。社会人になって皆それぞれに新しい世界で奮闘努力していたのだなぁと。
50年近く前のことでも、総天然色で鮮やかに蘇ってくるのは不思議ですね。そうです、この真知恵さんのブログの映像は私の頭の中ではセピア色には再現されませんでした。

高見さん、《プロジェクトX》中島みゆきの「地上の星」ですか!
はい、私も似たようなもので、私は《プロフェッショナル・仕事の流儀》スガシカオ「progress」が頭の中を流れていきました。
いずれにしても、映像になるインパクトありましたねぇ!

*******************2024/02/14 12:24:33*********************

投稿者:加藤真知恵

内容:  高見さん、「地上の星」は言いすぎです(^_^;)
実際はもっと泥臭く、かっこ悪かったです。
 女子バスケットボール部の練習中、ドン臭い私は生徒とぶつかって前歯を折ってしまったんです😣以後、上の前歯2本は差し歯です。これも老朽化しつつも、頑張って私の咀嚼を支えています。
 この話は「加藤さんのイメージに合わない」と矢熊編集長にボツにされましたが(イメージもなにも私そのまんまです😆)、ここで明かしてしまいますね(^ー^)

*******************2024/02/14 11:23:46*********************

投稿者:高見寛信

内容: 加藤さんのブログ、拝読しました
読み終えて、頭の中に中島みゆきの「地上の星」♪が流れ
プロジェクトXの名場面がうかびました
いい話を聞かせて頂きました
ありがとう(*^^*)

*******************2024/02/14 09:41:06*********************

投稿者:加藤真知恵

内容:  矢熊編集長に促され、46年も前のことを必死で思い出しながら書いていると、当時が昨日のことのように思われました。何が正解かもわからず、無我夢中でやっていました。でも、決して一人ではなく、元気のいい仲間がたくさんいて楽しかったです。50歳の時、いわゆる進学校と呼ばれる高校に転勤しましたが、それからの方がしんどかったです。生徒会主担などにもなり、管理職や運営委員会メンバーとの対立や軋轢、文化祭や体育祭を進める時は作業時間や作品の置き場所など併設の定時制との調整などに神経を擦り減らすことも多かったです。いじめや引き篭もり、自傷行為等出口の見えない生徒に対して、若い頃経験したことのなかった壁にぶつかり、自分の無力さを思ったことが多々ありました。教師同士の繋がりも希薄になりました。みな、自分のことでいっぱい、いっぱい。無限空間の中で自分という個が浮遊しているような孤独と不安を各自が感じていたと思います。
 それは、昭和から、平成、さらに令和と時代の進行に伴う(教員の世界だけでない)日本社会全体の変化なのかも知れません。
 一昨年で講師依頼も全て断り、今はのんびりしています。そんな時、まちかね会での懐かしいメンバーとの再会はもちろん、在学時にはあまり面識がなかった方との「新たな出会い」もこれからの人生を豊かにしてくれるような気がして、とてもありがたいと思っています。

*******************2024/02/13 20:42:05*********************

投稿者:加藤真知恵

内容:  正田くん、拙い文章を読んでいただき、ありがとうございます。ブログを書くことで当時の記憶をより確かなものにすることができ、新米だったころの自分の感情もより鮮明に甦ってきました。破天荒な毎日でしたが、とても楽しかったです。若かったのでしょう。今、自分の中にわずかに残っている若さを発見したような気持ちです。
また、ミニ同窓会の続きをお話しできたらいいですね。
 矢熊くん、お世話ありがとうございます。私にとってこのブログは、扉を🚪開けて、大学時代を共にした方々の人生や豊かな感性に触れる「広場」のような、とても大切な存在になっています。

*******************2024/02/13 19:18:15*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 加藤さん共感です、ミニ同窓会の時少しだけお話したとは思いますが、私も初任は京都の最底辺校1年目からHR担任、当時は初任者研修もなかったですね。当時は暴力教室という言葉が流行しイジメや引きこもりは少なかったけど、生徒は元気いっぱい問題行動多かったですね。そんな中で苦労もしたけど一番思い出深い学校でその後の教師人生の基礎を築いてくれた生徒・学校でした
苦労をかけてくれた生徒がしっかりした人生を歩み、今や還暦を迎えています。感慨深いですね。

*******************2024/02/10 08:05:30*********************

投稿者:新倉敦子

内容: おはようございます
仏文の石木さんは、洋子さんじゃなくて陽子さんです。クラブが同じだった人に聞きました。

*******************2024/02/09 20:11:39*********************

投稿者:井元秀実

内容: 国史は名簿があるので訂正します。
まず前田優美子さんが抜けている。
「まちかね会」のメンバーだよ。
また、国史の松原信子さんって、誰?こんな人いた?
三好さんは「真子」ではなく「順子」が正しい。

*******************2024/02/09 17:57:19*********************

投稿者:高見寛信

内容: 53年卒藤井正人(印哲)も48年入学だった気がします
小出しの情報でスミマセン!
同期入学といっても留年はするし、学科に分かれると学内でもほとんど会わないし、卒業、院進学で夫々別の道進んじゃうから
同窓会名簿復活はなかなかの難プロジェクトですね
幹事さんご苦労さまです

*******************2024/02/09 15:52:28*********************

投稿者:高見寛信

内容: 53年卒の増永雅嗣(中哲)も48年入学です

*******************2024/02/09 15:41:53*********************

投稿者:高見寛信

内容: (敬称略)友岡雅弥は物故
53年卒の黒坂俊昭は48年入学だった気がする

*******************2024/02/09 14:23:42*********************

投稿者:新倉敦子

内容: こんにちは
全く分からない名前もありますが、国文はだいたい分かるので、ちょっと訂正しますね。阪下雅彦、中村清さんは、1学年上の方です。剣持雄二がフルネーム。

*******************2024/02/09 11:16:17*********************

投稿者:井元秀実

内容: 1年の時、クラス名簿を作った。手書きでわら半紙に刷ったような名簿だった。私は持っていないが、誰か持っていませんかねえ?
中心になったのが奥村くんという名前で、後に学生運動にのめり込んでいったように記憶している。
彼は、亡くなった池田くんに似た背格好だった。
授業ではほとんど見かけなかった。
志賀節子さん理系を卒業されて学士入学された方で、研究室で初めて会った。年齢も何歳か上で、昭和48年入学でくくると外した方がいいと思う。

*******************2024/02/08 20:57:25*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 国文の山本さんは、美絵ではなかったような気がします。美鈴?自信がありません。ちょっと他の人に尋ねてみますね。

*******************2024/02/08 20:53:17*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 名前を見たら、おぼろげにちょっと思い出したりします。上田さんという女性がいたと思います。英語の授業で前に座っていました。桃田さんという女性もいました。話したことはないです。あと、玉田さんの下の名前は純子さんではないでしょうか?

*******************2024/02/08 20:28:43*********************

投稿者:正田隆司

内容: 48年度入学生は110名です。私の記した方を加えても90名余り、あと20人弱の方がおられるはずですね。

*******************2024/02/08 20:22:16*********************

投稿者:正田隆司

内容: 私も2017版の文学部卒業生名簿を持ってるので調べてみました。
以下の諸君が矢熊くんの名簿に抜けていると思われる私の覚えている48年度入学生です、ただ記憶間違いもあろうかとも思います、要確認です。(男子は自信あります。)
大形 徹(中哲)
澤田 稔(東史)
浦崎なぎさ(西史)
熊見めぐみ(国文)
諏訪原 研(哲1)

*******************2024/02/08 17:43:22*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 村田くん、本サイトへのエールをありがとうございました。
文学部的という言葉が、心に残りました。

さて本サイトの目的は同窓会の開催です。そのためには、名簿を整理しなければなりませんが、手つかずでした。
そんな折、高見くんが参考になればと言って、阪大の卒業者名簿をFAXで送ってくれました。名簿は卒業年で編まれているため、同期生以外の人が入り混じっているかもしれませんが、とりあえず叩き台を作りました。
皆さんの記憶を元に、これを正確なものにしたいと思います。名簿から、欠落している人、逆に同期生以外の人が混じっていましたら、お知らせください。その都度、修正します。

★この欄に掲載していました『昭和48年文学部入学者・名簿復元プロジェクト』は、その後、修正して、2月10日掲載の名簿へ移行しました。修正にご協力いただいた皆様にはお礼申し上げます。

*******************2024/02/05 17:22:32*********************

投稿者:村田路人

内容:  先日、森俊彦君から、「矢熊君が開設した『まちかね会』のブログの文章を読んでいるか。一度ブログに文章を寄せてほしい」との依頼がありました。実は、ブログ開設のことは森君から聞いていたのですが、開き方がわからず、そのままになっていました。改めて森君に尋ね、ようやく開くことができました。

 掲示板の投稿を含め、皆面白い文章を寄せているなあと感動しました。懐かしい同期生の動向がわかり、学生時代の思い出もよみがえりました。矢熊君や森君には、いい交流の場を設けて頂いたことに感謝するばかりです。これからしょっちゅう見るつもりです。

 今は大学の超繁忙期で(まだ大学で日本近世史を教えています)、寄稿のための文章を書く時間がとれませんが、近いうちに何か書くつもりです。ただ、常々学生や院生に「文章は研究者の命」と説いている私の悪いクセで、文章を書くとなると、つい身構えてしまうところがあります。

「まちかね会」ブログは、文学部ならではの良さが溢れているという印象です。老年に差し掛かると、誰もが残された時間を豊かに生きたいと願います。ブログの文章から、豊かな人生を切り拓こうとする前向きな姿が感じられ、羨ましく思うと同時に、とても勇気づけられます。ただ、その「豊かな人生の切り拓き方」がとても文学部的という感じがします。そもそも、この交流の場の立ち上げの過程そのものが文学部的といっていいでしょう。何の役に立つのかとよくいわれる文学部ですが、世の中になくてはならない学部との思いを新たにしています。文学部は最高です。

*******************2024/02/04 17:09:45*********************

投稿者:武田多永子

内容: こんにちは、新倉さん、中尾さん、拙い文をお読みくださり、また感想をお寄せいただきありがとうございます! 

新倉さん、お久しぶりです。去年の同窓会以来ですね、宝塚のお話をもっと聞きたかったのにあまりお話しできなくて残念でした。次回お会いしたら是非! 韓国は前の仕事で出張することが多く。韓国の方と交流を持つことも多かったので、自然と興味を持ちました。韓流ドラマは日本のドラマに比べて(私からすれば)ありえない設定、考えられない思考、熱いくせにしたたかな感情、に感心しているうちにだんだんはまっていきました。歴史ドラマは面白いし!

中尾さん、もし機会があればNetlixで「サムダルリへようこそ」見てみてください。ちょっと日本語訳が変なとこもありますが、済州島の自然がきれいだし、面白いです。主演は女優さんのほうだけど相手役のチ・チャンウクさんはMy推しの一人です(笑)脇役の方々も色んなドラマで活躍されてるベテランぞろいなので、楽しめますよー!

森さん、「イムジン河」、私は中学3年の時音楽の授業で習いました。教科書ではなく先生がプリントを配って歌わせたので、そんな時代だったのかなぁ、と思い出します。ブログに載せた地図にもあるように臨津江は江華島と北朝鮮を隔てる中海に注ぎ込んでいるのですが、ガイドさんが「島からは直接は見えないけど、この方向にイムジン河の河口があります」と教えてくれたので、思わず目を凝らしてしまいました。のどかで美しい景色でした。

*******************2024/02/04 15:28:51*********************

投稿者:萩原真知恵

内容: 皆さん、お久しぶりです
実は、昨年来森くんから再々投稿依頼のLINEを頂いていましたが、一度“乗り遅れた感”を持つと二度と乗れない私、不義理を重ねておりました。痺れを切らした森君から矢熊弾を発射せよ!との司令が降りたのか、本日矢熊君からも安否確認を兼ねたメッセージをいただき申し訳ない限りですm(_ _)m
重い腰を上げ近況報告とも言い訳ともつかぬ繰り言を書かせていただきます(^_^;)

実は年末年始のドタバタの後、体調を崩し、この週末くらいからようやく復調の兆しが見えて来ました。年が明けたら書かなきゃねという良心の囁きも喘息のような咳き込みに掻き消され…今日に至っております。こんな長期の不調は初めて。年を感じました( ; ; )
で、ようやく未読の第6回井元さんの投稿から読み始め、ブログも11月末の分から読んだ次第です。
さで何を書いたものか-_-b

旅行は海外には25年くらい前から年1回行っていて、いろんな経験もしましたが、皆さんの旅行記を読んで、即、投稿に値せずと認識を新たにしました(^◇^;)

大学時代の思い出も弓道部にどっぷり浸かっていた私の思い出は、汚い明道館での秋合宿の時、銭湯(石橋温泉だったかな?)まで石鹸カタカタ言わせて医短の坂を降りて行った的な弓道部モノがほとんどです。

近況と言えば、掲示板に書いた通りで、腰椎の手術のため昨年は初めて一度も旅行に出られなかった年となりました。孫たちの世話の毎日の中で、年末は泉涌寺や桂離宮etcに行った日にfacebookをアップしたりしていました。ほんまになにを書けばいいかな…
でも、「次は書きますね」とここで公言して自分に縛りをかけ、これ以上不義理を重ねないよう努めますね。まるで政治家の答弁σ(^_^;)

ps
正田くんがfacebookを始めてくださり、「友達」になってくださいました。投稿を読んではるかどうがわかりませんがσ(^_^;)週に1〜2回は近況や、雑感、大河ドラマの感想などを書いた「『光る君へ』あれこれ」シリーズなどをアップしていますので、よろしければご覧ください。登録はめちゃくちゃ簡単です。私も公開範囲をしっかり限定して安全に使っています。
(facebookは、スマホ片手に指一本で書けて写真もすぐ貼り付けられ、「友達」(主に高校時代の友人たち)からのコメントのやり取りもビビッドで、体調不良のこの2ヶ月間もそれなりの時間を過ごせました。)

*******************2024/02/03 20:00:29*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 武田さん、観光旅行記とは一味違った韓国・江華島(カンファド)訪問記、興味深く読ませてもらいました。と同時に、初めて韓国を訪れた時のことを思い出しました。
20年近く前。当時は韓流ドラマの火付け役となった「冬のソナタ」人気がすごかったころ。ロッテビルの壁面(4~5階分)に、“ヨンさま”の巨大な顔の垂れ幕がぶら下がっていました(チェ・ジウのはありませんでした)。
そんな中でふと頭に浮かんだのが、♬イムジン河水清く とうとうと流る…我が祖国 南の地おもいははるか♬
高校生の頃にラジオで聞いたフォークルの「イムジン河」だった。ソウルの知人に漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する、38度線の軍事境界線付近に設立された統一展望台に案内してもらった。
ソウルから40キロほど。展望台からイムジン河を挟んで2キロほど先はもう北朝鮮だ。“北の宣伝村”と言われる農村が目の前に広がっていた。
展望台に着くまでの道沿いには、塹壕が掘られ、鉄条網が切れ目なく張り巡らされ、機関銃陣地で身構える迷彩服の兵士の姿も目に付いた。あちこちにいた兵士からは紛れもなく、「戦時下」の緊張感が漂っていた。
あの展望台、今はどうなっているのでしょうか?
◇◆◇
高見君、大学の現況をリポートしてくれてありがとう。
阪大が、現在、学年当たりの学生数が国立大トップの3300人超とは全く知りませんでした。驚きの事実です。
大阪外大が外国部学部として、一昔前に医療短期大学部が医学部などに併合されたとはいえ、大幅に学生数が増えている原因はどこにあるのでしょうか?
現代は、少子化で子供の数が減少する中、学校の入学定員も大幅に減っているというのに、不思議な現象ですね。頭の中を幾つもの「?」が飛び交っています。

*******************2024/02/03 16:31:19*********************

投稿者:高見寛信

内容: 最近の母校の近景

コロナ禍がbreak outする直前の′19年の秋、阪大図書館に用向きあり、久しぶりにキャンパスを訪れました。その時の印象を少し書き連ねます。
まず駅名が「石橋阪大前」に変わっています。
商店街の趣はそれほど変わっていないんですが
丁度2限か3限目の登学時間だつたのか兎に角非常に多くの学生のお尻を追いかけて踏切を渡り阪大坂を上って行きながら感じたこと。
学生数の多さと女子学生数のそれに輪をかけた多さです。
大阪外大が阪大の外国語学部になったのと、文学部こそ我々の時にも女子が半数を占めてましたが、他学部にはチラホラでしたよね。
今では全学生に占める女子の割合は35%、また学年当たりの学生数も国立大トップで3300人超だそうです(昔は旧帝大の中でもこじんまりした大学だったのに)。
約束の時間まで少し間があったので久しぶりにと、図書館下の学食に入りましたらヴェールを纏った女子留学生が目立ち、大きな声で中国語や東南アジア系の異国語が飛び交い、ほぼ満席の中、黙々と飯を食ってるのが日本人の学生かなという情景でした。
図書館のA-6で用を済ませ坂を下って帰途につきました。
晩秋のこととてつるべ落としの秋の夕陽に染まる西の街並みの美しさは昔と変わらないのにキャンパスの風情はすっかり変わってしまったなと思いました。
半世紀も経つのだから当たり前ですよね。 
駅に近づきガラス張りの扉に映る70才の爺さんの姿を見て半世紀の歳月の流れが腑に落ちました。
・・・それでもなお、Samuel UllmanのYouthの詩句が静かに心の底に流れます。
今日は節分、明日は立春ですね。

*******************2024/02/02 18:20:35*********************

投稿者:西原いつ子

内容: こんばんは。1月はちょっと忙しくしていて掲示板に書けませんでした。
山川さんの韓国旅行、有意義な情報提供で参考になりました。ソウルに行くことがあれば、カンファド(江華島)もぜひ訪れたいと思います。

私も韓国ドラマも有名な映画も殆ど見ないので、この目的のなさが学習意欲につながらないのだと思います。韓国語は万年入門編の繰り返しです。BTSの歌もラップもたまに単語が分かるぐらいで殆ど分からない。でもラジオ講座で習う丁寧な言い方でなくて若者の間で使うパンマルという形なので、とても新鮮でどきっとします。儒教の国なので私も敬語にすごく神経を使いますが、若者同士は気楽にパンマルで話して、距離がぐっと縮まるのでしょうね。

新倉さんのジュリーの追っかけは韓流ファンの韓国詣でを大きく凌駕していると思います!これからも貫いてください!

*******************2024/02/01 09:46:59*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 山川さん
お久しぶりです。私は韓流ドラマを、ていうか、ドラマってものを見ないので、よく分からないですが、韓流好きな皆さんは、みんな韓国に聖地巡りに行きますね。
楽しそうで何よりです。
沢田研二のライブのチケットが、あまりに当たらないので、ついつい、ふらふらとぴあカードを申し込んでしまいました。普通、チケット代と手数料とコンビニでの発券手数料がかかりますが、それに先行手数料?みたいなのが、1枚につき550円上乗せされるんです。USJやディズニーランドで、並んで待っている人を抜かす権利をお金で買う的なものです。資本主義だ!でも、ぴあカードのおかげで、凄く当たりました。
私も韓流ファンなら、何回も韓国に行ってるだろうなぁと、勝手にシンパシーを感じつつ、読みました。

*******************2024/01/29 23:29:24*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 高見さん
その話は聞いたことがあります。日原先生も何かとご苦労なさってましたね。

富五郎、今でもあるんですか? それは懐かしいです。初めて行った時には、先輩がみんなとりあえず1,000円出せと言って、1,000円ずつお皿に入れて、料理と引き換えにお金が減っていくのが、なんという明朗会計!と感動しました。またちょっとずつみんなでお皿にお金を入れて、料理を頼むのが、要するにGUIですね。分かりやすくて好きです。
十三で降りることも無いので、というか、阪急宝塚線に乗ってないので、一回乗ってみたいと思いました。宝塚にはJRで行きます。

*******************2024/01/28 16:23:49*********************

投稿者:高見寛信

内容: 数日前の新倉さんの「十三駅近の富五郎」の件で一言
′82年(昭和57)秋、中哲研究室が中国社会科学院の一行を迎えたことがありました
院では日本学に進み中哲を離れてた僕でしたが日原先生は
その当時呼び戻してくれてました
大阪下町十三の庶民的🏮居酒屋「富五郎」を接待の場に
選んだ日原先生の感性を僕は「粋だなぁ」と思ったものです
その時の店内での写真もありますが当時の学生や先生方も写っているので
肖像権の問題もありますから転送は控えます
因みに席につくとアルマイトの空の皿が目の前に置かれ
そこに客は2~3千円ほど金を入れておけばビール呑んだり
焼き鳥食ったりする度に目の前で現金が減っていき
あとどれくらい飲み食い出来るか分かるというお会計システムです
今でもたまに大阪方面に足が向くときには軽く一杯呑みに寄ります

*******************2024/01/27 21:18:32*********************

投稿者:南谷恵敬

内容: そうか、喫茶店、パルでしたね。Gセブンはあまり覚えてないなあ。あの頃の曲と言ったら、神田川とかですかね。僕はちょっと嘘くさい感じであまり好きではなかったですが。好んで聞いたのは井上陽水かな。吉田拓郎は嫌いでした。
お好み焼き屋、なんかありましたね。ふじやの下もお好み焼き屋だった気がします。たしかふじやの大将の息子さんがされてたんじゃなかったかな。

*******************2024/01/27 19:54:31*********************

投稿者:新倉敦子

内容: パルの隣りがG7でした?
記憶が定かではないです。河島英五は、その頃でしたか? よく覚えてないです。和声の進行が、独特な感じがします。
その頃、何を聴いてたんだろう?沢田研二はデビュー以来のファンではありますが、濃度に違いがあって、大学生の頃はちょっと薄めでした。テレビにあまり出なくなった頃の歌が一番好きなので。

それと、石橋商店街に○月というお好み焼き屋さんがあったの、覚えていますか?○が何か、忘れてしまいました。

*******************2024/01/27 14:27:26*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 炉端焼は「にしもと」という名だったかな、焼き魚の美味しい店でしたよね。
阪急服部駅は、僕も最寄り駅でした。井元君が駅を降りると歌が聞こえたというのは、パチンコ屋からだと思います。パチンコ屋は軍艦マーチが定番ですが、あれは開店時や決まった時間だけで、あとは流行歌やフォークを大音量で流していました。
そのパチンコ屋で初めて聞いて衝撃を受けた歌があります。野太い声で、社会の矛盾や欺瞞への怒りを訥々と訴える歌でした。後で知ったのですが、河島英五の「てんびんばかり」でした。8分を超える長い歌なので、耳にした人はあまりいないかもしれませんが、僕は密かに河島英五の代表曲だと思っています。
あんな歌が、昼間のパチンコ屋で堂々と流れていた。嘘のような時代でした。

*******************2024/01/26 20:27:19*********************

投稿者:井元 秀実

内容: 30㎝ほど積もった雪も一段落した鳥取から一言。
中華料理店「てんほう」は、商店街の路地を入った角にあった。ご飯の量がすごくて大盛りを頼んでないのにデカ盛りが出てきた。合宿中の晩ご飯は、ここか、またはコロッケ定食をよく頼んだ「いこい食堂」が定番。
「てんほう」の道を隔てた向かいに炉端焼きの店があった。ここは、夜だけでなく昼も営業していて「さんま定食」をよく食べた。ここの特徴は、ご飯と漬物は食べ放題! PMから授業の時は、ここで昼食を腹一杯食べてフウフウいいながら阪大坂を上った。この店は、矢熊くんに紹介してもらったような気がする。
私の学生時代の思い出の曲は、野口五郎の「私鉄沿線」。
3回生か4回生の寒い頃に流行った記憶がある。下宿の最寄り駅「阪急服部駅」を降りると、いつも大音量でこの曲が流れていた。
  ♪改札口で君のこと いつも待ったものでした
残念ながらこんな素敵な思い出は、
           一つもあ~りません!!

*******************2024/01/26 16:41:39*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 今冬一番の寒気団が勢力を弱めたとは言え、まだまだ寒いですねぇ。皆さん、変わりないですか?
矢熊君のエッセイを機に、一気に半世紀以上前の石橋界隈にタイムスリップした気分です。 僕は、桜井に下宿していたので、石橋商店街とは逆側の石橋会館がある方のエリアをもっぱら利用しました。
南谷君が「よくピラフを食べた記憶がある」という喫茶店は、恐らく「パル」のことでしょう。ピラフではなく、正確には“バターライス”と呼んでいたと思います。店は、石橋会館横の路地を右折して、安売りの電気屋(僕はここで激安のテレビを買った)の角を左折、ガードをくぐる直前にあった右手の小さな路地を入ったところの右側にパルはあった。ちなみに隣の2階は雀荘「エリート」。革張りの椅子があるちょっと豪華な店で、学生よりサラリーマン客が多く、妙に色っぽいマダムがいたなぁ…。
パルは、大阪市内の“七色の珈琲”で有名な「MJB珈琲」と同じように、曜日ごとに豆を替えてコーヒーを飲ませてくれた。特に、ウィンナ珈琲とブラジルを出してくれる日だけはよく通ったものだ。部活帰りにも、みんなでよく行ったものだ。

ある時、後輩が彼と一緒の所に行き合わせた。彼が出て行ったあと、店の隅の席に一人残った彼女は声を殺して泣いていた。声を掛けるべきかどうか迷ったが、姿を見られないようにそっと店を出た。なぜか分からないが、ガロの歌が浮かんできた。♫君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ…あの頃は愛だとは知らないで サヨナラも言わないで 別れたよ 君とーー。「学生街の喫茶店」だ。

皆さんにも思い出に残っている歌があるでしょう。別れ、出会い、喜び、悲しみ、苦悩…エピソードを交えて、心に残る、心に響いた、そんな1曲を紹介してくれませんか? 

*******************2024/01/26 15:57:04*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 南谷くんの思い出せない喫茶店は「Gセブン」では、中華料理は「てんほう」ではなかったですか?私もよく行ってました。
忘れていた記憶がみんなの文で少しずつ蘇ってくるようで、楽しく懐かしく感じます。

*******************2024/01/25 22:42:19*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 南谷さん
お久しぶりです。お名前は昔から「恵敬」でしたか?法名?ですか?記憶があやふやです。
宝塚までご一緒しましたか?そうだったかもしれません。キセル?えっ?したかもしれない。でも、南谷さんと楽しくしゃべった記憶はあるので、この時だったのかもしれないです。
この前、高校の友達に、私がかつて本居宣長の素晴らしさを延々と語ったことについて、今はあの熱意は無いの?と聞かれてアタフタしました。素晴らしさを延々と語ったことを覚えてないから。
夫くんが、常に「貞慶」がどんなに偉いか、「道元」がどう修行して、誰と喧嘩して、ああだこうだと語りまくりで、耳にタコできるわ、うざ〜と思ってたりもしたんで、自分も同じような人になったのかもしないと思って、ギクっとしました。命長ければ恥多しってほんとですね。

十三の駅近のとみごろう(富五郎だったかもしれません)という飲み屋には、行きませんでしたか?

*******************2024/01/25 11:59:41*********************

投稿者:南谷恵敬

内容: 皆さん、昔の石橋界隈の店やなつかしい歌で盛り上がってますね。ピノキオは僕はあまり行きませんでしたが、行くときは漫画を読みに行くという感じでしたね。それが「トイレット博士」とかいう、なんとも下品なギャグ漫画だったのは情けないですが。「ふじや」さんはほぼ常連。学部に上がってからは美学科研究棟とふじやさんで毎日暮れていきました。結婚式で「ふじや」の大将から祝電いただきました。憩食堂、あんまり記憶ないんですよね。院も含めて石橋には12年通いましたが、多分、行ったことはあると思うんですが、ホームグラウンドではなかったかな。ピノキオのほかにも喫茶店があってそこでよくピラフを食べた記憶があるんですが、名前を思い出せません。どなたかわかる方いらっしゃいますか。それから激安の中華料理店もあったな。たしか望月君ご愛用だったように覚えています。
新倉さん=宇都宮さん、一度なんでかわからないですが、一緒に宝塚まで電車ご一緒したことがありました。僕は宝塚には何の用事もなかったのだけど新倉さんが宝塚歌劇観に行かれるというので一緒に乗ったんだと思います。その時も宝塚愛を強く語られた記憶があります。ただその後、宝塚の駅で駅員さんにキセル乗車見つかったのはご愛敬でした(-_-;)
なんていろいろ何でもないことを思い出してます。記憶違いもあるかと思いますが、楽しい日々だったことは確かです。

*******************2024/01/24 20:57:38*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 高見さん、凄いです。
私は、昔の手帳は、恥ずかしくて見直したりできないので、2〜3年で廃棄です。世俗の欲に塗れているので。なんで、こんなにライブに行ってるんだろ?これだけ有れば、アレでも、コレでも買えたんだよなぁとか、ちょっと反省はするんですけど。
一瞬で終わるのがダメなんですよね。やっぱり、ダテにお坊さんやってる訳じゃないんですね。尊敬してしまいました。

*******************2024/01/23 22:31:01*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 私は、神田川とか、妹とかが、なんか気恥ずかしくて、湿り気が多過ぎるような感じでいまいち、好きになれなかったです。そのわりに、歌えと言われたら歌えますが。
ふじやは行きました。憩食堂は、入ったことはないけど知っています。
赤い橋のところにあった本屋を知ってますか?3回生の時にバイトしてました。今は無いと思います。

*******************2024/01/23 17:22:33*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 新倉さんのかぐや姫は、第1期の頃ですね。
あの頃のかぐや姫は、ちょっとアレな変な歌を歌っていましたね。でも南こうせつは歌がうまく、全日本歌謡選手権で勝ち抜きを重ねていました(途中で棄権しましたが)。五木ひろしや八代亜紀を生み出した、あの伝説の番組です。
第2期のかぐや姫は、新倉さんが言われるようにガラッと変わりました。決定的だったのは喜多條忠との出会いだったと思います。「神田川」も「赤ちょうちん」も「妹」も喜多條の私小説のようなものです。南こうせつが作る歌は本質的に明るいのですが、喜多條の詩を得て、深みや情感が出たと思います。
私見ですが、かぐや姫で詩作に一番優れていたのは伊勢正三だと思います。「海岸通り」「雨の物語」など数多くの名曲があります。それらをイルカがカバーして、輝きが増したというのは、よほど相性がいいのでしょう。

新倉さんがピノキオを知っていて少し嬉しくなりました。これをご覧になっている皆さんのなじみの店、思い出の歌はありますか?

*******************2024/01/21 18:06:01*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 矢熊さんの思い出の店、読みました。ピノキオは、怪しい感じが気になっていましたが、入りにくくて、入ったことがありません。そんな感じだったんですね。
私は、ミスタードーナツで下宿生の子とよく話していました。ミスドは、石橋劇場の向かいに出来てその頃は24時間営業していたと思います。懐かしいです。

かぐや姫は、高1の時に知りました。その頃、南こうせつが大分放送ラジオの深夜番組のパーソナリティーをやっていました。私は大分の高校に入学して、その頃下宿してたんです。南こうせつは、週1で東京から帰って来て、自分の番組でちょっとアレな歌を流していました。「ひとり寝のかぐや姫」とか「変調田原坂」とか...「1人で寝るのは寝るんじゃないわ、1人で寝るのは横に立つだけ、誘いに来る子もいないとは、落ち目ね、落ち目ね」みたいな歌詞を覚えてます。

なので、後年、抒情的な歌を歌ってて、違和感がありました。

*******************2024/01/20 14:45:49*********************

投稿者:高見寛信

内容: 追伸
辻本さんの写真の件は「10/18(金曜)クラスコンパ(その2)
10時三宮集合」と手帳にあります
おそらく路線バスで三宮から再度山修法が原・森林植物園まで足を延ばし、帰りにサントリー会館で呑んだんでしょうね
決して「行きつけの店」などではなかったですが・・・

*******************2024/01/20 12:39:24*********************

投稿者:高見寛信

内容: 南谷さんの「高見君、よく覚えていますね」に一言

若い頃から現在に至るまで手帳でスケジュール管理する
習慣があって、今も手元にその手帳が残っているという、
只それだけのことです
記憶力が良いわけでは決してありません
又、神戸から電車通学してた僕らは、あの当時の石橋界隈に
特段のノスタルジーを感じてるわけでも無いんだけど
「まちかね会」絡みで久しぶりに手帳を繰ってみるとよくもまぁこれだけ毎日雑事にかまけていたものだなぁと苦笑いはしています

*******************2024/01/18 20:29:35*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 憩食堂、ふじや、ピノキオ。矢熊くんが語っている淡い思い出・二度と帰ってこない、前を向いてそれぞれが歩むために封印した思い出、そして今どうしようもなく懐かしい思い出が詰まったお店ですね、もう一度行ってみたいようで行かない方がいいような。
名残り雪・僕の胸でお休み・22歳の別れそれぞれに思い出を持っている皆さんも多いでしょうね、今も聞く時には一人でいたいような気持になるのは私一人でしょうか。
あの頃を思い起こさせる矢熊くんの名エッセイですね。

*******************2024/01/18 16:12:39*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 連続投稿です。皆さんの声の続きです。

■正田隆司君
後列右端の女性は松原さんでは? 高校の同級生のはずです。前列右端は村田くんかな?

■南谷恵敬君
こんにちは。いや、懐かしいですね。そうそう高見君と瀧尾さんが骨折ってくれて実現したハイキングでした。
その後、高見君行きつけ?のバーみたいなところで飲んで、ボクはヘベレケになって帰った記憶があります。辻本さん、写真を良く残してたもんですね!ボクの長髪、変だなぁ、恥ずかしい。
右端の女性は松原(現・蔭山)さんだと思います。ほかの女性は瀧尾さん(写真を撮っていた)くらいしかわからない。
男性もボクの隣は誰だっけ? だいたいは分かるけど、お顔を忘れた人もいるんですね。みんな変わったのかなあ。村田くんは何年か前に会ったけど、髪が白くなってはいるが、雰囲気は全然変わってなかったですよ。
学生時代の写真は全然残ってないですね。気が向いたら投稿します、ってごめんなさい。
☆追記
こんばんは。確かに記憶が曖昧なところ、あるいは抜け落ちているところありますね。もう少し歳をとると最近のことも忘れてしまうようになるのでしょうが。というか、もう、そうなり始めてますけどね。
ボクはハイキング自体はあんまり記憶ないんですが、あとの飲み会はけっこう覚えてまして、カクテル、モスコミュールとか初めて知りましたね。
高見君、よく覚えてますね。2組の担任、池長先生、そうでした、と言ってもあまり覚えてないのですが。
なんかいろいろ思い出してきました。また、投稿します。

■豊嶋成和君
よくよく考えたら、このハイクも写真があるから、行ったのだろうという程度。このハイクの後のことも、十三でのコンパも全く記憶にない。
高見とは、何回か十三で飲んだけど、あの時分の十三はいかがわしかった。
まぁ、あれこれ覚えていることもあるけど、大学で授業を受けた記憶はない。

*******************2024/01/18 16:10:30*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 高見君。17日は阪神大震災から29年目の日でしたね。
今年は能登半島地震も相まって、高知でも鎮魂の祈りがささげられました。高見君にとっては、特別な日に半世紀前の新入生交流ハイクとコンパの詳細な計画を思い出してくれてありがとう。
吉川(辻本)純香さんが提供してくれた2組の交流ハイクの記念写真が思いのほか、大きな反響を呼びました(1組の人には申し訳ないけど)。このイベントへの皆さんから寄せられた声を紹介(順不同)します。ちなみに、私は参加していないのですが…。

■西原(中尾)いつ子さん
写真、みんなすごく若いですよね! 当たり前ですけど??
男子はほとんどの方の名前を言えます。女子は、二人だけ分かりません。後列右端、背の高い女子の方は残念ながら分かりません。後列矢熊君の隣の女子は?さん? いや、違うかなぁ。後列右から2人目は吉川美奈子さんですよね。2組のコンパの時に瀬戸の花嫁を歌ってとても上手だったのを今でも覚えています。吉村(現・舟引)智子さんは前列右端ですね。彼女も行っていたのですね。男子も女子も若くてピチピチですね。
私は参加していませんでしたが、2組の「や行」の女子は、なぜか記憶にはっきりと残っています。
前列、村田君の隣は森本君でしたか。森本君と言えば、体育で剣道の授業のとき、竹刀の振り方握り方も知らない私に剣道部の構えで迫ってきて壁に押し付けられました。私は、その気迫だけで怖くて涙がポロポロ流れました。それに気づいた森本君は驚いたように構えるのをやめた。あの恐怖は今でも忘れられません。

■玉越和博君
前列向って左端から、村田君、森本君、南谷君、豊嶋君、女性陣は分かりません。後列左端の帽子に眼鏡の男性は、うーん、分からない。その次からは、高見君、矢熊君。その横は辻本さんかな? 辻本さんの右側にいる3人の女性は分かりません。写真に写っていないので、私は参加していなかったのだろう。
☆追記
(高見君が書いているけど)新歓ハイクと新歓コンパの案内つくりに協力したこと等は、まったく思い出せません。確かに高見君とは出席簿が近く親しくしていたと思うので、そんなこともあったのかな? 初めて家を出て、下宿生活をすることになり、大学の講義にも下宿にも早く慣れようと必死だったので、ほとんど覚えていません。

*******************2024/01/17 15:53:41*********************

投稿者:高見寛信

内容: 2組の世話係を瀧尾さんとともに仰せつかった高見です
今日は29年前阪神淡路大震災によりお寺の本堂倒壊という憂き目に遭った特別な日ですがちょつと手が空いたので暢気に掲示板に落書きします 

村田さん、玉越さんが手伝ってくれて往復はがきを送ったりしましたね
教養部(C)スト明けの5/26(土)5時から十三の「がんこ寿司」で新入生顔合わせコンパを開きました
担任である倫理学の池長 澄先生もご同席下さり和やかな雰囲気だつたと記憶してます
池長先生は南蛮美術蒐集家として有名な池長 孟氏のご子息です
(今コレクションは神戸市博物館に寄贈されてます)

未だ学生運動の余燼くすぶる時代で同期生の中に活動家もいましたしね・・・
「また学生に呼び出されて総括させられるかと思いましたが和やか
な会で良かったです」と笑っておられたのを思い出します

*******************2024/01/16 11:13:07*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 正田くん、1組の情報をありがとう。
1組がそのような懇親会をしていたことを初めて知りました。担任制がありました? すると2組の担任は誰だったのだろう? 
布目潮風先生は、東洋史の先生ではなかったですか。「箱舟」の第一号を創刊した時、寄稿していただきましたよね。たしかオランダのライデン美術館にレンブラントの「夜警」を見にいった話でした。1組の担任という縁だったのですか。それにしても、学生のガリ版刷の同人誌に寄稿してくれるとは、いい先生ですね。

さて2組の僕が1組の正田君たちと仲良くなったきっかけは体育の授業です。入学当初、履修科目を選ぶときの基準は、夜型人間ゆえ朝早いのはパスということでした。それでも語学は、ほとんどの講義が午前中でしたので、よく遅刻していました。
体育の授業も同じ基準で選んだのですが、1組と2組のしばりがあるとは知らず選んだのが1組の授業でした。最初の体力テストの授業に行くと、知らない顔ばかりで焦りました。その時、最初に声をかけてくれたのが正田君でした。それから、池田君、木村君、正者君など1組の男性たちとすぐに仲良くなりました。逆に2組には、ほとんど友人がいませんでした。波多野君くらいかな。
そんなこんながあって、学部に上がるまでは、仲間たちからは、僕だけ1.2組と呼ばれていました。

*******************2024/01/15 22:22:24*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 矢熊くんこんばんは、2組も活動してたんですね、初めて知りました。1組は池田くん主催で十三で担任の布目先生?を招いて宴会を開いた記憶があります。何人が参加したのか記憶はないですが、池田くんが仕切って楽しい宴会だったような記憶が。
ところで、矢熊くんは入学当初1組の私たちと行動を共にして、1組受講の語学の教科書を買ったのでは?私の記憶が正しいのか勝手な思い込みなのか気になってます、覚えてたら真相を明らかに。

*******************2024/01/15 21:37:46*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 辻本さん、ありがとう。
いやぁ長年の疑問が解けました。そして今の今まで、辻本さんや前田さんが一緒だったとは思いもしませんでした。まして南谷君、豊島君、村田君も参加していたとは。逆に、残りの男性2人を覚えています。たぶん原田君と森本君だと思います。女性の中に矢野さんや吉村さんがいたような気がするのですが、定かではありません。先日、新倉さん経由で矢野さんに確かめたのですが、覚えていないと言われました。

*******************2024/01/15 18:28:18*********************

投稿者:吉川(辻本)純香

内容: 私は2組に所属していたはずですが、恥ずかしながら授業のことはほとんど記憶に残っていません。でも矢熊くんが書いていた2組有志での神戸方面へのハイキングは覚えています。たしか神戸市立森林植物園ではなかったでしょうか?たった一枚ですが、記念写真を持っていました。13名の参加で瀧尾さんの姿がないのでたぶんカメラマンやってくれたと思います。写ってるメンバーは矢熊くん、村田くん、南谷くん、豊島くん、高見くん、前田さん、私以外に女性3名と男性2名の方のお名前思い出せません。矢熊くんがいうように始めはあまり打ち解けず、ぎこちないハイキングだったと思いますが、最後はバーみたいなところに行ったんじゃなかったかな?初めてカクテル飲んで、モスコーミュール?、美味しかったのを覚えています。 

*******************2024/01/14 13:10:14*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 舟引さん、卒業以来のお久しぶりです。2組でご一緒した中尾(現在、西原)です。体育の授業も一緒に受けたことも、あのころの様子も私は今でもはっきり覚えています。邦楽、素敵ですね。HP拝見しました。すごく活躍されているんですね!
私は文楽の三味線しか実際には聴いたことはありませんし、詳しいことも分かりませんが、音の世界はどんな楽器でも奥深いですね。演奏会にぜひ行かせていただきたいです。

*******************2024/01/14 12:27:43*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 舟引さん、お久しぶりです。
2組で一緒だった矢熊です。と言っても、ほとんど覚えておられないと思います。
入学した我々は、50音順でクラス分けされ、ア行からサ行までが1組、タ行以降は2組でした。クラスといっても特定の教室があるわけではなく、交流は皆無でした。記憶を辿って、僕の前後にいた人達の名前をあげてみました。
(マ行以降) 前田、松井、松岡?、南谷、村田、望月、森(2人)、森本、矢熊、矢野、山川、山田、吉川、吉村、吉田(敬称略、漏れがあったらご指摘ください)。皆んなの記憶を集めれば、全員の名簿ができるかもしれません。

そんな状況をなんとかしようと思ったのでしょう。タ行の先頭の高見君と瀧尾さんが呼びかけ人になって、六甲山系の再度山へのハイキングを企画してくれました。1年のGW頃だったと記憶しています。
クラス全員が参加するものと思いきや、参加したのはわずか十数人でした。今では参加した人の名前も思い出せません。その時は初対面に近く、話もほとんどしなかったからです。掲示板をご覧になっている2組の人で、参加された方はいますか?
高見君、瀧尾さん、あの時はお世話になりました。
ずっとお礼を言えなかったのが気になっていました。

*******************2024/01/13 23:17:02*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 舟引さん、ようこそ。
皆さま、舟引さんは、ホームページも有りますよ。菊富美巴で調べたら出てきます。
演奏会も、時々聴きに行きますが、古典だけでなく、現代曲まで、レパートリー広いです。

*******************2024/01/13 18:18:47*********************

投稿者:舟引智子

内容: こんばんは、舟引(吉村)智子です。
新倉さんのお招きで、書き込みます。よろしくお願い致します。
私は色々ありまして、叔母の後を継いで、箏・三絃の講師をしています。
本格的に打ち込み始めたのが子育てが一段落してからなので、未だに演奏会があるたびに、ヒィヒィ言っております。

国文でしたが、今は地歌の歌詞がパッと訳せるくらいかな。
クラブは喜多流の能楽研究会で、この時の仲間との交流は未だに濃く続いていて、観能をしたり、俳句を読み合って付句をしたり、そちらの方がよほど国文らしい?
とにかく、古典芸能漬けの日々です。
よろしくお願い致します。

*******************2024/01/10 22:08:32*********************

投稿者:森 俊彦

内容: 新年になって新しい仲間が次々と加わってくれました。
南谷君、豊嶋君、田中君、高見君。お久しぶりです。
荒川君(矢熊君から入会したと聞きました)、そして、舟引(旧姓・吉村)さん=新倉さんが紹介=も、ようこそです。
正者君の“昭和の匂い”がぷんぷんの学生下宿の話は、懐かしさとほろ苦さを感じさせられ、共感することばかり。「豊楽荘」を訪れたことはなかったのですが、僕も桜井に住んでいたので、箕面線の終電がなくなった深夜、イナイチ(R171号)沿い、豊楽荘の横を歩いて帰っていたのですね。
僕の下宿は「さくら荘」。豊嶋君はある時期、週3くらいで泊まりにきて、“半同棲”生活を送っているかのように言われたことも。別の同級生には、「森の下宿に泊まる」と家族への“アリバイ工作”にも利用された。翌朝、彼の母親が下宿に電話してきて「〇〇泊めてもらっているそうで。まだいますか?」と言われ、冷や汗をかいた。事前に言っとけよ! 今では笑い話ですね。
皆さんも、いろいろな思い出を、おいおいと書いてください。よろしくです。

*******************2024/01/10 09:19:48*********************

投稿者:井元秀実

内容: 正者くん、懐かしい話をありがとう。
「豊楽荘」は薄暗い廊下に狭い部屋、そこにむさ苦しい男が何人もいる・・・そんなイメージがある。
先日、正田くんが鳥取を訪れて飲んだ際に「豊楽荘」の話しになった。
「豊楽荘の俺の部屋に泊まった文学部の女子がおんねん。誰かわかるか?」
俺はしばらく考えて「○○さん」、「当たり」「それでお前はどうしたの?」「正者の部屋で寝た」「・・・??」
そういえばこの話を豊楽荘に行った時に聞いた記憶がぼんやりと蘇ってきた。
みんな二十歳前後と若く、勉強しながら適当に遊んでいた『良き時代』だった。

*******************2024/01/09 23:43:00*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 舟引(旧姓吉村)智子さんが入会されました。国文です。
現在は、お琴、三味線のプレイヤー兼大こうとう(漢字忘れました)という1番上の位のお師匠様です。演奏会や、自分の教室の発表会や、勉強会で大変忙しいそうなので、代理でupします。

*******************2024/01/09 23:35:58*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 正者くん、お久しぶりです。豊楽荘物語、楽しく読みました。あの頃は、あんな感じでしたね。

*******************2024/01/09 20:09:52*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 正者くん、「豊楽荘物語」ありがとうございます。
懐かしく読ませていただきました。豊楽荘にいたときには何かと頼りにし、お世話になりました。
お金はなかったけれど、当時の大学生活を満喫させてくれた豊楽荘でした。
また一度お会いしてお互いの記憶をたどってみたいですね。

*******************2024/01/09 12:37:12*********************

投稿者:高見

内容: 森さんからのご丁寧な封書の賀状から「まちかね会」のご案内を頂きました。
皆さん方のお元気そうな近況報告など楽しく読ませていただいております。

コロナ禍もほぼ収束し、古希の節目を迎えたためか私にもこのところ同窓会、クラス会の案内が目白押しです。
先日も高校の東京方面同窓会に銀座までノコノコ出かけていきとても楽しかったです。(笑)

大学は卒業年次や修了年次がまちまちですが、入学同期の仲間はやはり格別でいいですね。
青春真っ只中でしたからほろ苦い思い出や甘酸っぱい思い出もありましたが今となればただポジティブに懐かしくふり返ることがでます。

私は神戸の金剛福寺の現役の住職として変わらず法務に忙しい毎日です。
この正月は八人の孫が集まり賑やか(過ぎ)でしたが、マゴマゴしないことをモットーにしています。

まだ何とか遊べる体力あるうちにと高校時代からの友人たち(ローカル倶楽部と名付けています)と「余呉湖一周、賤ケ岳登山」日帰りとか尾道から海を渡り「しまなみ海道サイクリング」一泊とかのミニ旅行を時々楽しんでいます。

末筆ながらこうした掲示板を開いてくださり懐かしい交流の機会を設けて下さった幹事さま方に感謝しつつ筆をおきます。

*******************2024/01/08 08:45:59*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 元旦そうそう思いもよらぬニュースに驚愕しながら、小寒から大寒へと寒さも鋭さを加えてまいりました。

矢熊君、昨年の原稿作成の際は大変お世話になり有難うございました。文章作成のまたとない機会と経験によって、今はまた新しい読書の仕方にわくわくしています。

豊稲さん、お久しぶりです。私は三国ヶ丘高校でも同窓となるのですが、豊稲さんの思い出は阪大の男声合唱の方たちの顔とともに甦ります。男声合唱のコンサートで聴いた《♫我ら若人、希望に燃える我〜ら、今、門出に際し…》の歌は今でも冒頭だけいつも頭の中で鳴り響きます。

能登半島の地震、私も本当に心を痛めており、ニュースの画面を直視することができません。大学卒業後、銀行員2年目あたりで後輩の女の子と二人で能登半島を一周しました。電車とバスを乗り継いで、夏休みや年休やら合わせて何日もかけてぐるっと一周、矢熊君と同じような旅をしました。狼煙岬に向かうバスの車窓から見た日本海の寂し美しい海の色が忘れられません。

*******************2024/01/07 15:43:34*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 皆さん、本年もよろしくお願いします。
南谷君、豊嶋君、田中君、お久しぶりです。皆さん、お元気そうでなによりです。
南谷君と豊嶋君は、ほぼ半世紀ぶりでしょうか。田中君とは東京で何度か会いましたが、それでも20年ぶりくらいですね。玉越君が東京にいて、森君が出張で上京した時、ワイン通の田中君の案内で、4人でレストランで会食したのが懐かしい思い出です。ある企画で、毎日新聞の膨大な戦前・戦後の写真を借りる時にも、便宜をはかっていただき助かりました。その節は、ありがとうございました。

能登の大地震で、大変な年明けとなりましたが、思い出深い場所が本当に心配です。学生時代、氷見出身の池田君の招きで、早川聞多さんと木村君の3人で早春の能登を訪ねたことがあります。池田君の車で、曽々木海岸、時国家、輪島、狼煙岬など半島を一周しました。あの時の粉雪が舞う能登の厳しい風景が、ニュースの画面と重なります。

*******************2024/01/06 16:24:24*********************

投稿者:田中 豊稲

内容: 皆さん、お久しぶりです!
年末に森俊彦君から、この会の紹介とお誘いを受けました。その直後から風邪を引き込み、サイトを見ることもできず、散々な年越しになりました。(年末に受けた7度目のコロナワクチン接種直後から体調を崩し、たぶん遅ればせながらの新型コロナ……今も味覚障害が残っています)
完調には程遠い体を奮い立たせて、新年2日から開館している美術館現場に出ています。6日現在、だいぶん元気になっています。

ごく一部の人たちとは、卒業後も断続的に交流がありますが、ほとんどの皆さんとは半世紀近くお会いしていません。会ってみたら、お互い昔の面影を探すのに苦労するのでしょうね。


30年の新聞社勤務の後、放送会社を経て縁あって静岡市美術館に勤めています。住まいも静岡に移してもう15年です。
もうそろそろ常勤からは引退するつもりで、これからは、体力の許す限り、好きな旅と史跡探訪をしたいと思っています。
能登地震・津波災害でも、かつて訪ねた曽々木海岸の(上・下)時国家や南惣美術館、門前町の総持寺祖院は無事だろうか、と思っています。

では皆さん、今年もお元気で!

*******************2024/01/06 00:16:56*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 豊嶋君、本当にお久しぶりです。私も社会人になってから、大学のクラスメイトにはほとんど会うこともなく年賀状のみの細い糸でした。でも、もともと地味な人間ですので“見えない存在”というカテゴリーに属するのが一番合っていたと思うんですよね。経年劣化する姿を見られることのない安心感からか、こうしたヴァーチャル空間ではのびのびできます。
再会の宴では姿をさらしてしまいましたが、そういう場所ではひたすらアバターと化した理想の自分像が行動していると自分で分析しています。おそらく“変な人”と映っていることでしょう。
ただ、大学卒業の時点で脳がフリーズしてしまったようで、心はまだ老いを受け入れられず、何でもやってやろう精神が暴走して困っています。15年ほど前から週5日ぐらいマスターズ競泳の練習をしていますが、人との対話がどうも不得意かもしれないので、水の中が一番自然でいられるような気がしています。要するに、ばあちゃん河童ですね。

*******************2024/01/05 14:05:12*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 純香ちゃん、と言う歳でもないけれど、いくつになっても、純香ちゃんは純香ちゃんです。
正確に言うと、留年したので一期生ではないのですけれどWWW
ロンドンで会ったの覚えてますか。
そのあたりの話は、お会いした時に。

どなたか、集まる機会を作って下さいな。

PS いっちゃんもお元気そうで何よりです。

*******************2024/01/04 14:05:13*********************

投稿者:吉川(辻本)純香

内容: 明けましておめでとうございます。
豊島くん、お久しぶりです。
昨年は私も50年近く会っていない方々との奇跡的再会に、大学時代の記憶をほじくり返す日々を送りました。
 豊島くんは美学科一期生としては少数派の演劇学科でご一緒させてもらいましたよね。山崎教授を囲んでの岡山アイビースクエアでの写真を見て確認しました!
 また次回の同窓会でお会いできれば嬉しいです。

*******************2024/01/03 15:19:07*********************

投稿者:豊嶋成和

内容: 今日、森君からの年賀でここを紹介していただきました。
彼とは数年に一度会っており昨年も四国旅行の折、高知にお邪魔させていただきました。
高校の友人とは年に三度、小学校中学校は2年に一度同窓会をやっているのですが、大学の友人とは年賀状くらいで疎遠になっていましたので、こういうところで近況を知れるのは有難い。
これからは集まることもあるかと思いますので、その折は是非お誘いを。
とりあえず初投稿、近況等は追々。

*******************2024/01/03 09:26:58*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 新年あけましておめでとうございます。

年末年始と食卓のスペース確保のため、ノートパソコンを片付けていましたので、ご挨拶が遅れました。昨年は皆様に40数年ぶりで対面でお目にかかることができ、さらにまちかね会、ならびにこのような交流の場に参加することができ、画期的な齢となりました。今年も引き続き楽しい交流をよろしくお願いいたします。

新倉さん、年末の多忙の中、丁寧なメッセージありがとうございました。なるほど、古典も英語も私には同じくらい辞書が必要ですから、源氏を英語で読むっていうのも面白そうですね。Good idea!
昨夜のNHK「歴史探偵」は紫式部でした。下級貴族出身(それゆえ一人で外出できて見聞をひろめた)、若くして夫と死別(それゆえ女友達との読書に慰みを覚え、自分でも書いてみようと思った)、その他いろいろと勉強になりました。

*******************2024/01/02 20:14:40*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 明けましておめでとうございます
能登半島の地震、羽田空港のJALの火災と、大変なお正月です。
今年も宜しくお願いします。

*******************2023/12/29 23:01:35*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 続きです。
源氏を読まなくてもノープロブレム!光源氏自身には、そんな魅力は無いし。でも、宮地先生の演習で読みましたよね?読んだっていうか、素材にしたんでしたが。

そのかみのこころたづねてみだれたる
 すぢときわくる玉のをぐしぞ  

という訳で、遠い昔に玉の小櫛を読んで以来、ずっと読んでいません。

*******************2023/12/29 21:57:38*********************

投稿者:新倉敦子

内容: こんばんは
今年は自治会の役員に当たっているので、今日は火の用心カチカチをして来ました。昨日は小学生の子供も出てくれました。「マッチ1本火事の元」と言ったら、「ねえ、マッチって何?」と聞かれたそうです。ヒェー!「マッチ箱のような家」という比喩は通じないんですね、

西原様  高校、大学は、源氏よく読みました。今や、文学性ゼロの本ばっか読んでいますよ。私は与謝野晶子訳は、あまり好きではないです。谷崎だと思う。思い切って、英訳で読んだらどうかなぁと思います。

*******************2023/12/29 11:13:19*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 真知恵さん、お久しぶりです。ミニ同窓会にあともSNSで少しやり取りしながら、その後ご無沙汰してしまいました。その際の通信からピアノ、近くのお孫さんのお世話、遠方の息子さんの第2子誕生のお手伝い、さらに源氏物語講読会と日々、奔走されている様子に、私も励まされていました。

来年のNHK大河ドラマは「光る君へ」、紫式部の物語です。番宣を見たときにすぐに真知恵さんと新倉さんを思い浮かべました。私は恥ずかしいことに、源氏物語をほとんど知りません。与謝野晶子訳「源氏物語」は途中で挫折してしまいました。今その本は本棚の二重になった奥の列にひっそりと身を潜めております。お喋りの途中で源氏に関する何かが出てきたら、お二人とも、各登場人物についてやら、どの場面にでてくるやら、さらに相関図までも即座に説明してくださるので(それぞれ別のときでありましたが)、古典オンチの私はその都度、舌を巻いたのでありました。
古典を勉強する気力はもはやありませんが、まちかね会の国語のプロの方々に、今流行りの「教養としての~」のような内容でわかりやすく解説していただければ嬉しいです。

*******************2023/12/29 07:43:44*********************

投稿者:吉川(辻本)純香

内容: 南谷君、お久しぶりです!
3月の文学部ミニ同窓会ではお会いできず、残念に思ってました。
私にとっては、南谷くんは気さくに話ができ、ホッコリさせてもらえる数少ない存在でしたよ(その頃から仏の道を歩まれる素質を発揮されてたのかも…)
 大学卒業後、いつ頃だったか忘れちゃいましたが、四天王寺で開催された河合隼雄の講演会に参加したのですが、その時僧侶の格好で忙しくされてた南谷くんにバッタリ会い、二言三言話したと思うのですが、覚えてないやろなあ‥
また次回の同窓会でお会いできるのを楽しみにしています。

*******************2023/12/28 22:21:43*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 真知恵さま
入学50周年?の集まりに声をかけてもらって、新地の加藤さんのお友達のお店でウィスキーを飲んで以来ですね。
私は子供も1人、孫も1人なので、そういう大変さは無いですが、きっと楽しいこと、嬉しいことが何倍もあるんだろうと思います。
私はSNSを全然やってないです。
お身体に気をつけて、ぼちぼちやってください。

*******************2023/12/28 22:00:55*********************

投稿者:萩原真知恵

内容: 【追伸】
 南谷くん、お久しぶりです。懐かしいです。安岡寺に連れて行ってもらいましたよね。卒業後ずいぶん経って(30代か40代ころか)ちょうど今頃の年末の夕方のニュースで、四天王寺さんの年越し風景(?)をやっていて、南谷敬住職がインタビューを受けておられましたよ。「この方はお母さんの大学時代のお友達や」と子供達に自慢したものです(^o^)

 山口さんの「なま蕎麦」事件も懐かしいですね。その時からすごく親近感が湧きました。というより、(とても優秀な年上の方に失礼ながら)可愛いところがあって、初めからファンだったのですが。

 忙しいと言いながら、7年くらい前からfacebookをやっていまして、旅日記や日常のちょっとした出来事や雑感を投稿しています。アイコンをタップし、写真を貼り付け、文章もフリックでちゃっちゃっと入力してすぐアップ。コメントが入ると、返しをして、すぐに対話できる、その共時性が良くも悪くも魅力です。facebookをされておられる方、よろしければ「友達リクエスト」をしてくださいませ。「萩原真知恵」で検索していただけましたら、私のスレッドが出てくると思います。
 よろしくお願いします(^ ^)

*******************2023/12/28 21:26:04*********************

投稿者:萩原(加藤)真知恵

内容:  初めて投稿させていただきます。森くんからブログや掲示板の投稿のお誘いをいただきながら、今日まで拝読も投稿もできずじまいですみません。
 遅ればせながら、近況報告させていただきます。近所に住む次男一家に、小3と小1と3歳の孫がいますが、春から嫁さんが働き始め、平日は小学生の放課後の世話や習い事の付き添い、土日は夕食に呼んであげるというめちゃくちや忙しい毎日。(学童保育は満員で無理でした。少子化対策、どないなってるんや!)
 今日、世間は仕事納めですね。ほっとするのも束の間、明日から横浜の長男一家が帰省します。3日まで11人分の食事作りです。一人の時間を持ちたい!!と空しい願望もあるものの、幼い頃母の実家で大勢の従兄妹や伯父叔母たち総勢20人くらい集まっていた盆暮が懐かしく思い出され(祖母が潰してくれた鶏のすき焼き、鶏の断末魔の叫びに涙したのに、その美味しかったこと!複雑な思いで食べたなあ)、孫たちの心に楽しい思い出として残るなら、それも良し!と言い聞かせつつ、いつもの年末年始を乗り切るつもりです。
 17日にはピアノの発表会があり、孫と連弾しました。『千と千尋の神隠し』の挿入歌「いつも何度でも」、「クリスマスおめでとう」の2曲。結婚当時に買った黒のロングドレスを着て、格好だけは一人前。6月に腰椎すべり症の手術をしたものの、末梢神経がダメになっているうえに、当日の朝の急な冷え込みが加わり、ペダルを踏む足裏の感覚が全くなくなって、本人としては散々な出来でした(涙)でも、バーバの様子に動揺することなくしっかり弾いてくれた孫のおかげで何とか最後まで伴奏することができました。孫の背中におんぶされ、or車椅子を押してもらう将来の自分の姿が、俄然目の前に浮かんできたのは言うまでもありません。

 こんな感じですので、皆さんのような文学部卒らしい投稿もできず、次またいつ書けるかもわかりませんが、末長くお付き合いくださいませ。
 では、皆様良いお正月を!

*******************2023/12/28 17:11:35*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 連続投稿、失礼します。
ちょっと掲示板訪問ができなかった間に沢山投稿されていました。私の整理整頓・清掃の進捗状況は、はなはだ遺憾なことになっております。本の整理のところでストップしてしままった。〈積ん読コーナー〉の本を、焦る気持ちで手に取って、少し読んだのが運の尽き。それ以降、整理整頓作業が手につかなくなりました。J.M.クッツェー「恥辱」鴻巣友季子訳。訳文が素晴らしくて、どんな英語がこんな日本語になるのかと、Amazonに行ってしまった。原書はすぐに見つかり2日でゲット。果たして鴻巣さんの翻訳に再度感嘆。「読んでる時間ないよ~」と脳が命令しても手が勝手に本を開く。お正月は誰も帰省しないからいいんですっ!

*******************2023/12/28 16:40:47*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 南谷さん、早速の投稿、有難うございます。ドキドキしながらお電話しましたが、学生時代のままのお話しぶりで一挙に時を飛び超えました。
四天王寺、亀の池、懐かしいです!南谷君に紹介してもらったアルバイトでろうそく売りと経木へ戒名書きをしたのが昨日のことのようです。その他にもいろいろと楽しい思い出が次々と頭の中を駆け巡ります。
しかし、過去を懐かしみつつ、視線は前へ。まちかね会発足で、また新しい世界が開けて10歳ぐらい若返りました。教養を深めるべく真面目に仏教の法話も聞かせていただきたいと思いますので、ときどき紹介してください。 

*******************2023/12/28 15:58:59*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 南谷さん
お久しぶりです。懐かしい!ダラダラ暮らしております。

*******************2023/12/28 15:29:53*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 南谷くんご無沙汰でした、50年弱ぶりですね、懐かしい、とにかくお互い元気で何よりです。まちかね会への投稿ありがとうございます。
まだまだご活躍の様子、また僧侶の世界、楽しい面だけでいいので教えてください。
私は今年の3月ですべての職を辞して毎日刺激の少ない暇な日々を過ごしています。刺激大歓迎ですので、またの投稿を待ってます。

*******************2023/12/28 13:30:30*********************

投稿者:南谷恵敬

内容: 初投稿です!西原さんから教えていただきまして、ちょっと遅れましたが、投稿させていただきます。
矢熊君、正田君、森君、新倉さん、それから西原さん、なつかしいですね。皆さん元気そう?でよかったです。いい歳になってますが、まだまだ、貧乏暇なしで忙しく過ごしております。
私の勤めています四天王寺の、亀の池の前に六時堂という重要文化財の大きなお堂があるのですが、今、耐震と屋根葺き替えというたいそうな工事をしています。昨日、素屋根が出来上がったということで足場に上らせてもらったのですが、屋根のてっぺんまで足場があってそこまで登ったらさすがに怖い、というか途中で足がすくみました。高所恐怖症であったことを思い出しました。ジェットコースター絶対無理でしたもんね…こんな経験はまあ二度とないでしょうが。
一番ホットな近況でした。これからもちょくちょく拝見させていただきます。適宜コメントも。
山口さん!木村先生を偲ぶ会でお会いしましたね。生蕎麦、なつかしい!! 信州だったような記憶が。。。

*******************2023/12/26 23:21:27*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 大掃除、しないといけないんですよ。きっと、西原さんや正田くんの家は、しなくても綺麗なんだろうな。私は散らかった家を見ないようにして、古楽系のコンサートに行って来ました。
「教会暦で巡る初期ルター派のビチニウム」出演者2名で、客は4名。寂しかったです。

*******************2023/12/26 16:39:42*********************

投稿者:正田隆司

内容: 玉越君のあがりこ大王や月山の阿弥陀が池湿原、臨場感が伝わってきて素晴らしかった。私も昨年5月に出羽三山、鳥海山の方面に行ったのですが何も知らず阿弥陀が池湿原にも行けず残念至極です。
それにしても、木の生命と人間や動物の命は同じものなのでしょうか、奄美大島の原生林で見たオキナワウラジロガシ、首里城近くの大アカギ、有名な縄文杉もそれぞれの環境の中で適応し何百年も生き続けている、私たち人間とは違う種の保存なのでしょうね。
ところで、歳も押し迫り今日はお風呂と洗面所のコッテリ洗い。寒さが緩んでいるのが何よりでした。明日も頑張りましょう。
皆さん体に気を付けて、良いお年をお迎えください。
矢熊くんも書いてたけど、南谷くん読んでたら近況報告よろしく。

*******************2023/12/26 01:22:22*********************

投稿者:矢熊晃

内容: 皆さんの会話、縦横無尽で面白いですね。
もっと参加者が増えれば、さらに面白くなるのに。(南谷君は見ていますか?)
閑話休題。玉越君のあがりこ大王や阿弥陀が池湿原の訪問記は、興味深かったですね。巨樹というと屋久島の縄文杉ですが、ブナの巨木も凄い。一度、対面してみたいという気にさせられました。
気になったのは、あがりこという言葉。推測ですが、これは上がり瘤、つまりあがりこぶが、年月を経て省略され、あがりこになったのでは?
これに近い例が、秋田名物のいぶりがっこ。ここでいうがっこは、元は京言葉で漬物を意味する雅香だとか。雅香が北前船で、この地にもたらされ、やがて言葉だけが残った。そして略されて、がっこになった。それを燻したものが、いぶりがっこ。今やチーズを乗せて洋酒のつまみでも人気だそう。
とはいえ、あがりこは私の推測です。本当のことを知っているなら、玉越君、是非教えてください。

*******************2023/12/25 23:09:17*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 規格外のものは、人でも自然でも、心惹かれますね。私は、インドア派なので、そういう巨木は、あまり見たことが無いですが、唯一知っている愛媛県佐田岬の「あこう樹」は、なかなか立派です。

西原さんの散らかった家なんて、うちの乱雑さに比べたら、御殿のようなものだと思います。でも、とりあえず頑張って!

森くんも、おじいちゃんやってるんですね。昔、ネットで「ATMは、理想の彼氏」っていうのがあって、思い出そうとしてますが、ちゃんとは思い出せません。
お金を持ってる。無駄な口出ししない。日曜、祝日は休む。触るとほんのり暖かい。みたいな感じ。ATMになって、地方経済を回してください。

*******************2023/12/25 14:22:57*********************

投稿者:森俊彦

内容: メリークリスマス!🌲
皆さん、ご家族と素敵な1日を過ごされていますか?
昨日、近くに住む孫が母親と一緒に襲来。5歳の男児はパソコンの玉越くんのブログの写真を見て、「ジイちゃん、これは何?」。
あがりこ大王という北の山にある、王様のような大きなブナだよ。ゴツゴツした多くの瘤が気になったようで、「怖そうな、強そうな木だろ?」って説明した。
すると、孫は、本で見た「カメハメハ大王」みたいなの?。分かっているのか、いないのか?おとつい、図書館で母親と絵本を見たところだった。大王って語感から想像したんだろう。小さい子供でも、玉越くんの写真のすごさは感じたみたい。
その後、街の100均で、シールやマスキングテープなどをXマスプレゼントとして買わされた。まだ、100均で満足してくれるうちは良いけど…。
大阪にいる長女のところの小4、小1の孫は「ニンテンドースイッチのなんちゃらソフトを買って送って」。なんじゃ、それは?
「ジジババは 孫にとっては 歩くATM」と、誰かが言ったそうだが…。まさに、その通りだね。
長文、失礼。良いお年を。

*******************2023/12/25 11:10:07*********************

投稿者:西原いつ子

内容: 年の瀬も押し迫ってきました。今年のうちに物置と化した部屋の整理整頓しなければならないに、休憩ばかり入れてまちかね会ブログを何度も読み返しています。
玉越さんのあがりこ大王、タイトルにまずクギ付けされ読み始めるとまっすぐに大自然の中へ。普段お目にかかれそうにもない珍しく美しい写真を見ながら、まるで山岳ガイドの方とともに歩いているような臨場感で頭の中は山旅真っ最中。長い間吸っていない山の空気まで鼻の奥に蘇ってくるような…。やっぱり山はいいなぁ。山は生き返らせてくれる。このところの寒さも、山の中だと思えば気持ちも引き締まります。暖房を切って外気の冷気を吸って、また仕事に戻ろう!

*******************2023/12/25 10:55:05*********************

投稿者:新倉敦子

内容: おはようございます。
世間ではクリスマスですが、私は、通常運転です。昨日は、田中美奈子(旧姓矢野)さん所属のコーラスグループのクリスマスコンサートに行きました。和音がぴたっと合うと気持ちいいですね。1部は、グレゴリオ聖歌や、モンセラートの朱い写本からの、要するに、マリアバンザイ系の歌。2部は、サンバ・ミサという、キリエ、グローリアからアニュスデイにいたるまで、ラテンのリズムで歌うものが、凄く面白かったです。リトルドラマーボーイ、オーホーリーナイトみたいなよく知られるクリスマスソングも歌っていました。舞台美術とか照明は、いつも流木を組んで布を幾重にも被せたり、和紙から蝋燭の灯りが透けて見えたりの、ナチュラル志向な感じです。今回は、ガーゼを黄色、オレンジの濃淡に染めたものを掛けていて、それに照明を当てて色を変えていました。
ガーゼの語源はパレスチナのガザ。ガザで織られていた柔らかい布が○○(聞いたけど忘れました)に渡り、医療用に使われるようになった。染料は福島のマリーゴールドだそうです。意識高いですよね。

ところで、キリ番踏んだら、なんとかかんとか、あるんですか?

*******************2023/12/23 21:57:42*********************

投稿者:新倉敦子

内容: あがりこ大王って何だろう?と思ったら、大木なんですね。しかも、容貌魁偉?な。これは、わざわざ行く価値がありますね。玉越さん、写真も上手ですね。
自分の足で歩いた人だけが、見ることを許される景色ですね。

*******************2023/12/21 10:48:05*********************

投稿者:西原いつ子

内容: おはようございます。昨夜はスマホから掲示板初投稿、大変失礼しました。帰宅途中の揺れる車内だったとはいえ、ワインたった2杯でほろ酔いだったとはいえ、変換違いにあとでガックリです。スマホの画面は小さいですしね、指先も定かでないところへ、スマホが性急に勝手に変換して勝手に送信するみたいです。あるいは、最近、急に真面目になった私は、小説を読むときもきちんと襟を正して読むものだから、目が悪くなったかも。年末は皆さん、慎重に行動しましょう!

*******************2023/12/21 00:02:36*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 新倉さん 中尾さん
ご投稿、ありがとうございます。
掲示板は、今はSNSが主体で、あまり使われないそうです。
でも、この素朴さがいいですね。それにSNSは普段使っていないし、個人的にあまり好きではないのです。ということで、今後ともよろしくお願いします。

*******************2023/12/20 20:10:34*********************

投稿者:西原いつ子

内容: なるほど、先に一番上に名前を記入しなくてはならなかったのですね。

あらためまして、下の投稿は私、西原いつ子でした。

*******************2023/12/20 20:01:14*********************

投稿者:

内容: こんばんは!さっそくの掲示板、賑わって繁盛していますね。私はまだ帰宅途上。阪急北千里線の車内です。今日はちょっと、知り合いのレストランに顔出しということで、京都•祇園まで行っていました。イタリア料理です。お昼のランチはリーズナブルでとにかく美味しいので、機会があればみんなでいきましょう!

*******************2023/12/20 18:32:52*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 信州ではなかったですか?
若狭の小浜へ行ったのは美術史の演習旅行でしたが、山口さんも行かれましたかねぇ。
木村重信先生、武田先生と一緒でしたが、聞多さんもいたかな? 木村君も一緒だったかな? 50年も前だと記憶が曖昧です。
あの旅では、旅館で先生達と卓球をした時、水道でコンタクトレンズを洗おうとして、うっかり流してしまった苦い思い出があります。

*******************2023/12/20 17:39:54*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 何度もすみません。
小浜の仏像を見に行った時の敦賀駅だったと思います。

*******************2023/12/20 17:38:25*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 敦賀駅、自信ありません。中津川かも。

*******************2023/12/20 17:37:20*********************

投稿者:

内容: 敦賀駅でしたね、蕎麦は。
哲学の専門家は常識が?と思いましたが、可愛かったですね。

*******************2023/12/20 16:51:28*********************

投稿者:新倉敦子

内容: 掲示板っていうのも、懐かしい気がします。久しぶりに掲示板に書きます。それにつけても、寒いです。

*******************2023/12/20 16:42:02*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 元・美学科の皆さんへ

このところ、中尾さんを介して山口和子さんとメール交換をしています。岡山大学名誉教授になられていましたが、お元気そうで、文面からも、あの頃のお人柄が感じられました。
大学時代、夏休みに皆で野尻湖のセミナーハウスへ行く途中、乗換のプラットフォームで、「生蕎麦」の暖簾を見て、「なま蕎麦がある!」と言った途端、正田君に「きそばと読むんや」と訂正され、真っ赤になった、あの山口さんです。
「皆さんと会いたいですね」と言われていました。

*******************2023/12/20 16:28:06*********************

投稿者:正田 隆司

内容: 了解です。
こちらこそよろしくお願いします。

*******************2023/12/20 16:21:03*********************

投稿者:矢熊 晃

内容: 正田君

さっそくのコメント、ありがとう。
そうなんですよ。ここなら気楽に書いてもらえると期待しています。
先ほど、森君から提案があって、平仮名も分かりにくいので、漢字フルネームで統一しようとのことでした。
今後とも、よろしく。

*******************2023/12/20 16:09:35*********************

投稿者:しょうた

内容:  矢熊くん掲示板ありがとう。
 掲示板ならみんな気楽に書けますね。
 京都は今日の寒さはちょっと緩んでるみたいですが、明日からはやはり強烈な寒波襲来です。
 皆さんも雪や寒さに負けないよう準備を整えて、間違ってもケガなどないように。
 良いお年をお迎えください。

*******************2023/12/20 15:34:16*********************

投稿者:やくま

内容: 森君へ

 104moriでは、やや分かりにくいですね。
 やっぱり、こでは漢字か平仮名が無難かと思います。
 今年は、阪神優勝で「まちかね猛虎会」も盛り上がったようですが、来年はいかがなりますか。辰年なので、ドラゴンズが上がってくることも、可能性ゼロではないでしょう。

*******************2023/12/20 15:22:12*********************

投稿者:104mori

内容:  今冬一番の寒気団が週末にかけて列島に襲来するようです。南国・高知もメチャメチャ寒い。朝の散歩中も、吐く息が白かった。
 思い起こせば、去年のイブ前日、高知市でも5〜7センチの積雪(近年では例のない大雪)があった。わが家の辺りも白銀の世界に。車は、雪だるま状態になった。昼前まで道路には雪が残り、車はスリップ。自転車や歩行者も転倒するなど大変でした。
 暖冬予想は一変?! この週末はどうなるのでしょう。
今年もあと10日ほど。慌ただしい年の瀬、大掃除など、慣れない作業で怪我などしないように、お気をつけて!!。
良い年をお迎えください。
 

*******************2023/12/20 13:41:05*********************

投稿者:やくま

内容: ブログへの感想、同窓生の方への伝言などなんでも結構ですので、自由にお書きください。